第2話 猫と血と、緊急事態
「ねぇ、猫さん。僕をどこに連れて行きたいの?」
「……」
黒猫に
鼻孔を
引き返すべきだ。そう一歩足を進めるごとに脳が鳴らす
「――ぇ」
じり、と本能がこの先に進むことを
反射的に
眼前。黒猫が僕に見せた光景は――この薄暗い路地裏に放置されたように倒れている、血塗れの少女の姿だった。
「――っ‼」
捉える光景の衝撃さに脳が処理に追いつかずにフリーズする。この場所に入る時から鳴り
「助けなきゃ‼」
ずりっ、と足が半歩退いた瞬間だった。身体が条件反射で動いた。
状況は理解できないまま。ただ、目の前に倒れている人がいる。それだけでこの身体を動かす動機は十分だった。
急ぎ倒れてる人の元まで詰め寄り、滑り込むように地面に
「なんでこんな所に人が倒れて、一体何がどうなって……ああっ、今は全部後回し! とにかく、この人に意識があるか確認しなきゃ!」
軽くパニックに
「まずは……そうだっ! 意識の確認しなきゃ。……すいません! 意識はありますか!」
「……っ」
肩を揺らすと小さな息遣いが聞こえた。
「よかった。意識はあるみたい」
微かな反応を示した女性に、ひとまずは息が続いていることにほっと胸を
けれどそれもすぐに続く緊迫感に塗りつぶされていく。
意識の有無を確認。その次は、
「この出血をどうにかしなきゃ」
これは何かの事件なのか。少女の身体を見れば裂傷の
「こんなに血を流して……これって相当マズイんじゃ……」
自分の手が血で汚れることなど気にも留めず少女の腕を取って脈拍を測る。弱くて速い。よく見れば、
手遅れだと、本能じゃなくて理性がそう訴えかけている。
「どうすれば……どうしたら」
今から救急車を呼んで、それでこの人は助かる?
分からない。分からないけど、このまま何もしないより、この人が助かる可能性がわずかでもあるのなら。
血塗れの手でポケットからスマホを取り出して、
1、 1――
「――を」
「っ!」
9、と最後の番号を打つ寸前。少女の口唇が微かに動いた。
「――ち、を」
「目を醒ました⁉」
自分の中にわずかに残った力を振り
少女が懸命に口唇を動かして僕に何か伝えようとしていることに気付くが、あまりにもか細くて上手く聞き取れない。
僕は少女の肩を両手で掴むと慎重な手つきで上体を起こす。制服に少女の血がこびりつくのもお構いなしに抱きしめて、自分の耳を少女の口唇に近づける。
「――血、を」
「血?」
「血を、って」
血を止めてくれってこと?
「血なら止まってるよ。でも、出血量が多すぎて、このままじゃキミは……っ」
「ちが……血、を」
止血はしているようだがこのままでは血を流しすぎて死んでしまう。それを今にも死んでしまいそうなこの子に伝えていいのかと苦悩が生じる。しかし、少女は僕の言葉を否定するようにふるふると首を横に振ると、
「血、のま、せろ……」
「のませろ、って……え? どういうこ……うわっ⁉」
少し怒りを
咄嗟のことに思考が追い付かず、身体がそのまま引っ張られていく――そして無防備になった僕の首筋に、少女は一切の
「――いっ」
ズキッ、と噛みつかれた場所から鋭い痛みが襲う。しかし、そんな痛みよりも動揺が勝った。
なんで僕はこの子に噛みつかれたんだ? 理由が全く分からない。
二転三転する状況にもはや思考は停止寸前。そんな僕を気にも留めず、少女は首筋に噛みついたまま、やがて傷から出てきた血を、
「んくっ……んぐ、ごく、ごく……」
「嘘⁉ まさか、僕の血を飲んでるの⁉」
少女の黒髪に
さらに混迷を深めていく状況の中、
「血のませろ、って……もしかして、血を飲ませろってこと⁉」
「ごくごく……そうよ」
「返事した⁉」
つい先刻まで
「んくっ、ごく、ごくっ……あら、中々に上等な血じゃない」
「なんかすごく元気になってない⁉」
まるで僕の精気でも吸っているのかのように、僕の血を一心不乱に飲み続ける少女。
「え、なにこれ……血を飲んで、それで元気になってる、ってこと?」
「ごく、ごく、ごく……うるひゃい、いまうまくしゃへれらりほ。しふかにふへ」
「なんなのこの人⁉」
少女は僕の血を飲みながら器用に顔を傾げて、「うるさい」とでも言いたげな視線を僕に送ってきた。
人の血を飲んでおきながら怒るとかとんでもない理不尽に
「……うん。僕の血を飲んで、それでキミが少しでも元気になってくれるなら、いくらでも飲んでいいよ」
「……ふぅん。なら、えんりょらく」
「っ」
僕の想いに応じるように、少女は紫紺の瞳を細めると視線を僕の首筋に戻した。それからは、少女は何も発することなく、ただただ無我夢中で僕の血を飲んでいく。
そんな少女の横顔が、とても
ドクン、と心臓が強く跳ね上がる。
それはあまりに場違いな、自分の中の何かが芽生えた瞬間だった。
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