第15話 胎動するモノ
妖怪とは、何もその全てが拠り所を持つわけではない。
成り上がりに失敗したもの、野生の獣から妖怪に成ったものなど、属すべき共同体を持たない野良妖怪というものが、多数存在した。
彼らは弱いが故に同種族同士、場合によっては異種族同士でつるみ、弱者なりに生き残る術を模索していく。
しかし中にはそういったグループ間で抗争が発生したり、場合によっては激しい殺し合いが生じ、自然淘汰されていくのが野良妖怪の常であった。
故に、力を求め魔道に堕ちる者も、一定数存在した。
魅雲村の外れにある廃堂。
そこに居座るのは三人の妖怪。
鬼、鎌鼬、そして妖狐。いずれも野良妖怪上がりの呪術師である。
その鬼――二本角のそいつは、鬼塚真之その妖だ。
彼は仲間の二人を見据え、笑う。
「無事合流できたな。具合はどうだ」
低い声で真之が問うと、鎌鼬――細身の女である、名をクーというそいつが答えた。
「問題ないさ。この村は妖怪の出入りが多いからね。本来の姿なら、特にバレることもない」
二尾の鎌鼬である彼女は、退魔局の手配書に載っている立派な呪術師だ。すでに二人の一般妖と、四名の局員を殺害している。人間の法律に照らし合わせても死刑は確実だ(量刑相場においては人間でも殺害既遂を三件犯せば確実に死刑である)。退魔規定法においては、一般妖であれ人であれ、妖術で他者を殺めれば即座に死刑。退魔師にも、即時抹殺指示が降る。
妖術は、使い方次第では術師単独でも大規模な殺戮を引き起こせるほど強大である。それを悪用することは、決してあってはならないことなのだ。故に退魔局は、呪術師認定された者に対しては厳し過ぎる罰を設けていた。
「
「問題ない。私はまだこの地域では手配されていないから、観光客のふりをして入った」
「クク、これでようやく計画を実行できるな」
真之は小瓶を取り出した。
それは先日回収した稲尾椿姫の血を培養したものである。
「稲尾の血だ。アレの封印を緩められる唯一の妖術媒体。これ単体でも、術に使えば恐ろしいほどの増強効果を得られる」
「稲尾……あばずれの女狐が」
焜は苦々しく漏らす。二尾の彼女は、金色の体毛を持つ妖狐である。リヘンギツネという、キタキツネに似ているがそれよりも少し大柄なアカギツネの亜種であり、まだ妖怪になって一代目――典型的な、拠り所のない野良妖怪である。
彼女にしてみれば血筋も家柄も、そして仲間にも恵まれた稲尾椿姫が、呪わしくてたまらない。のうのうと過ごし、育ち、何不自由なく家族とやらに囲まれて――全部を持った、あらゆる神経を逆撫でするクソアマ。
「奴を殺せるならなんだっていい。はじめろ、真之」
焜は真之に詰め寄った。彼はふっと笑う。
「慌てるな。ここじゃあダメだ。移動するぞ」
三人は廃堂を出て、北西に向かった。
歩きながらのその会話は薄暗いもので埋め尽くされる。
「俺たちがようやく安心して暮らせる世界がやってくる。長かった……外敵に怯えることも、蔑まれることもない理想郷だ。焜、だがいいのか。これをやればお前は――」
「構わんさ。だが私の命を無駄にしないでくれ。必ず、私たちの、野良妖怪の悲願を達成しろ」
「そうさ。焜の姐さんのためにも私らは絶対にやりおおせるんだ。この作戦が上手くいけば、絶対に……」
「心配することはない。首をもがれても俺はやり通す。だが忘れるな、俺たちは、俺たちだけは誰がなんと言おうと家族だ。それを、絶対に……」
強い意志で震える声を、その背中を焜は強く叩いた。クーは、そんな焜の肩を叩く。
野良妖怪には――呪術師にはそれなりの覚悟がある。やっていることが悪だと知った上で、それでも彼らは突き進むしかないのだ。
待ち受ける先が地獄であろうと、溟獄であろうと、盃を交わした家族と共に進むしかない。戻るべき場所など、彼らにはもとよりないのだから。
落ち着ける場所は、血の海を渡って、自ら作るしかないのである。力のない野良妖怪は、大なり小なりそうやって生き延びるのだ。
三人は山林の奥にある、龍を模った道祖神の前に来た。その石像は苔むし、頭が半分欠け落ちていた。大きさは高さ六十センチほどで、特に供物もなく寂しく佇んでいる。
真之は「始めるぞ」と言った。焜とクーが頷く。
小瓶の栓を抜き、稲尾の血を道祖神に垂らした。
すると、その石像がガタガタと震え、赤黒い妖気を放ち始めた。
真之とクーが離れ、焜が前に出る。そしてその右手で、道祖神に触れた。
直後、赤黒い妖気が彼女に流れ込む。
「ぐっ――ぁああああああああああああああああああああああああああああッ!!!」
焜が白目を剥き、喀血。痙攣し、倒れ込んだ。
妖気はなおも彼女に入り込み、無理やり意識を呼び戻す。
「っづぁ――ァア、がぁあああああああ!!」
額を激しく道祖神にぶつけ、額をわり血を流すが、それは即座に修復された。のたうちまわり、悶絶し――。
真之は歯を砕けんばかりに噛み締め、クーは目を逸らしそうになるのを必死に堪えた。
やがて妖気の流入が止み、焜が静かに、うつ伏せに昏倒する。
「焜、起きれるか」
「姐さんっ!」
二人は焜に駆け寄った。体を揺すっても、頬を叩いても無反応だ。
よもや失敗か……そう思った時、彼女の目が開かれた。
金色だった目が、赤く、そして白目が黒く濁っている。
「心配させたな……ああ、いい気分だ」
立ち上がった彼女に変化が起きる。二本の尾が四本に割れ、六本に増える。
両手を閉じたり開いたりし、片手間に振るった拳でぶっとい大木をバラバラに粉砕する。巨木がズズン、と倒れ落ちた。
「真之、クー。悪くないぞ、これは」
焜はそう言って、微笑んだ。
これでもう後戻りはできない。もとより退く気などないが、真之はそう実感した。
「姐さん、痛くねえか?」
「心配するなクー。……あとは任せたぞ」
「ああ、……ああ! 絶対、姐さんのために理想の世界を作ってみせるさ! なあ、兄貴!」
「当然だ。俺たちに失敗は、許されんのだ」
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