第1号 星を見るということ
(新明解国語辞典 第七版)より
⁑ほし0⃣【星】
㊀晴れた夜空にまたたくように光り輝く天体。〔広義ではすべての天体を指し、狭義では太陽・月・地球を除く〕 ㊁人びとの注目を集める輝かしい存在。「角界希望の―」㊂〔目印とする〕小さなΔ丸(点)。㊃〔警察が目星を付けた相手、の意から〕被疑者。「―をあげる」
***
読者諸君は、「紫金山・アトラス彗星」を見ただろうか?
紫金山・アトラス彗星は、2024年10月に最も見ごろを迎えた。特筆すべき点は、再び相まみえるのは8万年後もしくは、2度と見られることが出来ないということだ。それゆえ、見ることができた読者は2024年10月に生きていた読者か、現在から8万年後の読者であろう。後者の読者であるならば、執筆者としてこの上ない幸いである。なぜなら、言葉を綴る者にとって、果てしなき未来までこの思いを届けられる機会を得たことは最上の誉れであるからだ。願わくは、ぜひ最後までこの愚文を読んで頂きたい。留意していただきたいのは、8万年後の読者以外を邪険に扱っている訳ではないということだ。もちろん、見られなかった読者も同様である。
これは星を見た者の物語であり、星を見ようとした者の物語であり、星を見なかった者の物語であるからだ。それゆえ、この書は星の下に暮らす読者に捧げたいと思う。
前述した特性ゆえに、浪漫的な魅力が溢れ出ている「紫金山・アトラス彗星」を“大学紀行辞典”に採用させない訳がなかった。( “大学紀行辞典”というのは、小生が作成している辞書の名である。事のなりゆきは、《第0号 はじめに》にて書き溜めてあるので、説明を省かせていただく)すぐさま、友人Qを誘った。友人Qは、同じ一回生の“大学紀行辞典”の協力者だ。カメラをこよなく愛している青年でもある。岩倉使節団や坂本竜馬の肖像写真を撮る際に用いられたであろうカメラを持っているほどだ。撮影者が黒い布に被って、少しばかり長い棒を持ちながらシャッターを切る「アレ」である(友人Q曰く、大判というものらしい)。そんな友人Qを誘って、東京の郊外の某公園に向かった。
17時00分、すでにカメラや望遠鏡のレンズを天に向けている人がいた。
いざ、天を見上げて見つけたのは金星であった。何気なく生きている上では金星の輝きを確認することはできないが、
観測者たちは、彗星を見つけるのに必死であり、「あれじゃねえ、あれか、どこだ、違うよ」というように興奮が冷めやらない状態であった。小生も金星のことを「紫金山・アトラス彗星だ!」と騒いでしまったほどだ。
胸の高鳴りを抑え、スマホで紫金山・アトラス彗星の位置を把握した。どうやら、今から20時頃までが観測のタイミングだそうだ。友人Qは、三脚を取り出し専用の収容バックからカメラを取り出し、下準備を終えていた。友人Q曰く、今回用意できたカメラはそんなにいいものじゃないらしい。というのも、今回の天体観測は小生が「紫金山・アトラス彗星が肉眼で見られるのは本日まで」という旨の記事を閲覧したことが発端であるゆえだ。急な誘いでも来てくれた友人Qには感謝をしなければならない。そして、観測者たちが興奮を抑えられないのもこのためであろう。
18時00分、金星の輝きがより際立ってきた。
観測者たちは目を凝らしたり、望遠鏡のレンズを調整したり、三脚カメラの位置をずらしたりしていた。私も不安になり、何度もネットに検索を掛けて彗星の位置を照らし合わせましたが、見つけらない。
18時45分、一段と寒くなってきた。
寒さによる苛立ちと彗星がやはり見られない不安が入り交じり、私を含めた観測者たちはナーバスに。
19時00分、分からなくなった。
雲が覆い始め、もう見られないのではないか。
19時15分、一人の男が星を見つけた。
その男Aは、少年たちが思い描く大型の天体望遠鏡そのものを持っていた。少なくとも、周辺の観測者の中で最も高価な観測方法であったであろう。撮った写真を見させていただくと、くっきりと彗星の特徴である尾を引いた姿が確認できた。ここで紫金山・アトラス彗星の美しさについて淡々と、雅な言葉を綴るべきであろう。しかし、小生はできない。光害の影響を踏まえて、東京の郊外の某公園まで出向いたのだ。このままでは、ネット記事に添付されている紫金山・アトラス彗星を見たのと同じである。他人が撮った写真を見て、喜べるほどの安直さは持ち合わせていなかったのだ。
男Aにどこで彗星を見られたのか教えてもらい、友人Qに目印となるものを教え、何枚か写真を撮った。するとどうであろうか、友人Qは見事に紫金山・アトラス彗星を写真に収めることに成功した。
