退魔師・久遠馨の心霊事件簿

三田村優希

第壱帖:白藤の情念

序幕 失踪

第1話

 国産SUV車のトランクにチェーンを入れると、新藤しんどうわたるはひと息ついた。三月に入り名古屋市内に雪が降る可能性は低くなったが、これから向かう所は日本海側だ。しかも結構な豪雪地域と聞いているので、スタッドレスタイヤだけでは不安だった。不要かもしれないが、念のためにチェーンを用意しておいて損はないだろう。


 亘が住んでいる所は、名古屋市の天白てんぱく区。左手首の腕時計に目を走らせると、午前九時を少し回ったところだった。車に乗り込みナビをセットする。行き先は福井県大野市の九頭竜くずりゅうダム。ここ天白区からスムーズに行けば二時間、昼食の休憩込みでも三時間もあれば目的地に到着できるだろう。


「昼が混むと面倒だから、もう行くか」


 亘はエンジンをかけると静かに出発する。車内にはお気に入りの洋楽をかける。眠気が来ないように、今回はハードロックやヘヴィメタを選択してある。ベースやドラムのリズムが車内に心地よい刺激を与え、ヴォーカルの耳をつんざくシャウトが気分を高揚させた。


 名二環、清洲ジャンクション、名古屋高速16号、名神高速、一宮ジャンクション、東海北陸自動車道を順調に進み幾度か休憩を挟みつつ岐阜県の郡上ぐじょう市に入った。道程みちのりの半分といったところか。中部縦貫道は目的地までまだ開通していないことと、ナビが古いため表示されないから今回は遠回りだがこちらのルートを通る。


 岐阜県の街中の光景から徐々に山中へと風景は変わっていき、トンネルも多くて亘は更に運転に集中する。音楽のボリュームを下げて、窓を少し開けた。冷たい空気が流れ込んで、暖房でぼんやりとしていた頭への刺激になる。


「この辺で休憩するかな。たしか近くにパーキングエリアがあったはず」


 昨夜ロードマップで下見をしていたときに、昼食は岐阜県内で摂ろうと決めていた。


「お、あったあった」


 金沢・高山方面への下り線にしか存在しない、瓢ヶ岳ふくべがたけパーキングエリアへ入る。一般道からもアクセス可能なため、平日とはいえ昼時なので駐車場はそこそこ賑わっていた。空きを見つけると滑り込ませ、ひと息く。時計を見れば十一時半を回ったところだ。少し早いがここで昼食を摂っておこうと決めていたので、早々に車を降りる。


 フードコートへ行き、メニューに目を通すと急に空腹感を覚えた。運転の緊張感から解放されたからだろう。名古屋に帰ったらまた稽古が待っているので、少しボリュームのあるメニューを選択する。豚バラ角煮丼セット(ハーフ塩ラーメン付き)が特に美味そうに見えたので、それにした。注文の品に舌鼓を打ちながら、ぼんやりと行く先のことに思いを馳せた。


 三月に入ったばかりの日本海側。しかも豪雪地域と聞いているので、雪道の運転に少し不安を覚える。


「チェーンの出番がないことを祈るとするか」


 小さくひとりごちると、亘はハーフ塩ラーメンのスープを一気に飲み干した。熱いスープが胃の中に満たされていき、少し汗を滲ませた。腹ごなしに少し散策してから、再び車に乗り込んだ。


(さて、行くとするか)


 目的地は岐阜県と隣接するので、あと一時間もすれば到着するだろう。再び車内にヘヴィメタのサウンドが流れ始めた。


 瓢ヶ岳ふくべがたけパーキングエリアを出て進んでいくと、ぎふ大和やまとパーキングが見えてくる。長良川に沿って運行している長良川鉄道をときおり眼下におさめつつ、順調にドライブは続いていく。そうこうするうちに、白鳥しらとりインターを抜けて中部縦貫道へと入った。ここまでくると目的地は目と鼻の先だ。あと三十分ほども走れば、九頭竜くずりゅうダム湖畔の駐車場に着く。


 ナビが目的地の駐車場の位置を示した。


 やれやれやっと着いたと亘は安堵の息を洩らす。駐車場は綺麗に除雪されており、観光シーズンから外れているせいか他に一台も見当たらない。雪道でも市街地でも問題ないように、彼はコンバットブーツを履いている。足を滑らせる危険はない。これまた防寒と撥水性に優れたミリタリージャケットを着込んでいるため、さほど寒さを感じていない。雪を踏みしめ、眼前に広がるダムと人造湖を感慨深げに眺めた。


「このダムの底に、ばあちゃんの家があったのか」


 一緒に持って降りた一眼レフのカメラで、侘びしげな風景を何点か収める。湖面はあくまでも穏やかで、人造のダム湖とは思えないほど風情のある光景だ。紅葉の季節が格別なのだと、まだ認知症が進む前の祖母は目を細め懐かしそうに語っていた。その表情は少女のように楽しげで、祖母にとってかけがえのない思い出なのだろう。もう二度と手に入れることの出来ない、ダムと共に沈んでしまった青春時代。重ねていく年齢と共に記憶はやがて薄れていくが、これだけは忘れたくないと必死でしがみつく思い出。


 哀れとは思わなかった。寂しげな祖母の顔を見ると、そんなことを思うことすら罪のような気がして。亘にとって祖母は大切な家族だ。ただでさえ祖母の悲しげな顔をこれ以上曇らせたくない――だから、余計なことは言わなかった。

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