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    やせたかなしいさん(ぉ に弟さんのそんな悲しい出来事があったのですな
    戦争は国家間の交渉の一つではあるますが、んなでかい戦争からわずか5年後に起こった朝鮮戦争を始めベトナム、イライラ、湾岸……そして今のウクライナとガザ、そしてパキスタンと戦火は残念ながら止む事がありませんな
    所詮上の人間には下々の生活の大変さなんざ解ってないのでしょうが、せめてうち等はこういう悲しい出来事があったという事を忘れず、上に対してしっかりと働きかけていかねばいけませんよね

    作者からの返信

    あるまんさん

    その名前のもじりはアカンw

    今もし他国が日本を侵略してきた時にどれほどの人間が国のために戦うのかという話で、「主権は他国になりますがあなたたちの今の暮らしの水準は保たれます」と云われたら、どーぞどーぞ死ぬよりましだし、となりそうですよね。

    当時は「国の為に死ぬのが男子の生まれてきた意味」くらいの教育をされてます。でも本人が軍人を志したのならともかく、職場や学校から強制的に徴兵されて戦場に送られてしまうのは、その教育が根底にあっても、本音はきっと違いますよね。

    特攻もそうですが、当時のことは本当に信じられませんよね……。

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    ずしんと心に残る話ですね!
    やなせさんはすごく優しい笑顔の人というイメージがあったから、そんな思いをされているとはとても意外でした!
    絵本のあんぱんまんも読んでみたいですね。

    作者からの返信

    新田竜さん

    こんにちは!
    ただの雑学ですが、あんまり知られてなかったようなので公開して良かったです!
    手塚治虫もちばてつやも、その他大勢、戦時中に若い頃を過ごしたあの年代の人はみんな戦争体験が根底にありますよね。
    最初の絵本「あんぱんまん」はアニメとは違い、何とな~く寂しい感じがするんです。もちろん幼児むけの絵本なので、絵本絵本してるんですけど。
    顔を食べるとか死ぬとか何事~と初期は批判されましたが、しっかり根付いて、大勢の子どもに訴える作品になったのは嬉しいですよね。

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    朝吹様

    まったく知らないお話でした。
    読ませていただいて、本当に良かったです。

    やなせたかし先生は飄々とされていたイメージで、個人的なエピソードといえば、テレビに出演されたときに「妻からプロポーズされたんです」と語っておられたくらいでした。
    あとは、やなせ先生ご本人が納得されていたら良いのですが、多くの自治体から依頼を受けて、ご当地キャラをデザインされていたけれど、無償のお仕事が多かったと聞き、自治体がやなせ先生に甘えている、敬意を払っていないのでは?と疑問に思ったことがありました。

    将来有望な弟さんがおられたのに、無念の最期を迎えられていただなんて、言葉に詰まってしまいます。
    とくに敗戦濃厚となってからの軍部の精神論や作戦には、正気と思えないものばかりですが、その犠牲になられたのは本当に痛ましいです。

    作者からの返信

    川端春蔵さん

    こんにちは!
    いつぞやは菊地秀行氏の評伝をありがとうございました。十代の頃に彼の作品に触れることが出来たのは幸運だったと今でも思っています。カッコ良かったですよね。容赦ないバイオレンス。そして哀愁が漂ってました。

    こちら、小学生相手の読み聞かせの時の原稿があったのでそこからもってきたのですが、あんぱんまんの誕生秘話って意外と知られていないようなので書いて良かったです。
    お年のせいなのか、想い込みなのか、やなせたかしさんは「弟は回天で特攻した」と口にしておられたようです。実際には弟さんは駆逐艦の乗員でした。きっと戦争に対する怒りや、最後に逢った時の覚悟の顔が、特攻に志願したのだと信じ込ませたのでしょう。

