そうして僕は死んだ

第1話 そうして僕は死んだ1:序章/死の概念を考える時がきた

 ■そうして僕は死んだ(改定版)■

 

   ~準備~



 近所に大きなショッピングモールが出来た。中には有名なブランド店が入っていて、地元ではとても珍しく、一度入れば綺麗なディスプレイが客の足を何度もそこへと向かわせている。

 今日、僕もそのモールに訪れた。たいして興味があるわけじゃない。ただ僕は紳士服売り場へと行き、ベルトを買おうと思った。何気なく。そう、とても何気なく「ベルトを」と思った。

「プレゼントですか?」

 店員は物色している僕に近づいてそう聞いてきた。

「これ、いくらですか?」

「三九八〇円です」

 高い—

 僕は少し考えた。自分にふさわしい値段はいくらかと。一番安いものは駄目だ。質が悪すぎてすぐ切れてしまうから。しかし、一番高価なものも、また駄目だ。僕には高級ベルトを買うだけのお金はない。

 一九八九円程度のものが、僕の財布とは相性がいいのだが・・・。

僕は二九八〇円のモノを購入することに決めた。

「ラツピングしてもらえますか?」、

「かしこまりました。」

 普通に受け答えをしてくれた。

 どこも何もおかしいことなどなかった。しいて言うなら、誰かのプレゼントでもないのに僕がラッピングを頼んだということだけだろうか。でも、そんなことは僕の心の中の秘密なのだから、この店員が知る由もない。いや、普通に受け答えしているこの店員が、実は僕の姿をみて「何故こんな若い学生がモールにまで来てベルトを買うのだろう」と思っているかもしれない。

 僕はどきどきしながら、金を支払い、ラッピングされるのを待った。

「お待たせしました。」

「ありがとう」

 これも普通の受け答え、なはずだ。

 僕は慌てて売り場を後にした。おかしくない。僕はどこもおかしくないのだ。

 大丈夫―

 売り場の店員の僕に対する考えを気にしながら、僕は帰宅した。

家にはいつも通り誰もいなかった。父は仕事。母はデパ地下の惣菜売りのパート。

「ただいま」

わんわんと飼っているペットのマルチーズの平が僕を出迎えてくれた。こんな僕を家族の誰よりも主人としてくれ、信頼してくれている、可愛い僕の家族。僕が帰宅する度に出迎えを欠かさない子だ。婉曲したかわいい尻尾をちぎじれんばかりに振っている。

僕は平を抱き上げた。

「平ちゃん」

 僕が名前を呼ぶとさらに尻尾を振る。

 僕は平の体臭を嗅いだ。シャンプーのいい匂い。平の匂いに安堵し、僕はさっきまで尾を引いていたあの店員の亊を忘れた。

 平を抱きかかえたまま、リビングに行くと時計がもう5時をまわっていた事に気が付いた。

「平ちゃん夕飯たべないかんな」

平を床に下ろし、 僕は平のドックフードが入っているタッパーを台所から取り出してきて、平の器に入れた。

「平ちゃんーゴハン。ご飯」

 平は僕の声に反応して尻尾は振っているがエサに近づこうとせず、僕と距離を置いておとなしくお座りをして、僕を見上げていた。「まだ、お腹空いてない?」

 置いておくから食べてね。

 平は尻尾を振るのを止め、眉間にしわを寄せた。

 平とはもう8年もずっと家族関係にある。 飼い始めた最初の頃は、犬にある表情は尻尾だけだ、と思っていた。だが、実際、何年も飼ってみると表情豊かなことが分かる。平のささいな喜びも、悲しみも、がっかりした様子も、飼い主同士の馬鹿げた喧嘩に困ったことも、トイレに行きたがっていることも、お腹が空いていないことも、お気に入りの服を着たがっていることも分かるようになった。後から考えると、それだけ表情豊かだということは、それだけ頭が良いということで、それだけ、主人の様子も平からすれば一目瞭然なのだろう。

