第10話 雨の日
降り頻る雨の音を聞いてエルピスは読んでいた本を閉じる。
手にとっていたのはこの間
エルピスが実現可能なものはこの本の中にもいくつか存在したが、多くは他者を犠牲にしたり己を犠牲にする魔法が占めており、近くに置いてある歴史の本を手に取ってパラパラとめくってみれば、なるほど魔法使いは死ぬ定めにあるらしい。
原因としては様々あるだろうが、一番は戦闘中の魔力欠乏症だろう。
人は大量の魔力を使用するとエルピスはまだなった事がないが、魔力欠乏症という症状になる。
軽度は目眩や頭痛、吐き気や微量の出血を引き起こし、重度なものになると立っていられないほどの頭痛や大量の出血。
さらには魔力回路の暴走なども引き起こすことがあるので通常事ならばまだしも、戦闘中に重度の魔力欠乏を引き起こすと殆どの場合死に至るのだ。
「エルピス様、読書はもうよろしいので?」
エルピスに声をかけるのは向かいの席に座っていたフィトゥス。
珍しく執事服に身を包み、窮屈そうに装飾品を片手で弄るその姿はそれだけでも絵になるほどの美しさがある。
今日は家に珍しく来客者が居るので一応は正装をしておこうという事なのだろうが、久しぶりに見るフィトゥスの執事服はエルピスも驚くほどに似合っていた。
髪色が黒なのも関係するだろうが、それを抜きにしても顔がいい。
他の生物を堕として生活する悪魔らしいといえばらしいともいえる。
「うん。結構知りたいことは知れたし、フィトゥスは何を読んでるの?」
「私は精霊に関する本です。戦う機会が多いので知っておけば何か良いことでもあるかなと思いまして」
そう言って微笑むフィトゥスが思い描いている精霊とは、間違いなく森霊種の事であろう。
フィトゥスの背後に見える弓を構えた二人のメイドの事を思い出しながら、あの二人に対しての対策など立てられるのかなとエルピスも少し苦笑いを浮かべる。
「ははっ、大変だねフィトゥスも」
「エルピス様変わっていただけます? 昨日も結構やばかったんですよ」
「母さんが外に出て行ったくらいだからね、凄く暴れてたのは知ってるよ。一体何があったの?」
「ぷ……なんでしたっけ? あのイロアス様が東の国に行った時の土産の、えーっと、ぷり……」
「プリンね。父さんが買ってくるにしてはセンスのあるお土産だったからよく覚えてるよ」
「……イロアス様泣きますよそんなこと言ったら」
肩をガックリと落としいじけている父の姿を思い浮かべてみると、確かにエルピスが今口にしたことを伝えたらそうなりそうな予感がした。
この間はエルピスがお土産を買ってきて欲しいとねだったら、何をとち狂ったのか飛龍の卵を持って帰ってこようとしていた父だ。
その前も謎の民族のコケシのようなおもちゃを渡され、邪神の能力で呪いがかけられていることが発覚したのも記憶に新しい。
(英雄と言われるだけあって凄い人なんだけど抜けてるんだよなぁ……いや、あれがこの世界での一般的なお土産という線もある……のか?)