    ご当地キャラデザは謝礼くらい払いなさいよという感じです。
    先生に代わってマネジメントが出来る人がそばについていたら良かったのかなぁと。

    もともと弟さんは養子になることが決まっていて、赤子のうちにもらわれていき、たかしさんは6歳までは実母と暮らしていたのです。この実母がどこかの男性のもとに行ってしまって、後から弟のいる家に入っていったのです。なので弟さんは養父母を実の両親と思ってなついて育ちますが、たかしさんにとっては、養父母はあくまでも養父母でした。でも尊敬できるとってもいいご両親だったようですよ。
    二人も男の子を養子にしたのに、やなせたかしさんにも子どもがおらず、柳瀬家は絶えてしまいました。
    あんぱんまんも、いずれは次のヒーローに人気の座を譲る時がくるのでしょう。
    レビューもありがとうございました。

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    こういうお話こそ、世に知られて欲しいと願います。

    アンパンマンというと、悪いやつをやっつける、的な紋切り型の子供向け作品だと思って私自身は一度も鑑賞しようと思ったことはありませんでした。尤も、見ようと思わなくてもあちこちで上映されたり放送されたりしているので、知らず知らずのうちに内容を覚えてしまっている、そんな作品でした。

    海外の方が、日本で子どもに人気のこの作品を日本語と文化の習得の題材にすることがあるらしいのですが、そんな海外の人達は決まって衝撃を受けるそうです。

    自らの身体を食べさせる自己犠牲、そしてアンパンマンの歌詞に刻まれた痛切なまでの想い……

    なんのために生まれて
    わからないまま終わる

    明るいメロディーのため気づかなかったのですが
    子どもに歌わせるのは、もはや不適当なのではないかと思えるほど、問いかけの鋭さが刻まれています。

    このお話を聞くと、そんな物語と歌詞の背景がありありと浮かんできます。
    子どもには、普遍的なヒーロー像を
    そして、なにかに惑い立ち止まって我が身を省みた私のような大人には
    自省と自問を投げかけているような気が致します。

    あの日からずっと続いているこの日々が、恐ろしくかけがえの無いものであることに
    気づいていても実感が持てない、そんな時にはこの歌詞を思い出すのもいいのかもしれません。

    読ませていただきありがとうございました✨️

    作者からの返信

    天川さん

    こんにちは✨

    最初に絵本が世に出た時は「顔を食べるなんて残酷だ」とかなり突き上げられたそうです。
    だから最初の一作だけで終わるはずでした。
    でも子供が手にとるのは「あんぱんまん」だった。
    そこから、「この作品をテレビに出そう」と奮闘するテレビ局の人が出てくるのですが、それはまた別のお話。

    アニメのアンパンマンはほっといても眼に入ってくるし、幼児むけの番組の一つとして、すっかり定着していますよね。

    原作の絵の方が好みです。
    大勢いるキャラクターも、どれもこれもかわいいです。

    でもその底には、やなせたかしさんの戦争体験がある。
    アンパンマンの歌詞にはその想いがこめられている。

    あの年代の人はみんなそうですよね。

    水木しげるの半生がモデルとなった「ゲゲゲの女房」でも、水木しげるが何かの疑いをかけられて横柄な警察が家に来る。
    その時にしげる、「これを描いてるんですよ」と漫画の原稿を突き付ける。
    そこには、密林を彷徨い、片腕を失った水木しげるの戦争体験が克明に刻まれている。
    しょっぴく気満々でやって来た眼光するどい刑事はその漫画に眼をとおすと、原稿を丁寧にしげるに返して、何もせずに帰ってしまう。

    「(戦場は)あのとおりだった」

    という言葉をのこして。
    「ゲゲゲの女房」の中でも印象的なシーンなんですけど、想像力をいくら働かせても、戦争のことは体験者にしか分かりませんよね。

    雑学でしたが、興味をもってもらえて嬉しいです。ありがとうございました。

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    昔、読売新聞の日曜版に載っていたアンパンマンの漫画は、今のキラキラしたほうじゃない古いタイプの絵柄でした。ドキンちゃんのスタイルが良かったりして、すごくシュールでしたが未だに記憶に残っています。
    戦争の体験が食べ物をくれるヒーローを生み出し、それが今でも子供たちに愛され続けている……というのは、不思議な感じがします。根源的な欲求を満たしてくれる存在だと、幼児ながら感じ取るのでしょうね。