 僕は平の頭を一撫ぜすると、二階の自室へと篭った。

 一〇分あればいい―いや、五分あればいい。

 それで完成する。父と母が帰宅する前にしなければ。

僕は、ラツピングされたベルトをベッドの上に置き、本棚に目を通した。

不要なものは捨ててしまえ―

本棚には大学で使っている教科書、プリント等々があった。

とりあえず、去年までのプリントはいらないだろう―

そう思って、古い教科書、プリントをゴミ箱に捨てた。小さいゴミ箱に入りきらず、僕はゴミを押し込んだ。

中学生時代から描いていた絵も見つけた。その絵を見て、生徒時代の自分を思いだした。僕は、中学生の時から絵描きになりたかった。なりたくて、なりたくて仕方がなかった。受験が今は大事だから絵はダメだと激しくしかる母親に内緒で夜な夜な描いて、一度出版社に投稿したことがあった。でも、入選すらしなかった。僕には才能がないのだと思った。それから僕は本格的に描くことをやめてしまった。僕は絵を自分の中でただの趣味だという位置に収めた。

高校に進学すると、僕は部員合わせのために美術部に入れられた。頭数合わせのための入部だったから、籍だけ入れていた。僕は人前で絵を描く事を自ら禁じていた。

才能の無い絵をわざわざ人に見せびらかしたくない―

そんな理由からだった。しかし、ある夏、僕は出展物が足りないからなんとか描いて出展してくれないか、と顧問の先生に頭を下げられた。先生は僕を学校中探し回っていたようで息が荒かった。 

僕はそうまでしてくれたのなら・・・仕方ないと思い先生のお願いを受け入れた。そして、僕は押入れの奥底にしまった画材一式を数年ぶりに取り出した。

画材たちは押入れの奥底にしまっていたせいで、夏にもかかわらず、ひんやりと冷たかった。手に取ると冷たさが胸を突き刺した。また、筆の金属部分は錆びていて、放置していた傷跡のようだった。

僕は、当時ルノワールが大好きだったので、ルノワールの模写をすることにした。

僕はルノワールのポストカード「ピアノを弾く少女」を取り出し、壁にピンで貼ってそれを見つめた。見つめて、目を瞑る。

頭の中で、しゅるしゅると糸が現れ、ポストカード通りの絵が仕上がっていく。

少女の目線、髪、指、楽譜、ピアノ・・・どんどん仕上がり、着色もされていった。

そして、頭の中で模写が完成すると、僕はポストカードに背を向け、机の上の画用紙に向かって模写をし始めた。

本来、模写をする場合、技法を用いるのだが、僕は違った。目で見て、覚えて、感覚のみで描いていた。だって僕にはそれで十分事足りていたからだ。

僕はラフを描き終え、壁に貼ってあったポストカードを取り、ラフの画用紙と重ね合わせて透かしてみた。

「ぴったり・・・」

技法を用いて物差しで計らなくても僕は完璧に模写することが出来た。その完璧さに喜んでいると、ふと、中学生時代のことを思い出した。

僕はどうして入選しなかったのだろう―

そんなに絵が下手だったのだろうか。

以前、顧問がどうしても僕の描いた絵が見てみたいと言ったので、他の部員には内緒でこっそり自分の絵を部室に持ち込んで顧問に見せたことがあった。顧問はちょっと有名な油絵師で、本も出版していた。

顧問は僕の絵をじっと見た。随分長い間黙って僕の絵を観察していた。

僕は、その評価をされているなんとも言えない時間がたまらず、勇気を振り絞って聞いた。

「僕、絵が下手ですか?」

早く答えが欲しかった。下手なら下手だと言って欲しかった。上手なら、僕の絵を見た瞬間歓声のひとつでも上がっただろう。でも実際、先生は黙っていたのだ。僕は絵が下手なのだ。早く断言して欲しい。