イロアスが前者で向かった国は千年戦争とも呼ばれ、長き間多数の部族によって戦争が行われていたもののここ百年ほど前に強王と呼ばれる王によって統治された帝国。
確かに帝国領は龍の谷と呼ばれる人類生存域の中でもトップクラスの危険度を誇る地域が有名ではあるが、一般人はそこに立ち寄らないしましてや飛龍の卵を奪い取ってこようなどという発想にもならない。
この他に危険地帯は共和国の無限砂漠、連合国の死の海、法国の死者の庭、そしていまエルピスが住んでいる龍の森などがある。
「ここにいらっしゃいましたかエルピス様。イロアス様がお呼びです」
ふとエルピスが意識を扉のほうに向けると、先ほど想像した森霊種の内の片方、メイド姿に身を包んだリリィがにっこりと笑みを浮かべて立っていた。
普段は深い森のような綺麗な翠色に染まった彼女の目と髪は最近の雨の影響か、少し青色が混ざり始めており新鮮さが感じられる。
「父さんが? まだ商談の途中だよね?」
確か今日の交渉相手は、土精霊の国の鍛冶貴族と呼ばれるものたちだったろうか。
イロアスは基本的に貴族としてではなく一個人として活動することが多く、四大国に貴族の席を置いてはいるものの領地を持っているわけではないイロアスは基本的に雑務というものも少ない。
故に普段はこうして交渉の席につくこともなく、イロアスやクリムに対しての依頼は冒険者組合などを通して行われるため辺境の地ということも相まって家に人が来ることはいままでほとんどなかった。
ただ今回の相手のように亜人種であったり、昔馴染みであったりする場合はこうしてイロアスも交渉の席に座ることはあるのだが、そこにエルピスが呼ばれることは初めてだ。
エルピスも確かに仕事を手伝ったり必要な書類を纏めたり日本で得た知識を使ってーーとは言っても限られた知識である以上先述のプリンなどが食品として期待できるかなどと言ったようなものではあるがーー父に助言することもあるものの、それは父と二人っきりの時だけの話である。
「はい。なんでもエルピス様に武器を見繕ってきたので選んで欲しいとのことで」
「クリム様も参加されるのか?」
「クリム様は別件で森の方に出かけてるわ。最近雨続きなのでおそらくは湖の精霊に交渉に行ったと思うけど」
「緊張するなぁ……なんだかんだ村の人達除いたら初めて外の世界の人と会うわけだし」
この家は外の世界と断絶されていると言っても過言ではなく、アルヘオ家に向かって伸びる一本道は手を出さないのがこの森に住む生物達の基本だがそれも必ず守られるという訳でもないので非常に危険だからだ。
一般人であればこの森に住んでいるただの動物ですら一対一であれば十分に生命の危機だといえるし、魔物以上になれば逃げることすら困難になるだろう。
そう言ったおおよそ人が住む場所でないためこの森から人がいる場所までは早足で1時間、馬車でも十数分はかかってしまう距離にある。
もちろん早足も馬車も異世界基準なので、一般人が徒歩1時間だからといって1時間歩いたらつけるというわけではない。
「大丈夫ですよイロアス様もいらっしゃいますし」
「あ、エルピス様この後の予定はどうなされますか? この部屋に戻ってくるなら本を読んで待っていますが」
「戻ってくる予定だけど一時間して来なかったら僕の部屋で待ってて。それじゃあ行こっかリリィ」
「はいっ!」
軽く手を振りながら複雑そうな顔でエルピスのことを見送るフィトゥスとは対照的に、元気よく返事をしたリリィの顔は随分と清々しそうである。
渡り廊下を歩いていれば目の前を歩くリリィのポニーテールが随分と気になるもので、小さい子供特有の悪戯心なのかその髪を触ってしまいたくなる衝動に駆られるものの、それをなんとか我慢して廊下を歩いていく。
見た目は小さな子供であろうと中身は立派な高校生、さすがに自分が何をしたら世間的に危ないかくらいはしっかりと把握している。
少しすれば他の部屋よりもやけに装飾の多い扉が現れ、リリィが開けるのを待ちながらエルピスは緊張感を隠していく。
「イロアス様、エルピス様が到着されました」
「──入れ」
自分で開けたいところなのだが客が来ている時だけは執事やメイドに開けさせろと父から言い含められており、なんだが面倒な貴族社会の雰囲気を感じ取ってしまいそうになるが、父の言うことなので従わないわけにはいかない。
部屋に入れば正装に身を包む父と、皮で作ったのが随分と汚れた鎧を着用した土精霊が座っており上座に座る父とふと目が合う。
「よく来たなエルピス、
「初めましてラーゲリーさん。私はエルピス・アルヘオ、年は4歳です」
「おおよく来てくれたお坊ちゃん。ささどうぞ座ってくれい」