まず、最初に抱いたことは「しょぼ!」である。 “見事に”と評ましたが、冷静にその写真を見てしまえば男Aの写真に比べて明らかに小さく霞んでおり、彗星であることを見分けるのも一苦労かかる。もちろん、友人Qが小生にはなきセンスと小生の急な誘いにも快く受け入れる人柄ゆえによって、この写真は撮ることはできた。あまりにも自己中だと非難されるでしょう。数え切れない感謝“だけ”を述べるべきでしょう。これら、すべて重々承知の上である。しかし、小生は思ってしまったし、書かなければならなかった。この部分こそが肝となるところだからだ。
ところで、「お前は何をしているのだ?」と思った読者もいらっしゃるであろう。実は、ここまで書き留めた活字の裏もしくは行間において、小生は自宅から持ち出した小型の望遠鏡で観測していた。他人の道具で見た彗星を素直に喜べない人間でありますから、私物で見たいと思うことは当然といえよう。友人Qから離れて、より見やすいベストな場所を探し、グリングリンとレンズを振り回したりした。男Aに教えてもらった位置に合わたりもした。しかし、紫金山・アトラス彗星を見つけられなかった。友人Qが取って代わりますが、見つからなかった。幾度となく試しましたが、小生の望遠鏡を通して見ることはついには叶わなかった。
ここまでの体験を踏まえれば、星を見るということは観測者の尺度を明らかにするといえよう。一体どんな観測者の尺度を明らかにするのか。
一つは財力だ。お金をかけるほど星はより鮮明に美しく見えることは、ここまで付き合ってくれた読者であれば言うまでもあるまい。一つは人間関係だ。男Aがいなければ、彗星を見つけられる手がかりを得ることが出来なったであろう。友人Qがいなければ、他人の道具による彗星ばかり見たであろう。人と人の繋がりがあったからこそ、見える星があるのだ。一つは行動力だ。連日、紫金山・アトラス彗星に関する情報が報道されていたにも関わらず、行動を起こしたのは肉眼で見られるだろうといわれた最終日であった。結局は肉眼で彗星を見ることはできなかった。迅速な行動力があれば肉眼で彗星を見ることが出来たかもしれない(ちなみに、男Aによると昨日までは肉眼で見られたそうな)。星を見ることは、観測者のこれらを始めとする様々な要素の総量を明らかにしてしまう。
そして、星ごとに観測者に求める要素の総量に差異があるようだ。帰りの道中、彗星を小生の望遠鏡で見られなかったこと、そして肉眼で見られなかった後悔があった。悲嘆な思いに染まる中、一つの星がこれ見よがしに輝いていた。
月だ。
今まで小さな星を見ようとしたこともありますが、黄金色の月は橙なる夕日よりも燦然と輝いていた。ああ、なぜ月は肉眼でもありあり星を見ることができるのであろうか。人の毛穴のように、月のクレーターが見えてしまったことに驚嘆した。月は紫金山・アトラス彗星よりも求める観測者の尺度が低かったのである。
以上の通り、星を見るということは観測者の尺度を明らかにしてしまう。
観測者の様々な要素の総量が明らかになり、星ごとに求めるその総量が違うようだ。星を見ることができたのは、その星を見られることに値したということであろう。
それでは、最後に一つ尋ねて、今回はこのあたりで筆を置かせていただこう。
読者諸君は、一体何の星を見ることができるだろうか?
≪2024年11月某日 ― 彼誰時、今夜見える星に思いを馳せながら ―≫
***
※以下、4点の語釈を“大学紀行辞典”に採用とする。
ほし【星】
観測者の尺度を明らかにするもの。観測者の財力、行動力、運勢、忍耐、計画性、人柄、人間関係などが総計され、一定の度合いを超えると見ることができる。個々にその度合いが変化する。「―は綺麗だった」
つき【月】
夜に輝く星の中で、最も観測者に求める尺度が低い星。どこか優しさを感じられる星。人の毛穴のように、月のクレーターを見えてしまったことに驚くことがある。「『―が綺麗ですね』と、私はどら猫に
きんせい【金星】
夜に輝く星の中で、比較的観測者に求める尺度が低い星。何気なく生きている上では確認することはできないが、
しきんざん・あとらす‐すいせい【紫金山・アトラス彗星】
2024年10月、観測者に求める尺度が最高位に位置していた星。次に観測者に求める尺度が低くなるのは、82024年か。2024年10月某日にて観測を試みるが、執筆者の小型の望遠鏡では確認できなかった。本書における『大学紀行辞典 第1号― 星を見るということ ―』の執筆に大きく関わった星でもある。「82024年、火星から見た―はただひたすらに美しかった」
※主な参考文献
『新明解国語辞典 第七版』三省堂
『8万年後の軌道を描く彗星、地球に接近 ネアンデルタール人が見て以来?』CNN、2024年10月10日更新、2024年11月16日閲覧、
〈https://www.cnn.co.jp/fringe/35224799.html〉
※『新明解国語辞典 第七版』より引用させてただいたものは一部省略されています。
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