    6年生の読み聞かせの前にこんな話をしてアンパンマンというのは、すごいですね!
    きっと忘れられないと思います。

    作者からの返信

    鐘古こよみさん

    鐘古さん、早起き✨
    今朝は冷え込んだので寒かったでしょう。

    ドキンちゃんのモデルが「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラとか「本当に~?」と詰め寄りたくなりますが、新聞のドキンちゃんはスタイルが良かったのなら本当かも(;'∀')

    6年生の読み聞かせ、この話をしたのは後なんです。アニメには馴染みがあっても元祖「あんぱんまん」を知らない子が多いかな~と思って。
    絵本を読む→原作者の半生に触れる→絵本の著者の言葉を読む、こんな流れでした。
    十分の一くらいしか話してませんが、著者が絵本の終わりに書いてある言葉の重みが違ってきますよね。

    鐘古さんの「エメラルド・アイ」、気が付いた時には星80オーバーで、どうせなら星100踏みたいな~と待ってるんですが、あと一息です。
    以前も他の方の作品で同じことを考えてやったら、踏んだ途端に時限爆弾(退会した方の星が減る)を引き起こし、トータルでマイナスになってしまったことがあるので、保険をかけるなら星110あたりですが、爆弾を破裂させたくもあり。
    勝手にどきどきして待っています。

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    みんな大好きな今のアンパンマン、ではなくて、初代のあんぱんまん。
    懐からあんぱんを取り出して配る冴えない空飛ぶおじさん。お腹をすかせた戦地の子どもたちにあんぱんを配ろうと飛んでいったら、敵襲と勘違いされて被弾して……。
    このお話のルーツを知ることができた思いです。ほんとうにありがとうございます。
    あんぱんを配って飛ぶおじさんのモデルは弟さんでいらしたのですね。かっこよくはないけれど、とにかくやさしいヒーロー。

    そして、アンパンマ⚪ミュージアム。
    もちろん、あの東京ではないところにあるランドとは規模や色々が違いますが、スタッフさんやばいきんまん(中の人)たちが子どもを笑顔にしようという姿勢でいらしたことを覚えております。食べものの値段がそういった施設としては良心的でした。

    子どもがお腹をすかせることがないように、というやなせたかし氏の信念からでいらしたのでしょうか。

    作者からの返信

    豆ははこさん

    アニメのアンパンマンではなく、やなせたかしさんが描いたアンパンマンの絵が好きです。線画にも水彩画にも味があります。
    「あんぱんまん」を読んだ時に、なんでこんなに、がらんとした、夕暮れのようなイメージなんだろう? と引っかかるものがあったのですが、あとがきでやなせたかしさんご本人が言及しているように、ヒーローというものをカッコいいものではなく哀しいものとして、やなせさんが捉えているからなんですよね。

    あの世代の方々には共通して戦争体験があります。そのなかでも、当時十代だったのか、青年だったのかで大きく違い、二十代だった柳瀬兄弟はまさに当事者として、もろに戦争の犠牲になった世代です。

    千尋さん、死亡率が抜きんでて高い任務に自ら志願していますので、「回天に弟は志願した」とお兄さんがずっと信じていたのは、当たらずとも遠からずでした。だんだん記憶の中でも「回天に行った」ということになっていたようです。

    ご飯が食べられないのが一番つらいこと。
    それが「人にあんぱんをあげるヒーロー」であったり、アンパンマ〇ミュージアムでのレストランの価格になっているのかもしれませんね。

    雑学の書き散らしでしたが、ありがとうございました。


  • 編集済

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    アン パンマンの柳瀬さんの弟さんの話は知りませでした
    暗い時代を乗り越えてできたアンパンマンは最初は残酷な物語として知られていたのですね
    Σ(゚д゚;)
    2人とも鬼籍に入られてあの世で再会されてるかもしれませんね


