私が愛してあげる

序 子猫と女の子

 絶対に殺してやる。顔面を切り裂いてぐちゃぐちゃにして、手足の指を切り落として、全身の皮を剥いで、はらわたを引きずり出して、骨と肉の区別がつかなくなるまで叩き潰してやる。何度殺しても殺し足りない殺せない私の母はどこにもいない。私はひとり。母をおかしくした奴は絶対に許さない私が殺す私が母を守る私はどうでもいい私は生きていなくてもいい私は怒りで叫んでいる私はこのまま死んでしまう……。

 真っ暗な自宅。母は泣いている。父はいない。私は叫びながら中年の男を殴り、蹴り倒し、金属の棒で顔面を叩き続ける。男は刃物を片手にうめき、全身から血を吹き出しながらなお、母を罵倒している。母は泣いている。父はいない。私の声は枯れてきた。でも怒りの叫びは収まらない。まだ殴り足りない母の悲しみを癒やすすべはない。私は怖い。悲しい。悲しい。寂しい。助けてほしい……。

 気づけばほとんど肉塊と成り果てた男は、まだ罵倒を浴びせかけてくる。まだ抵抗してうごめいている。なんて醜く汚いやつなんだろう。私はまた叫ぶ。母は泣いている。こいつが母を苦しめた私を苦しめたんだ。絶対に許さない殺してやる。

 


 気づくと朝の7時を過ぎていた。私はいつの間にか自分のベッドに横たわっていた。全身冷や汗をかき、呼吸は荒く、心臓は肋骨を突き抜ける勢いで鼓動している。

 あと何度この悪夢を見れば私の心は落ち着くのだろう。掛け布団をたたみながら私は汗を袖で拭う。それにしても今回は酷かった。夢の中の私はいつにもまして叫んでいた。怒りに我を忘れ、男を撲殺していた。私は夢を見ながら泣いていたらしかった。まぶたが腫れているのを感じた。

 布団をたたみ、靴下を履いて窓を開け、深呼吸した。まだ激しい鼓動は収まらない。秋らしい爽やかな快晴だったが、とても空を見上げる気分になれなかった。

 「おはよう、今日は一日あったかいみたいよ」

 先に起きていた祖母が能天気に部屋に入ってきた。私は「おはよう」と返す気になれず、ん、と声を絞り出して応えた。まぶたが腫れ上がっていることに気が付かれたくなくて、顔は下に向けたまま、祖母と部屋を出てリビングに向かった。

 「今日は10月7日金曜日、東京は気持ちの良い朝を迎えています。それでは関東地方の天気です」

 アナウンサーの晴れやかな声が響くリビングでは祖父が新聞を広げている。ソファーで毎朝一面とテレビ欄を確認するのが祖父のモーニングルーティンである。

 「えまちゃん、今日は大学?」

 キッチンで朝食の支度をしている祖母が尋ねる。私は小さくうん、と返した。

 あと一週間で卒論の中間発表レジュメを完成させないといけない。参考文献と発表する資料は揃っているが、まだ半分も書き上がっていない状況だ。今日中にはなんとか下書きを終わらせて教授に見てもらわないと……。寝ぼけた頭で一日の憂鬱な予定を組みながら、ふとテーブルに目をやった。そこには見慣れぬ封筒が一つおいてあった。宛先は私だ。

 「そういえば、えまちゃん宛に封筒届いてるよ、珍しいね」

 新聞を読んでいた祖父が同時に私に声をかける。私宛の郵便物といえば大学からのお知らせくらいしかないので、誰から来たのか心当たりがない。

 送り主を確認しようと封筒を手に取り裏返したが、なんの記載もなかった。

 「送り主って書かなくても届くんだっけ?」

 「さあ、でも昨日付けの消印はあるよ」

 独り言のように聞いた私に祖父が返す。確かに、切手の上に消印がついている。

 誰からだろう、と回らぬ頭で考えながら封を開けた。そこには封筒の大きさに見合わぬ小さなピンクのメッセージカードが入っていた。

 “えまちゃんへ ひさしぶり!アメコだよ。たったいまお家のまえについたから、玄関あけてね! アメコ”

 ……新しい詐欺か。こんな嘘くさい文章で誰を騙そうってんだ。

 はあ、と気の抜けたため息をついた瞬間、外から猫らしき鳴き声が聞こえた。

 「野良猫か?最近見なくなったけど、どこだろう?」

 猫好きの祖父が窓を開け猫の姿を探し始める。

 しばらくして祖父があっと大きな声をあげた。 

 「えまちゃん!大変だ!猫、猫が……」

 祖父の横から顔を出して玄関先を見ると、薄茶色の子猫がお腹のあたりから血を流して横たわっていた。子猫は助けを求めているのか、必死に鳴いている。

 「じいじ!新聞紙と手袋ちょうだい!とりあえずあの子家に入れないと!」

 いつの間にか眠気が飛んでいた私は祖父の手から新聞をひったくり、ビニール手袋を雑にはめながら玄関に急いだ。子猫の鳴き声が大きくなる。

 「待っててね!すぐお家入れるから……!」

 一番手前にあったサンダルをつっかけて玄関を飛び出し、子猫をそっと触ると、安心したのか鳴き止んでくれた。しかし、お腹からかなり血を出しているようで、体を小刻みに震わせている。体温がこれ以上下がっては危ない。私は手にしていた新聞紙で子猫を包み、家に入れた。事態を察した祖母がタオルをたくさん用意してくれていたので、タオルをお腹に当てて止血し、大きめのタオルで子猫の全身を包んだ。

 とにかく病院に連れて行かないと!慌ててスマホで付近の動物病院を検索する。幸いにも歩いて10分ほどの場所に救急対応をしている病院があった。

 「今すぐ行ってくる!とりあえず1万円は持ってるから!また病院ついたら連絡する!」

 早口で祖母に伝え、子猫を抱えて玄関を出ようとしたその時、見知らぬ女の子が玄関先に立っていることに気がついた。女の子の手には包丁が握られている。包丁は血で濡れている。女の子は何も言わず立って私を見上げる。その表情は笑っているとも泣いているともつかぬ、不気味な顔だった。私は考える間もなく、すべてを理解した。この子がこの子猫をやったんだ!

 「あなた……」

 事態の恐ろしさと唐突さに言葉のでない私に女の子はこう告げた。


 「わたしを、たすけて」

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