第2章

第21話 シャッテンヴァイデ伯爵家

 夜会の翌朝、王宮を出立する前の俺たちに、国王とシュルツ侯爵が挨拶に来ていた。


 国王が穏やかな笑顔で告げる。


「貴公のおかげで、私の心労もすっかりなくなった。

 最初はどうなることかと思っていたが、今では頼もしく思っている。

 領地経営には苦戦するかもしれないが、貴公ならばきっと大丈夫だろう」


 どういう期待なんだろうな。俺は旅の傭兵だったっつーのに。


 シュルツ侯爵がいつもの笑顔で俺に告げる。


「君の名声が上がれば、侯爵位を授与して王宮で内政の手伝いをしてもらうプランもある。

 今はまだ、時期尚早だろうけどね。

 それとアヤメ殿下とも、早めに婚約を締結してあげるといい。

 セイラン国の王女という立場は、一般には伝わりづらい。

 それよりは領主の婚約者という立場を用意してあげた方が、彼女の立場を守ることになるだろう」


「俺は嬢ちゃんと結婚する気なんかねーぞ?!」


「ハハハ! 婚約なんて、いつでも白紙にできるだろう?

 滞在中の保険だと思っておけばいいのさ」


 軽いなぁ、貴族の婚約は。


「――はぁ。わかったよ。なるだけ検討はしておく。

 二か月間、世話になったな」


 俺とアヤメ、フランチェスカは、国王たちに見守られながら馬車に乗りこみ、シャッテンヴァイデ伯爵領に向けて出発した。





****


 護衛の騎兵を随伴しつつ、馬車は王都から南下していく。


 王宮から派遣された使用人が乗る馬車と、食料品を乗せた馬車も続く。


 野営であろうとそれなりの飯が食えるようにということなんだろう。


 貴族の長旅は快適そうだな。別にここまでしなくてもいいと思うんだが。


 とはいえ、アヤメは成長期、保存食で過ごす期間は短い方が良い。


 それを思えば、この待遇も仕方ないと思える。


 なぜか俺の膝の上に乗るゲッカを撫でながら、窓の外を見ている俺にフランチェスカが話しかけてくる。


「本当に殿下と婚約するんですか?」


「必要なら、それも考えた方が良いだろう。

 レーヴェンムート侯爵ですら知らなかったセイラン国の王女なんて、町の人間はまずわからん。

 俺の、領主の婚約者と言う立場が嬢ちゃんを守ることになるなら、仕方ねーけど受け入れる」


「ですが勝手に婚約を結ぶ真似など、我が国の陛下はお許しにならないでしょう。

 最低でも使者をセイラン国に送り、事情を伝える必要があります」


「片道三か月の船旅か……応じてくれる部下が居るかねぇ。

 第一、言葉が通じないんじゃないのか?」


「セイラン国には大陸公用語の話者も、少ないですが居ますから。

 でなければ私がこうしてここに居ることもできませんでしたよ」


 ああ、そういえばフランチェスカは、十五歳でセイラン国に渡ったんだっけか。


 それで王女の傍仕えにまで上り詰めるとか、すごい根性だよな。


 アヤメが楽しそうな声で俺に告げる。


「私とフランチェスカが手紙を書けば、あとはそれを届けるだけでいいよ。

 お父さんが返事を書いてくれるだろうから、それを受け取って帰ってくるだけ。

 時間はかかるけど、往復半年間のお使いだね」


 そうか、往復半年か。婚約を決めても半年かけて返事をもらうまで確定しないってことだよな。


 いつでも破棄できる、形だけの婚約だと念押ししておけば、応じてくれやすいかもしれん。


 となると、動くなら早い方が良いか。


「フランチェスカ、嬢ちゃんの身元を保証するための婚約だって話で手紙を書いておいてくれ。

 嬢ちゃんは何を書いてくるかわからねーから、そっちは本気にしないように念押しをしてな。

 領地に着いたら急いで使者を見繕って、セイラン国に行ってもらおう」


 フランチェスカは憂鬱そうに息をついて応える。


「仕方ありませんね。そういうことであれば、そのように手紙を書きます。

 ですがセイラン国は独特の風習がある国、私もすべてを知っている訳ではありません。

 揉め事になっても、責任は取れませんからね」


「それでよく傍仕えなんてなれたなぁ、あんた」


「たまたま大陸出身者だったから、白羽の矢が立ったというだけです。

 セイラン国の言語を覚えるだけで五年かかりました。

 風習を覚えるなんて、それこそ時間が足りませんでしたよ」


 なるほど、忠誠心だけは認めてもらえてたってとこか。


 元々、それほど長く滞在させる気もなかったのかもしれん。


 なるだけ早くアヤメに満足してもらって、セイラン国に送り返した方が良いなぁ。



 一人楽し気に微笑むアヤメと、悩める俺とフランチェスカを乗せ、馬車は街道を南下していった。





****


 二か月ぶりの港町オリネアに辿り着いた馬車は、大きな屋敷の門をくぐり、玄関の前で止まった。