    ※ご心配ありがとうございました
    なんとか良い結果が出ましたので安心しました
    1年後にまた検査はしないといけないみたいなんですが…
    アンパンマン…そんな理由が
    なんでもかんでも悪いって避けるのもどうかなと思いますよね

    作者からの返信

    凛花さん

    お久しぶりです~。
    ご家族のことは落ち着きましたか? 健康のことは全てを左右しますよね。

    顔(あんぱん)を食べるというのが「残酷だ!」と大人が騒いだ部分なんですが、子どもはそこを面白がります。「あんぱんが食べたい」と親にねだりますよね。絵がかわいいし、何の問題もないと思うのですが、間違えたPTAの手にかかれば、大昔からある「桃太郎」「猿蟹合戦」でも、全てが「残酷だ! 教育に悪い!」になってしまう勢いです。

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    朝吹様

    こんばんは!

    濃く、深く、厚みのある作品ですね。
    まさか、あんぱんまんの原作者様が戦争に行っていたとは!
    しかも弟さんは戦死していたとは!
    駆逐艦は小さいので、当たれば爆弾1発、魚雷1発で終わりですね。

    艦内の配置というのが被弾したら脱出不可能で100%死にます、そんな艦の底でした。水測室で索敵業務にあたっていたのです。

    ここに回されたら致命的ですね。

    特攻魚雷『回天』もご存知なのは素晴らしいです。
    僕は子供の頃、太平洋戦争オタクですので一通り知っていますが。
    『回天』をご存知なことには驚きました。

    3000文字とは思えないくらい、読み応えがありました。
    (^^)

    作者からの返信

    崔 梨遙(再)さん

    レディブラックさん本当にどうしちゃったんでしょうねぇ。警告が来るようなことを掲載されていたのは確かなので、そのせいでしょうか。

    スクリュー音が邪魔になるので駆逐艦の前の方に水測室はあるんですが、魚雷があたるのは船の下部ですから、ドカンときたら、直撃にせよ浸水にせよ一発アウトです。大きな戦艦なら持ちこたえても、小さい艦だと致命傷ですよね。
    この時も艦の前方部分が丸ごと吹っ飛んでしまったそうですから、即死だったでしょう。

    そうですか? 回天って知らない人がいるのですか?
    確かにこういうのって興味がある人とない人の差が激しそうですね(;^_^A
    閉所恐怖症でなくとも、閉所恐怖症になりそうなひどい代物だと思ってます。
    考えた人が最初に乗りなさいよ……。
    空の特攻隊の方は出撃前に覚せい剤入りのチョコレイトをもらって恐怖を消したそうですが、回天の方はどうだったんでしょうね……。哀しいですね。

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    アンパンマン、一冊ウチにありました。保育園の時、親戚からもらったような微かな記憶があります。
    が、調べてもどれかわからない……最初の児童向けのアンパンマンではなかったようですが、かといって他の○○マンといったキャラクターが出てくるでもなく、第一話的な作りの。

    それがあったものでアニメ化される、と聞いたときには「え……マジかよ……」と思ったものですが、姪っ子ですら喜ぶビッグキャラクターですね、いまでも。
    やなせたかしといえば、アンとニックや、そのほかたくさんのキャラクターを作り出してますが、自治体などほぼ無償で要求してきても快く応えたような話も記憶にあります。
    本人も、アンパンマンみたいですね。
    兄弟の話は初耳だったので、興味深く読ませていただきました。

    作者からの返信

    スロ男さん

    第一作は「あんぱんまん」になっているので見分けがつくと思いますよ~。
    フレーベル館から出てるやつです。
    その後、人気が出て、やなせたかしさんが大量にキャラを生み出していったのです。幼児向けのアニメとして今も大人気ですよね。
    晩年にブレイクした方ですが最愛の奥様がガンになっていて、亡くなる前に売れるところを見せてあげることが出来てよかったとおっしゃっています。

