異世界に召喚されたらチート能力もらったので無双します!……に巻き込まれたハクスラおじさん

回道巡

疲れたおじさんの趣味

 「おい、カラスマぁ! あの資料どうなった?」

 「はい、ちょうど今できたところです。もう一つの方も本日中にはお渡しできるかと」

 「お、おう……」

 

 横柄に声をかけてきた若い上司は、カラスマと呼ばれたくたびれた中年男が差し出してきた紙束にちらりと目をやってから押し黙る。

 そしてしばらくそうしてから「へらへらしてんなよ、こいつ」と言いつつ踵を返したその背中を見て、カラスマは微かに嘆息した。一仕事を終えてほっとしたようにも、次の仕事がまだあることにうんざりしたようにも、あるいは単純に上司の態度に不満があったようにも見えた。

 とはいえそんな姿を見咎めるような者は周囲にはおらず、皆自分の仕事にだけ没頭している。背が高く、手足も長くてスラリとしたカラスマは顔の造形も美形と言って差し支えないものだが、一方でややだらしなく跳ねた髪や剃るのをサボった無精ひげ、明らかに疲れが蓄積した目元などが、冴えない中年という印象でほかの全てをコーティングして目立たなくしてしまっていた。

 結局、カラスマもほんの短い時間だけそうしてから、すぐにまたキーボードを叩き、マウスを忙しく動かす作業へと戻っていった。

 

 

 

 能力でも成果でもなく、コネの有無で出世が決まり、そうして上に立った者は後先考えずに下の人間を使いつぶす。そんなよくあるフツウの企業でサラリーマンをしているカラスマだったが、別に仕事にやりがいを感じているわけではないし、もちろん楽しいわけでもなかった。

 彼にとっては趣味のゲームがやりがいであり楽しみだ。特にハック&スラッシュ――略してハクスラ――というジャンルのものを好んでプレイしている。ちなみにカラスマはトレハン要素――こちらはトレジャーハンティングの略――をハクスラという言葉の意味に含めて混同してしまうことには特に反対しない派閥であり、したがって彼のいう「ハクスラが好き」にはアイテム収集の作業的ゲームプレイが楽しいという意味が多分に含まれている。

 

 「今日はポータルヘルを存分に遊べそうですねぇ」

 

 帰宅の途上でカラスマは口元を緩めて独り言を呟いた。仕事中でも緩い笑みを絶やさない彼だったが、今浮かべているそれは少し質が違うようだった。……周囲には、それを直接目にする者はいないが。

 

 「まだ発売したばかりであまり話題にはなっていませんが、ここ最近では類をみないほどの良質なハクスラ! “武器とスキルをとっかえひっかえ!”というキャッチコピー通りの忙しくも楽しい戦闘と、無限に没頭できるアイテム収集! そもそも国産の本格ハクスラというだけでも私としては応援したいという気持ちに……っと、ああ、誰も聞いていないのに、つい早口で……」

 

 遠くに見える通行人には聞こえないような小さな声で、さらには聞こえていても聞き取れないほどの早口で、カラスマはポータルヘルという新作ゲームのことを話す。誰に聞かせるつもりでもないのに、言葉にすることを止められない。つまりはハマっているということだった。

 だからこそ、ぶつぶつと口にしつつ、帰宅の足はせかせかとして止まらない。

 ……はずだったのだが、この日は途中で止まることとなってしまった。

 

 「……学生さんの……集団?」

 

 前方の広くはない歩道を占拠するように広がって歩く一団を見て、カラスマは語尾を上げる形で口に出した。制服を着ているのだから、その集団が学生であることは確定的だ。だがカラスマが会社から帰宅する時間というのは一般的に言って高校生が出歩くような時間ではない。

 とはいっても、カラスマは別に警察官でも教員でもないのだから、何であっても関係はない。「邪魔ですねぇ」なんて思いつつも口には出さず、道の端を通り抜けようとするだけだ。

 ちなみに聞き耳を立てたわけではないが「会長のおかげで文化祭のお店もうまくいきそうです」と聞こえてきたので、彼らが文化祭の準備で遅くまで残っていたのだとカラスマは察した。

 と、そのまま通り過ぎてしまおうとしたカラスマはふと視線を隣に来ていた学生たちへと向ける。不意にまた聞こえてしまった「なんだろ、これ?」という声が気になったからだ。

 

 「見慣れないイルミネーションだね」

 「私も初めてみるよ」

 「……どうでもいい。さっさと行こう」

 

 地面を指さして何か珍しい物があったと話しているようだった。落とし物かと思ったカラスマの視線が学生たちの足の間をさまよい、何かの光が地を這っていることに気付いたところで、最初にカラスマの気をひいたのと同じ声が再び聞こえた。そしてそれが「うん? え……?」という疑問を浮かべるものであったこと、そしてその声の主の目が自分に向いていると気づいたことで、カラスマは止まりかけていた足を再び速めた。

 絡まれてしまっては面倒だ。なにせ帰ってから就寝するまでの自由時間は短く、そして貴重だ。だが絡まれたくないという思いも、さっさと帰りたいという希望も、どちらも叶わないこととなるのだった。

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