サトシ君 その3

 桐谷圭一郎は群馬県前橋市から一時間程の場所にある、とある団地を訪れていた。


 その団地は、閑静な住宅街を抜け、山々が立ち並ぶ風景を横目に緩やかな上り坂を登ったところにあった。


 見渡す限りに県営の集合住宅がならんでいた。


 泉名探偵事務所にて虎元から寄せられた情報によると、ここで秋山聡という子供が亡くなったということだった。


 『サトシ君』の話の男性や、被害者となったサトシ君の事件が起こった年代については不明であった。


 しかし、怪談の中での事件は全てがリアルに語られており、おそらく現実に起きた事件なのであろう。虎元はそう考えたのだ。


 そして、今までの事件があった地域と被害者の名前で絞ることで関係のある事件が見つかるのではないか、と考えたわけである。


 その考えのもと、過去の事件に対していくつかの条件で絞ると、ここ、北白槍団地でまさに同じような事件があったことが分かったのだ。


 普段は頼りない男であったが、やはり探偵の調査能力も大したものだ──桐谷は素直にそう思った。

 

 虎元は次に調べに行くと言ったが、桐谷は自分に調べさせて欲しい、と懇願した。


 依頼人と探偵という関係からは変な事を言っているのは承知していたが、どうしても自分の目で見たくなったのだ。


 それは、怪奇な事件の裏側を覗きこみたい、怪談師の矜持と言えるのかもしれない。


 そして、親しかった友人が実際に見て、聞いたものを自分の足で見聞きしたい。そんな思いを抱いていたから、なのかもしれなかった。


 とにかく桐谷は、話を聞いたすぐ翌日に北白槍団地に向かうことにしたのだった。


 事件が起きたのは、1996年、平成八年の夏の頃だった。秋山聡君は当時五歳。


 母子家庭として育つ中で、唯一の家族である母親の秋山聖子の育児放棄により、幼く、尊い命が失われた。


 母親もまたトラブルを抱えていたらしく、精神のバランスを崩していたという。そのことが引き起こした事件であったことから、責任能力の有無をめぐって裁判が行われた。


 長引く裁判の結果、責任能力なしと判断され、執行猶予付きの判決が下されていた。秋山聖子は即日釈放された。


 なんとも悲しい事件であった。

 

 少し団地内を暫く散策したところで、目的とする建物はすぐに見つかった。


 団地の並ぶ建物の中心部にぽっかりと空き地が広がり、真ん中にプレハブ作りの倉庫が据えられていたのだ。


 桐谷はプレハブ小屋の前に立ちその姿を見ていた。


 ここがサトシ君の住んでいた団地の跡地に違いない──そう直感した。


 とすると。


 背後を振り返った。


 用水路を挟んだ向こう側に古い団地が見えた。その壁には大きくに五号棟と書かれている。


 間違いない。ここがあの怪談の語り手の男性、A氏の実家があったのだろう。もっとも、語り手であるA氏はもうここには住んでいないはずではあるが。


 探偵のような調査はできないが、怪談師としての情報収集はできる。それはこの職を続ける上での生命線でもあった。


 おそらく小野も同じようにしていたに違いない。この五号棟を中心に話を聞いて行けば何かわかるだろう、そう考えた。


 少しの間、五号棟の前で待つことにした。平日の昼間だけあって人は少ない。とても静かであった。遠くは山々に囲まれ、豊かな自然が目の前に実感できる。良いところだと思った。とてもそんな事件が起きたとは思えないほどである。


 いくらか時間が経った後、この五号棟に住んでいると思われる老婆が出てきた。長年の苦労が滲み出るような、人の良さそうな顔をしている。


 「あの、すみません、少しお話をお聞きしたいのですが良いでしょうか」

 老婆は驚いた表情をした。


 桐谷は出来るだけ優しそうな顔を作ろうと必死に取り繕った。我ながらよく分かっている。ただでさえ背が高い上に顔が怖いのだ。


 黙っているだけで怒っていると捉えられる損な風貌をしているのだ。仕事の上ではむしろそれが怪談師として有利に働く時もあるのだが。


 情報収集をする際に警戒されることには慣れていた。だからこそ粘り強く聞くということを、桐谷は体で覚えているのである。


 「この団地に昔三号棟があったと思うのですが、そのお話をお聞きしたいのですが」


 「はあ、三号棟かい。またその話ですか、あんたも気になってるのかいな」

 予想していなかった反応に少し驚いた。


 「え…どなたかがここに来られていたのでしょうか」


 「ああ、ちょっと前、と言っても一年以上前かな、佐島さんの件で何やら調べていたみたいだよ」


 「佐島さん…ですか」


 「なんだ、違うんけ。もう何十年も前に三号棟で飛び降りがあったのよ。その時の女性よ」


 佐島さん──?飛び降りた女性?そうか、あの話では江島という名前で登場した女性か。仮名だったのか。


 「ああ、佐島さんですね。そ、そうでした。差し支えなければお話をお聞かせ頂けますでしょうか」


 こちらの動揺を悟られないように取り繕う。


 「ああ、別にいいけど。なんだってあんた達はこぞって話を聞きたがるのよ」


 「お手をわずらわせて申し訳ありません。あの…その前に、お話を聞きにきたという方はどういう…?」


 「うーん、変わった人だったよ。何が気になってたんだかよくわからんかったがね。


 変な格好した連中がいなかったかとか、そんなこと気にしてたわ」


 「それは…ひょっとして、小野という男ですかね」


 「ああ、そんな名前だったわ。なんだ、あんた知ってるんじゃないの」

 なんという偶然だろうか。


 それにしても、小野はあの話の語り手以外にも話を聞いていたのか。


 いや、小野はそう言う男だったはずだ──面白い話をリアリティある形に落とし込むため、出来るだけ多くの情報を探す。そういう男だった。


 「その人元気にしてる?ずいぶん一生懸命話を聞いてったけどさ、探し物は見つかったのかしら」


 「あ…いえ、ちょっとそれは私にも分からなくて」

 桐谷は小野が亡くなった事ははぐらかした。悪意はなかったのだが。事実を伝えてもよかったが、何故だか躊躇ってしまった。


 「その、小野さんは秋山聡君についてもお尋ねしませんでしたか?」


 「ああ、サトシちゃんね。もちろん事件のことは知ってるわよね。可哀想よねぇ。でもそれ以上の細かいことは私もよく知らないわよ。


 小野、って言う人でしたっけ。その人は親の聖子さんのほうを気にしていた気がするわ。何を調べてたんだかよく分からなかったけどねぇ」


 「そうですか…その、聡君の事件や、聖子さんのこと、小野さんにお伝え頂いたお話を聞かせて頂きたいのですが」


 「まあなんなのか分からんですが、いいですよ。こんな年寄り、どうせ暇ですからいくらでも聞いて下さいな」

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