霧の待ち人
黒蓬
霧の待ち人
冷たい雨が降りしきる夜、森の中で、車を運転する男はハンドルを握る手に力を込めた。都心に向かう帰路、彼は道に迷っていた。霧が濃く、視界はほとんどゼロに近い。車のライトがぼんやりと周囲を照らすが、何も見えない暗闇に包まれている。
「このままじゃ帰れないな…」と呟き、車を一旦停めたその時、フロントガラスに人影が映り込んだ。見れば、薄暗い中で小柄な女性が立っている。長い髪が濡れて頬に張り付き、顔色は青白く、じっと男を見つめていた。
驚きながらも窓を少し開け、男は「大丈夫ですか?」と声をかけた。女性はしばらく黙っていたが、か細い声で「…助けてください」と呟いた。その言葉には、深い悲しみと疲労がにじんでいた。
彼女も道に迷っているのだろうかと思い、男は彼女を乗せてやることにした。彼女はお礼も言わず無言で助手席に座り、じっと前を見つめている。顔を横目で見ると、どこか見覚えがある気がしたが…思い出せない。彼女は名前も言わず、ただ「この先に、家があるんです…」とだけ呟いた。
車を進めると、霧の中にぼんやりと古びた屋敷が現れた。男は不気味な雰囲気に戸惑いながらも、車を停めた。彼女が降りた後、彼も外に出て辺りを見回すと、屋敷の窓からかすかな明かりが漏れていた。「家族の方が待っているんですか?」と聞いたが、彼女は微笑んで「もう、誰もいません」とだけ答えた。
彼女が屋敷の扉を開けると、暗闇からふわりと冷たい風が吹き抜け、かすかに誰かの囁く声が聞こえたような気がした。次の瞬間、彼女の姿が薄れていき屋敷の中に溶け込むように消えていった。驚いて彼女を呼ぶと、どこからか寂しげな声が響いた。
「もう、ずっと待っていたんです…帰って来るのを…」
不意に背筋が凍りつき、男は慌てて車に戻った。エンジンをかけようとしたが、車は動かない。振り返ると、屋敷の窓から誰かがじっとこちらを見つめていた。それはまるで、彼が訪れるのを待っていたかのように・・・
その夜以降、男が家に戻ることはなかった。
霧の待ち人 黒蓬 @akagami11
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