顧問は、 

「人より上手い。ただ、どうしてもっと前から基礎の練習をしなかったのかと残念に思うよ」

と言った。

僕はそれを聞いて、そうですか、と答えたけれど、本当はその言葉の意味をちっとも理解していなかった。本当はもっと突っ込んで聞きたかった。どうして入選もしないのか。僕には絵の才能があるのか、ないのか。でも、聞けなかった。

僕は「人より上手い」と言った顧問の言葉が頭を廻って、「人よりは上手いだけ」と自分で結論を出してしまった。

きっとそういう意味に違いないのだ―

僕は下を向いて、部室にこもっている油絵の油の匂いがいやにするなと思った。

その日はとても暑かった。

文化祭前日、僕はなんとか出展する絵を模写一点、日本画一点、ポスター一点の計三枚を仕上げて部室に持っていった。

部室に入ると部員たちは各々の力作を順番に壁に掛けていた。

一人の部員が僕の姿に気がついた。

すると、珍しい人が来ていると部員全員の視線が僕に集中し、自分の絵を額にいれて飾り始めている部員も手を止めて僕を物珍しそうに見た。

いやな状況だ。

僕は集中する視線から隠れるように、部室の片隅に行くと自分の絵を隠し隠し額に入れる作業をした。そして、ついに僕の絵が飾られる羽目になった。

一番初めに模写の絵が飾られた。皆黙り込んで僕の絵を見つめた。

ただ、みんな

えっ?

という表情をし、僕の絵を近くまで見ると次に遠く離れて見るという奇妙な行動を誰もがやった。だが、それ以上誰も何も動かなかった。

模写なのかなんなのかも聞かれず、ただ

「何で描いたの?」

と一言聞かれた。

「ポスターカラーで・・・」

当時僕はまだ高校生でバイトなどしてなかった。だから絵を出展してくれと言われたからといって、新しい画材など買えず、押入れの奥底にしまってあった、冷たくなった画材のみで描いた。単純に言えば、金はかかっていない絵だった。

僕は答えてから、しまったと思った。やはり出展はお断りするべきだったと思った。またあの中学生時代の悲しい気持ちが襲ってきた。

「ねぇ」

僕は下を向いたままじっとしていた。「ねぇ」肩を叩かれて初めて、それが自分に対しての呼びかけだと気が付いた。

「はい?」

顔を上げると、私服の知らない男が立っていた。

「はじめまして、美術部のOBです」

とその男は言った。

 僕は視線をその男の手にやった。右手の親指と人差し指の間の手のひらの指紋がつるつるになっていた。

「美大生ですか・・・」

「そうそう」

 よく分かったね、とにっこり微笑んだ。

 夏なのに、長袖のブルーのストライプシャツを着ていて涼しげに見えた。色白く、清楚な感じのする人だった。 

「文化祭終わったら、そのポスター貰っていい?」

 僕はきょとんとした。「なんかいい感じ。部屋に飾りたいと思って」と、次に飾らなくてはと思って手にしていた僕のポスターを指さした。

 僕は黙って額ごとその人に差し出した。正直理解できていなかった。

 こんな平凡な絵が欲しいのか?

と、そう思った。

美大生なのに?

大学に行けば、他にもっと上手な絵が転がっているだろうに。

「色がいいね、なんか伝わってくるよ」

 差し出しされた絵をその美大生は手にとりまじまじと見つめて言った。

 伝わる?

 僕の絵に込めた、僕の言いたいことがその美大生にバレてしまったのだろうか。僕はす少し、恥ずかしかった。

実を言うと僕はそのポスターを自分でも気に入っていた。というのも、そのポスターは自分が恋している人を思った、その自分の感情を描いて表した作品だったからだ。だから、僕が誰かに恋しているかどうかを、初対面の人に知られるなんてこれ以上もなく恥ずかしくなった。

「でもどうしてあの絵が欲しかったんだろう」

 僕は学生になった今でもその理由が分からない。何故あの美大生はあのポスターが良かったのだろう。

 単純な配色のポスター。

 ただ、描いている時は恋する人に恋焦がれてとても切なかった。切ない色の切ない絵だが、僕の手にかかり、結果的に平凡な絵になった。しかし、僕が持っていても仕方ないと思ったので、文化祭が終わると、とりあえず、その美大生にあげることにした。

