第24話 地獄への往復切符

 向日葵たちが東京へ戻ってから一週間と経たないころ、学食カフェの定位置に集まったバンドメンバーのもとに、涼夏が人数分の楽譜を持って現れた。


「届いたぞ」


 その言葉だけで分かる。約束の曲が、彼女たちのもとに届いたのだ。


「打ち込みの音データもあるから、そっちはメッセで共有しとく」

「とりあえず、どんな感じか聞きたい……かも」

「ん」


 緊張した趣の蓮美に、涼夏は頷きながら自分のスマホをテーブルの真ん中に差し出す。音楽プレイヤーの再生ボタンを押すと、いかにも打ち込みのMIDIらしい電子音に向日葵の生歌で構成された音源が鳴り響いた。

 初めは興味深そうに耳を澄ませていた一同だったが、次第に眉間に皺を寄せて、表情が険しくなる。


「これは、なんというか……難しいね」


 千春が、一同の心の内を端的に表した。

 吊られるように、蓮美が強めに何度も頷く。


「転調に可変拍子もあるし……間奏とかジャズフュージョンだし」

「あくまでロックに仕上げたいのは、あいつの譲れないとこだろ」


 涼夏の言葉に、各々の頭の中で一斉にスタジオで演奏する向日葵の姿がフラッシュバックする。音楽とロックにすべてを捧げている人らしい一種のオーラ。その生きざまが、曲にも表れているかのようだ。


「てか……とりわけ私のパートが難しい気がするんだけど」


 音源を聞きながら楽譜を目で追うにつれ、蓮美の表情は一層険しく、なんなら憎しみすら孕み始める。頭にあるのは、勝負の後、スタジオから去り際の向日葵の言葉だ。


 ――アイツのこと腐らせたら許さないから。


 そう耳打ちされて、蓮美の背にゾクリと悪寒が走った。言葉の重みというよりも、今まさに自分がぶつかっている課題を突き付けられた気分だったからだ。


(試されてるってことだよね……これ)


 もしくは、これくらい演奏できないようじゃ役不足だと発破をかけられているのか。どちらにしても、向日葵からの挑戦状であることは間違いない。


 他のメンバーの反応としては、涼夏は「まあこんなもんだろ」といういつもと変わらぬ様子。千春は、真っ先に「難しい」と口にしたところはあったが、楽譜に目を走らせながら、指先で軽く机を叩いてストロークのリズムを身体にインプットしている。一番ヤバそうなのが緋音で、真っ青な顔をして、楽譜を読むでもなく呆然と見つめていた。


「緋音さん……大丈夫?」


 蓮美が心配して声をかけると、緋音はびくりと肩を揺らして意識を取り戻した。


「だ……大丈夫ではないかもしれません……!」


 それから泣きそうな顔で、縋るように不安を口にする。


「とにかく、音源ヘビロテしてメロディと歌詞を覚えろ。技術的なとこはそっからだ」

「は、はい……」


 涼夏から目先の目標を与えられて、ひとまず気持ち的には前を向けそうだが、根本的な不安までは流石に拭えそうにない。一方で、涼夏の心の内には「完成させられない曲を向日葵が寄こすわけがない」という、ある意味信頼に近い確信があった。

 なぜなら、ご丁寧に例のライブの招待状も届いていたからだ。


「ライブはちょうど一か月後。半月は個人練で、残りの半月で仕上げの勝負だな」

「そう言われると、時間がないですね……」

「はい、蓮美罰金」

「うわっ!」


 完全な不意打ちに、蓮美が目を丸くして飛び上がった。涼夏はしたり顔で、鞄の中から『100万円貯まる!』貯金箱を引っ張り出して、ドンと机の上に置く。


「てか、向日葵来た時になあなあになってた分あるだろ。流石に覚えてねーから、全部まとめて千円でいいぞ」

「うぐぐ……否定したいけど、確かに敬語使っちゃってた気がするから文句言えない」


 蓮美が悔しがりながらも千円札を折りたたんで貯金箱に差し込む。


「まいど――つっても、流石にこれじゃまだまだ足りねぇな」

「何が?」

「罰金箱の中身は、箱借りるとか遠征の足しにしようと思ってたんだが、流石に東京には間に合わねーだろ。今の千円入っても、まだ二千円そこらだぞ中身」

「ああ、そういうこと」


 遠征費用――言われて初めて、蓮美たちの頭の中に移動費や宿泊費のことが思い浮かぶ。部活に居た時は、部費と親からのカンパで賄っていた遠征費用も、個人の活動となると自分で用意しなければならない。


「いくらぐらい必要……?」

「往復の新幹線代と宿代。メシ代は……まあケチっても良いとしても、四~五万は欲しいな」

「大学生にはそれなりの金額だね……」

「夜行バス使えば移動費も節約できるんじゃないかな?」

「お前、夜行バスで移動したコンディションで演奏したいか?」

「はは……できれば御免こうむりたいとこだね」


 出すだけ案を出してみた千春だったが、涼夏の返す言葉で顔を引きつらせた。しかし言うだけタダなものなので、他にも手段がないか頭を捻る。


「車さえあれば、乗り合いで運転してくって手もあるかも?」

「免許持ってるヤツどんだけ居るんだよ。限定免許なら持ってるけど、あたしは原付しかまともに運転したことねーぞ」

「私、持ってないよ」

「私もです……」

「一応持ってるけど、ペーパーだし、東京までってなると心配があるかな」


 よって車案もナシ。

 他に検討するような案も思い浮かばず、結局のところ移動手段は新幹線に決まった。あとは、どう金をねん出するかである。


「四~五万……うーん、お年玉貯金を崩せば準備できなくもないけど」

「私も、バイト代の貯金があるから、出せない金額じゃないかな」

「マジかよ。お前ら金持ちだな」


 多少渋りつつも乗り気な蓮美と千春に、涼夏は訝し気な視線を向ける。


「緋音は……って、聞くまでもねーか」

「旅費くらいなら……両親にお願いすれば……大丈夫かと」

「お嬢様め羨ましいわ」

「あの……良かったら、みなさんの分も私が出しましょうか……?」

「そういうこと軽々しく言っちゃ駄目だよ、緋音さん」

「そ、そうだよ! 無自覚紐製造マシンになっちゃダメ!」

「ご……ごめんなさい……!」


 心配する千春たちのバッシングを受けて、緋音はおずおずと自分の提案を引っこめる。残った涼夏は、渋い顔をしながら天井を見上げた。


「しゃーねぇ、バイトすっか」

「え……涼夏さん、バイトとかできるんですか?」


 問いかける蓮美に、涼夏はムスッとして答える。


「ツテはあんだよ。金無い時にたびたび世話になってるとこ」

「まさか……闇バイト!?」

「あたしのこと何だと思ってんだよ。普通に割の良い夜のバイトだよ」

「割の良い……!? 夜のバイト……!?」


 愕然として、蓮美はその場で固まる。

 割の良い夜のバイトと言われて、ぱっと正解が思い浮かぶほど彼女の人生経験は多くない。一方で、彼女の少ない経験から想像できる夜のバイトのイメージは、決して健全なものではなかった。

 居酒屋くらいならまだいいが、スナック、キャバクラ、ガールズバー。

 はたまたR18な世界だったり、いっそパパ活なんてことになったら――


(何のバイトやるんだろう……き、気になる)


 興味はあるが、直接問いただすのは怖い。

 もんもんとした気持ちだけが、胸の内をぐるぐると渦巻いていた。

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