筋肉隆々の体にエルピスと同じ程度の身長、赤い髪に大雑把そうな性格はイメージ通りの土精霊で有る。
ただ驚いたことにその顔はまるで少年のような童顔で髭も生えておらず、渋く響き渡る声がなければ子供と間違えてしまいそうになるところだ。
「坊ちゃんを呼んだのは他でもない、訓練用の武器を見てもらおうと思ってな」
エルピスが座ると土精霊は時間が惜しいとばかりに早速本題に入っていく、どうやらせっかちなのはエルピスの知る
それなりに広いこの応接間といえ少し手狭に感じてしまえるほどのその武器類を一つ一つ受け取りながら、エルピスはこちらを見つめる父に対して疑問を投げかける。
「いいの?」
「ああ。お前もそろそろ本身を使わないとな」
エルピスがイロアスに対して疑問を投げかけたのにはもちろん理由がある。
今までエルピスが所持を許されていたのは木刀のみで、鉄製以上の装備は危ないからと所持を許されておらず両親がいるところでしか使用させてもらえなかったのだ。
武器自体の長さがエルピスの身長より高いものもいくつか見受けられるが、それはおそらく成長の早い半人半龍の特性に合わせたもので、数年もすれば使えるようになるだろう事は理解できる。
「個人的にはこれとかオススメですがね、軽いし危なくない」
土精霊が進めたのは槍だ。
この世界においても一定のラインを超えなければ、槍は非常に強力な武器の一つになる。
なんと言ってもまずその最大の利点は長い事だ。
自分の間合いに入ってくる前に敵を殺せれば被弾をなくすこともできるし、それでなくとも感触を感じにくい槍は初心者が敵を殺すのには罪悪感も薄れさせる便利な道具で有る。
一応槍術に関する
「確かにこれは良さそうです」
「エルピスはどんな武器が良いんだ?」
「剣と短剣はもう有るから弓とか斧とか槍とかそういうのが見たいかな」
さすが鍛治貴族と呼ばれるだけあってその腕は確かなようで、人が作るそれとはまた別格の性能を誇っている数々の武器にエルピスも少し頬が綻ぶ。
「ん? もう持ってる? 誰かがもう渡したのか?」
「魔力的性質は敵によって変化させたいからあんまり無い方がいいです」
「坊ちゃんは確か魔法も使えるんでしたね、それならこれとかオススメですね」
「無視は辛いんだけど……」
この世界の剣には様々な種類が存在し、その代表的な例として魔法剣というものが挙げられる。
これは事前に魔法的な力を込めておくことで、戦闘時に使用者の魔力に反応して事前に決められた属性の力が現れるという特性を持っている剣だ。
この魔法剣というのが戦う相手次第では非常に厄介な性質を有しているのだが、一属性しか込められないその関係上龍などを相手にする際には普通の剣よりも劣る剣になってしまうこともある。
戦闘中剣に魔法の力を込められるのは、余程の上位魔法使いか|特殊技能(ユニークスキル)〈魔剣士〉を持つものくらいのものだが、その両方を持つエルピスからすれば込められていない方が使い勝手が良い。
武器の良し悪しはエルピスには分からないが、鍛治神の目は分かってくれるので属性が付与されていない武器の中からさらに上等なものを三つ選ぶ。
「これとこれとこれが良い!」
「見る目があるなエルピス。ラーゲリーさん三つともください」
「──ありがとうございます。そう言えばお持ちになっている剣と短剣はどんなもので?」
ふと何気なく思い出したかのような声音でラーゲリーがそう言うが、エルピスはイロアスとラーゲリーが一瞬だけ目線を合わせたところを見逃してはいなかった。
どうやらこれ以上誤魔化しは気がなさそうだとエルピスは諦めて
「ちょっと待ってね……これ!」
最近実験としてどれだけのものが詰め込めるのかと、外にあるものを片っ端から
軽くタップしてそれを外に出すと、エルピスの目の前で光がゆっくりと形を成していき二振りの剣が現れる。
いつ見てもその魅力は衰えておらず、ラーゲリーが作った武具ももちろん素晴らしいが、生きているとさえ思えるその二振りの前には霞んでしまうのも仕方がない。
「──ッ! 坊ちゃん! どこでこれを!?」
「おいおいエルピス! 俺でもこんなの持ってないぞ」
「えーっと……森?」
「も、森ですかい!?」
「だめだ、息子の言い訳の下手さに何から言っていいのか分からない」
頭を抱える二人を見つめながら、エルピスはさてどうしたものかと頭を悩ませる。
言い訳するにさすがに状況が悪すぎるし、かといって素直に認めて手に入れた方法を聞かれでもしたら都合が悪い。
「あははー」
笑ってごまかそうと決意を固めて、にっこりと笑みを浮かべながら能天気そうにエルピスは声を上げて笑うのだった。
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