あの時の美大生が今も僕のポスターを持っているかどうか今は謎だ。

 バサッ

 僕は絵に一通り目を通すとゴミ箱に捨てた。もう持っていても仕方が無い。

 僕には才能はなかったのだから。

 中学、高校で思い知らされた、その才能のなさに僕は嫌気が差して、大学入学後は一切筆をとらなかった。僕は僕の頭の中から絵という存在を完全に抹消した。

 そして、町を歩くと時々みかける絵の個展を見ると「才能があっていいね」と嫉む程度だったが、今となってはその嫉みさえなくなってしまい、「僕はなんてつまらない奴なんだ」と非難の矛先が自分になった。

「才能があったなら中学時代入選していたはずなんだ」

 僕は絵を全て捨てた。

 玄関と階段に飾られている絵を捨てると母親が妙に勘ぐるからあれらは放置して置こう。それに、3平方センチメートル描くのに6時間はかかった模写だから、そういう意味で捨てるのは阻まれる。それに、ゴミ箱に入りきらないし、と。

そうこう考えているうちに、玄関で鍵が開く音がした。

 しまった、母が帰ってきた―

 僕は心の中で舌うちをした。

「ただいま。平ちゃんただいまー」

 ご機嫌そうな母の声が玄関で響き渡り、その声は僕の部屋まで聞こえてきた。

 僕は慌てて部屋を見渡した。まずいものは置いて無いか確認した。そして、台所の様子や一階の部屋が片付いてたかどうか思考を巡らせ集中して思い出そうとする。もし散らかっていようものなら、怒鳴られるからだ。

 母は玄関に僕の靴があるのに気が付いたのか二階へ勢いよくドタドタと上がってきた。

 まずい!怒られる!―

「あ・・あ・・・」

 僕はさらに慌てた。

 そうだ、ベルト!―

 僕はベッドの下にラッピングされたベルトの箱を滑り込ませた。

 ガチャ 

 母が部屋に入ってきた。

「なんで下に下りてこないの?」

 母が帰宅するとすぐに出迎えていたはずの僕に、母は不思議そうな顔をした。

 その表情を見て僕は安心した。

良かった。今日は本当に機嫌がいい―

 いつもなら、また台所片付けてくれてないだとか、部屋が散らかってるのに片付けてくれていないだとか理由をつけては僕を殴ってくる。だから僕はまた怒られると思って、どきどきした。

「ちょっと部屋、のかたづけをしてた、から」

 母は僕の部屋を見渡した。

 見つかりませんように―

 どきどきが鳴り止まない。

「ゴミ多くなりそうね」

 心臓の音がやけに大きく響く。

「うん、ちゃんとかたづけておくから。ごめんなさい。ゆうはんは?」

 血の流れるざらざらした音が耳に届く。

「食べるよ」

 逃げ切れる― 

「じゃ、つくるから、下、いこう」

 僕はどきどきを隠して母を一階へと促した。どうやら、母を僕の部屋から追い出すことにも、しかられずに済むことにも成功した。今回は母から逃げ切れたのだ。

 一階に母と降り、僕は母のご機嫌を伺いながら夕飯を作りだした。

ベルトの購入が見つからなくって良かったと安心していた。もし見つかっていたなら、お金もないのに、こんな無駄なものを買ってとまた怒られ殴られていただろう。母も50を過ぎていたから殴られてもたいして痛くはなにのだが、何故か酷く痛いのだ。

 怒鳴られたくない。

 もう殴られたくない。

 あなたの怒鳴り声も、因縁をつけては殴るその暴力も、僕を蔑む言葉の暴力もなにもかも要らないのだ。

 階段を急に駆け上がってくる音が僕にはいつしか恐怖の音になっていた。

 もうずっと前から。

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