 門に兵士が立っていたから、執事が中で仕事を回してるはずだよな。


 俺たちが馬車を降りると、玄関の中から身なりの良い老人が一人出てきた。


 老人が俺にうやうやしく頭を下げて告げる。


「お帰りなさいませ、旦那様。お待ちしておりました」


「あんたが執事って奴か?」


「はい、クラウス・ヴィルトと申します。以後、お見知りおきを。

 ――どうぞ、こちらへ」


 俺たちはクラウスに案内されるまま、屋敷の中に足を踏み入れた。



 屋敷の中は綺麗に掃除されていて、埃一つない。


 あちこちで使用人が仕事をする手を止め、俺に頭を下げていた――居心地わりぃなぁ。


 使用人にかしずかれるとか、俺の柄じゃねぇんだが。


 リビングらしき場所に案内され、俺たちはソファに腰を下ろした。


 俺たちに続いて、年配の侍女が入ってきて、クラウスの横で頭を下げた。


「エレン・エルツェッグと申します。

 侍女頭として、クラウスのサポートをしています。

 アヤメ殿下のお世話を担当させていただくことになります」


 なるほど、女子の世話には侍女が付くのか。


 気配りがこまけーな、貴族社会。


「二人とも、よろしくな。

 そうかしこまらなくていいぞ? 俺の肩がこっちまう」


 クラウスが真顔で俺に応える。


「いえ、これが我々の職分ですので。

 むしろ旦那様が貴族社会にお慣れいただくべきかと」


 ゲ、マジか。厳しいな、この執事。


「わかったよ、お前らはお前らの好きにやってくれ。

 だが俺は自分を曲げる気はねぇ。こっちも好きにやらせてもらう」


「はい、事情は伺っております」


 本当かねぇ……ま、お互い納得できたならそれでいいか。


 俺はいつの間にか侍女が入れてくれていた紅茶で喉を潤し、長旅の疲れを癒していた。


 クラウスが俺に告げる。


「旦那様、一息つかれましたら、お召替えをお願いいたします」


「あー、この旅装で部屋に居るなってことか? 王宮だと許されてたんだがなぁ」


「王宮ではゲスト、ここでは主人として適切に振舞って頂きます。示しが付きませんので」


「クラウスお前、本当に厳しいな……しょうがねぇ、着替えてやるか。

 嬢ちゃんたちはどうなるんだ? こいつらも着替えるのか?」


「できればそうして頂きたいのですが……」


 クラウスがちらりとフランチェスカに目くばせをした。


 フランチェスカは堂々とした姿勢で応える。


「殿下にセイラン国の物ではないお召し物をお着せするわけにはまいりません。

 今はこの衣装しかありませんが、毎日≪浄化≫で洗浄していますので、問題はないかと」


 クラウスが頭を下げて引きさがった。


「かしこまりました。ではそのように」


 俺と違って、あっさり引き下がったな。


 ……ああ、俺にとって国外の王族をゲストに呼んでる形になるからか?


 まさか、婚約者って話まではまだ伝わってないはずだしな。


 しかし、服が一着だけってのは不健全だ。


 いくら綺麗に洗ってるからって、それじゃあ王族としての説得力がないだろう。


「クラウス、急いで手配してもらいたいものがいくつかある。頼めるか」


「はい、なんなりと」


「まずセイラン国に手紙を届ける使者を見立ててくれ。

 俺と嬢ちゃんとフランチェスカ、三人で手紙を書く。その返事をもらって来て欲しい。

 それとセイラン国から、着る物を作れる職人を連れて来て欲しい。

 素材になる生地を取り寄せる契約も結んで欲しいな。

 それでこの町でも、セイラン国の服を作れるようにしてくれ。

 ――できるか?」


 クラウスは動じる様子もなく俺に応える。


「はい、かしこまりました。お任せください。

 お手紙の方は、なるだけ早めにご用意ください。

 一週間以内にセイラン国へ旅立たせます」


 俺が頷いて、着替えるために立ち上がると、アヤメが不思議そうな顔で俺を見上げて告げる。


「ねぇヴァルター、なんでセイラン国から職人を連れてくるの?」


「嬢ちゃんの服を作るのに必要だからだ。

 成長期の嬢ちゃんじゃ、サイズを測って取り寄せるだけで半年かかるのはキツい。

 それなら定期的に素材を輸入して、こっちで嬢ちゃんに合わせた服を作る」


 こうなると、ちょっとした事業だな。


 そんなつもりはないが、手間は省いた方が効率がいいし、職人を遊ばせるのももったいない。


 それならいっそ、遊んでる時間で服を作ってもらって売りに出す。


 これなら無駄もないし、セイラン国の名前を知ってもらうきっかけになるだろう。


 感心しているアヤメに笑みを返した俺は、侍女に案内されて私室へと向かっていった。

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