    やなせたかし夫妻に子はおらず、千尋さんも戦死されていますから、数百年続いた柳瀬家はそれで絶えてます。郷里に立派なやなせたかしさんの記念碑兼墓があり、その裏手の山に、誰も訪れる者もいないままひっそりと千尋さんの墓が建っているんですよ。

    意外と知らない方が多いようなので書いてみてよかったです。

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    やなせさんは戦争体験から「ひもじい」ことが どんなにツライことかを身をもって知っているからこそ、
    そのひもじさに救いの手を差し伸べる
    (自己犠牲をもってでも助ける) アンパンマンを描いたのだ、
    そうですね。

    今の子に「ひもじい」って、わかるのかしら?

    作者からの返信

    結音(Yuine)さん

    絵本の冒頭に飢え死にしかかっている人が出てきますが、敗残兵そのものの外観をしています。やなせたかしさん自身も戦後も売れない漫画家としてお腹を空かせていたようです。
    ヒーローというものはカッコいいもの、憧れるもの、スーパーマン。
    そんな風潮の中で、自らぼろぼろになっていくカッコの悪い自己犠牲、これこそヒーローだという「あんぱんまん」は、「顔を食べるなんて残酷だ」と顰蹙をかったのですが、子どもたちにはビビビときたようです。

    戦地での飢えはシャレにならなくて、人肉食なんかを超えたすごいことになっていたので、読むと胸が苦しくなり食欲が失せます(゚Д゚;)

    ありがとうございました。

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    私は小学校の図書室で読みましたね。アンパンマン。当然アニメ化なんてされる前ですから、オリジナルのオッサンアンパンマンです。
    以降読み返していないのであまり記憶には残っていませんが。

    小学六年生が人間魚雷の話をどう聞いたのか。当然周りにいたであろう他の大人たちの顔はどんなだったのか。正解は別に要りませんが、想像すると愉快です。

    作者からの返信

    西野ゆうさん

    元祖のアンパンマンは大人体型ですよね。大人の身体に顔があんぱん。
    子どもに人気が出たので、それからは幼児向けに三頭身にしたそうです。
    アニメと絵本は別物といっていいかも。

    ちょうど東京オリンピック(後にコロナ騒ぎ)で盛り上がっていた頃だったので、東條英機が檄を飛ばしてる映像こみで神宮外苑の歴史もよく報道もされていましたし、ちょうどいいかーと。
    もちろんこのまま全て語ったわけではありませんが。
    「ええ~アンパンマン~」とざわついて、笑っていた子どもたちが、シーンとなってました(笑)

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    御無沙汰しております。拝見しました。
    お兄さんの中国で通信兵やっていた戦争体験談はTVで観ました。それ故他の兵士に比べて危ない事は少なかったらしいです?その代わりに敵地にて「食えなくなる」事が何度もあったそうであんなヒーローが生まれたとか?

    一方弟さんの話は初めて知りました。優秀な人材ほど戦地に放り込まれていく、なんとも残酷な時代です。
    必殺技アン○ンチが暴力的と騒がれている今日を作者様が見ればなんと仰ったでしょう?

    作者からの返信

    naimedさん

    こんにちは!
    やなせたかしさんは暗号解読を担当していたようですね。最初が九州の小倉で、後に中国大陸に送られています。試験を受けて、前線には出ない事務方に回られていました。
    やなせさんもインタビューのたびに少しずつ違うことを語られているので、ある時は「アンパンマンは復員兵」と云ったりしています。
    売れない時期が長かったので、今だれかが空を飛んできてご飯を置いて去ってくれたらいいのにとか思っておられたそうです。

    学徒動員というのは、どうせ卒業してしばらく経ったら誰もがそうだったように職場から徴兵されるのだから、少しそれを早めるという感じで、それだけ兵隊さんの数が足りなかったからなんですが、まとめて一度に徴兵したのです。

    必殺技くらいで「暴力的」と騒ぐ人は、頭オカシイというか、余裕のない、独裁者的な気質の人でしょうね~。独裁者、「禁止」が大好きですからね。

    ありがとうございました。

    編集済