或る廃病院にて その2

 「ここまで来て帰るのもな…さっさとそのナースステーションを覗いて帰ろうぜ」

 三人はゆっくり階段を登って行く。


 階段を折り返すと少しずつ二階が見えてきた。

 比較的広い空間が広がっている。


 Mを先頭に注意深く辺りを見回しながら登り切った。


 「こ、ここがそうだよね」


 「なんていうか、なんにもないな」


 そこは、がらんとして何も物がない、ナースステーションだと言われなければ何をする空間かも分からないような場所だった。


 辛うじて看護婦達が作業していたであろうスペースがわかる程度で、それ以外はがらんとしていた。


 「なんだ、やっぱただのタチの悪い噂だったんだ」


 「まあそんなもんだろ。車椅子でも置いてありゃ別だけどさ」


 「まあこんだけ広ければ幽霊も歩きたい放題だな、ははは」


 張り詰めていた空気が一変して、一同は軽口が言える程度には余裕が出ていた。


 そのとき。


 パキン!


 また音がした。しかも大きい。


 「うわ!」


 思わず全員が声を上げた。


 「い、今の音、そっちの方で鳴ったよな」


 Mの指す方を見るとナースステーションの角に、ここからは死角になっている窪みがあった。


 「そ、そこの辺りだよな、どうなってるんだよ」


 懐中電灯で照らすが死角になっているため奥がよく見えない。


 「行くぞ…」

 恐る恐るMが回り込むように歩き出す。


 「あ。おい、ここにドアがあるぞ」


 「ええ、まじかよ」


 IとMもまたMに近づき覗き込む。


 「なんでこんなところに。しかもこの扉めちゃ重そうじゃないか」


 「鉄で出来てるんじゃないか、これ。開くのかよ」


 「なんか手のあとついてないか?」


 「う…わぁ、まじだ」


 古い鉄の扉に赤黒い汚れがついている。確かに手の形に見える。それが血のあとのようにも見えた。


 「あ、開けてみるか」


 「えええマジかよ」


 「さっきの音、この中から聞こえた気がするんだけど…」


 「お前、怖いこと言うなよ」


 「いいか、開けるぞ」

 Mが扉のドアノブを掴み、力を入れて手前に引く。


 ギィ、ギィ…

 「う…ふう…」


 扉は軋む音を立てながら僅かに隙間が開いた。


 「だめだ、これ以上は開かないな、ちょっとは中が見えるかな」

 狭い隙間から懐中電灯を照らす。


 「うわ、寒いな…」

 隙間から冷気が吹き出してくる。


 「ん…?」


 「どうしたんだよ、なんか言えよ」


 「あ、いや、何も無い?」


 そこには、8畳程度の広さの、無機質な空間が広がっていた。壁も床の色も燻んだ灰色一色だ。何より、窓が無いからか、息が詰まりそうだった。


 外から見ただけでもこの部屋は異質なものだった。


 「なあ、ここってさ」

 Iが口を開く。


 「霊安室みたいじゃないか?」


 Bがぎょっとした顔をする。


 「お前、何言ってるんだよ…」

 Mは掠れた声を振り絞る。

 三人ともどこかで同じことを思っていたのだ。


 「なあ、さっきのさ、案内図見ただろ。

 霊安室なんてあったか?なかっただろ?」


 「いや、俺もそれは気になってた。所詮は噂だからだろうと思ってたけど」


 「なあ、霊安室が無ければさ、そんな噂が出るはずないじゃんか。でも、ここを見たらさ、そう見えるだろ」


 「お、お前馬鹿かよ、ナースステーションの裏に霊安室なんてあるはずないだろ」


 「そうだよ、大体一階の奥とか、地下とか、そういうところにあるイメージだよ」


 「いやだから、実際に霊安室かどうかは関係ないんだよ、ここを見た人間がどう思うかだろ」


 「ってことは…例の凶器を持った男がうろついているってのはここのことか?」


 その時。

 

 ドン!

 

 突然部屋の中で何かが落ちた音がした。

 「ぎゃああ」


恐怖で三人はパニックになった。


 その時──Mが突然前屈みになり、そのまま突っ伏したように倒れた。


 「お、おいM大丈夫かよ」


 「ア…ガガ…ァア…」


 Mは声にならない声で苦しそうに喘いでいる。

 息が出来ないのか?


 今の今まで普通にしていたはずなのに。


 「I、やばいぞこれ、早く逃げよう」


 「そ、そ、そうだな、おいMしっかりしろよ」

 BとIはMの肩を担ぎ、引きずるように来た方向へ歩こうとする。


 階段の手前まで歩いたところでBはふと気になった。


 扉は開けっぱなしでいいのか?閉めてあることに意味があったんじゃないのか?


 なぜそう思ったかは分からない。

 どうしても気になった。

 視線を扉の方向へ向ける。

 すると…

 扉の隙間から。

 真っ黒い指が見えた。

 ゆっくりと、扉を掴んでいる。

 内側から出た指は、今にも扉を開けようとしているのだ。

 ギィ、ギィ、ギィ…

 

 扉の軋む音が響く。

 「うわぁぁあああ!!!!」

 そこからIとBは一心不乱に廃病院の外まで走っていった。


 肩をかついでいるMは相変わらず声にならない声で唸りを上げている。

 

 廃病院を出たあともMの意識が戻らなかった。IとB、そしてMは近くの救急病院に駆け込んだ。


 Mは二日後に目を覚ましたが、扉を開けてからの記憶は全くないそうだ。


 そして──

 意識が戻った後も、Mが声を出すことは無かった。


 医者の話によると、Mの喉は完全に潰されていたそうだ。どうやら喉仏のあたりにかなり強い圧迫をうけたようだ、と説明された。


 Mはその後懸命なリハビリにより、日常生活に支障はない程度までには回復したそうだ。

 BとIはどこか気まずくなり、今では会う機会は少ない。


 あの時見た黒い指の正体はなんだったのだろうか。


 Mはなぜ喉を潰されてしまったのか。


 まさか、あの指が首を絞めたということなのか。

 

 廃病院は今もまだ存在している──

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