#26 聖騎士の嗅覚

 オキガエルの串焼きを頬張りながら、その後も街を散策していると――



「ダス――お兄様、あの人は……!」



 見覚えのある顔に気付き、ダスクの服の袖を引っ張って報せる。



「あいつ……大聖堂で見た聖騎士だな」

「はい。確か名前は……ザッキス……!」



 彼については、ジェフやオズガルドから少し話を聞いた。



 栄耀教会関係者を多く輩出はいしゅつする名門ズンダルク家の出身、ザッキス・エルハ・ズンダルク。

 驚いたことに、ラモン教皇と現皇帝という、栄耀教会とウルヴァルゼ帝国のトップ二人を祖父に持つという、この国に於ける最上位のサラブレッドだという。

 しかし血筋は立派でも、人間としては最低であることを私は身を以て知っている。



 私たちに気付いてやって来た訳ではなく、単なる見回りで偶然こちらへ向かって来ているようだ。



「どうしましょう?」

「下手に動くと怪しまれる。このまま串焼きを食べながら、何食わぬ顔をしてやり過ごせばいい」



 今の私たちは変装して、一見しただけではそうと気付かれない姿になっている。

 ほんの一度か二度対面しただけの、傲岸不遜な若輩者に見破られるとは思えない。

 ダスクに言われた通り、動揺を表情に出さないように食事を続ける。



 ザッキスと、彼に従う聖騎士たちがすぐ横を通り過ぎた。



「ふぅ……」



 気付かれなかった、と小さく安堵の息を吐き出したその時、



「――臭い」



 そんな一言と共に、ザッキスがピタリと足を止めた。



「この場にそぐわない悪臭がする。――そこのお前たちから」



 振り返った彼の視線が私たちと合った。



「香水か何かの匂いに混じって、お前たちの体から微かにドブの臭いがプンプンしてくる。まるでつい先程、地下水路を通ってきて、それを誤魔化そうとしているような感じだ」



 昨夜の聖宮殿の客室で、私が熱湯を浴びせて出来た顔の火傷。

 それが目の前の私に反応しているとでも言いた気に、ザッキスが顔を撫でながらにじり寄って来る。



「……恐れながら、それはこの串焼きの香りでは? お一つ如何です?」



 平静を装ったダスクが間に割り込み、オキガエルの串焼きを差し出す。

 しかし、ザッキスはフンと鼻を鳴らし、腕を振り抜いてパァンとその手を払い除けた。



「私もズンダルク家出身の聖騎士として、これまで数多くのアンデッドを滅してきた。お陰で奴らの『臭い』がそれと無く分かるようになった。鼻で感じるドブ臭さなんかじゃない。太陽に怯えて闇にうごめく怪物共の、どす黒く汚らわしい気配がな」



 弾き飛ばされ、地面に転がった串焼きを、芋虫でも殺すようにザッキスがグシャリと踏み付ける。

 人間性は想像以下だが、聖騎士としての能力や経験は想像以上だった。



「とは言え、所詮は単なる勘だ。勘だけで決め付けるのは愚か者のすること。よってお前たちに潔白を証明するチャンスをやろう」



 そう言ってザッキスは懐から何かを取り出し、それをダスクの靴へポンと放り当てた。



「見て分かるように、それは聖水だ。それを飲み干せたのなら、私の勘違いということで、お前たちの身の潔白を信じようではないか」

「……ッ」



 アンデッドにとって、聖水は硫酸も同じ。

 多少は耐性があるダスクでも、一瓶の量を体に取り込めば流石に命は無いだろう。



「どうした? 早く飲んでみろよ。一日の労働が終わった庶民が、安っぽいビールで疲れと渇きを癒すようにな……!」



 躊躇うダスクの様子を見て、己の勘を正しさを証明したザッキスが、ニタリと残忍な笑みを浮かべる。



 彼に従っていた聖騎士たちが私たちをぐるりと取り囲み、抜剣して臨戦態勢に突入。

 殺伐とした空気に気付いた周囲の市民が、潮が引くように一斉に逃げ出した。



「――やはり地下水路に潜伏していたのか。しかし、昨日の今日で、二人揃って呑気に街中を見物しているとは……馬鹿なのか?」



 返す言葉も無かった。



「……確かに迂闊だったようだ。それから貴様のことも少しみくびっていた。今夜のことは大いに反省しなくてはな」



 正体を見破られたダスクが、スカーフを外して鋭利な牙を露わにする。



「なあに、反省の必要など無いさ。した所でもう貴様らに次の夜は訪れない。今すべきは後悔と絶望、それだけだ」

「生憎、その二つなら三百年前に済ませている……ッ!」



 ダスクが足元に転がっていた聖水の小瓶を爪先で蹴り付け、正確にザックスの顔面へと飛ばす。

 だが、その動きをザッキスは読んでいた。



「『蛇行する輝鎖スネーク・チェーン』」



 飛んで来た聖水を事も無げにキャッチすると、空へ跳び上がった私たちへ魔法を発射した。

 魔法で生み出された鎖が、大蛇の如くくねりながら私たちへ巻き付き、あっと言う間に拘束した。



「ぬぐ……ッ」

「これは……ッ!?」



 他の聖騎士も同じく『蛇行する輝鎖スネーク・チェーン』を放ち、私とダスクは二重三重に締め上げられ、完全に身動きを封じられた状態で石畳の上へ落下する。



「フハハッ、まるで漁船の甲板に釣り上げられた魚だな。手も足も出ず、ただビチビチと体を跳ねさせることしかできない。これならば昨夜見せたような謎の転移による離脱もできまい」



 勝利を確信したザッキスが剣を抜き、小瓶から滴る聖水で剣身を濡らし始めた。

 あれでとどめを刺す気だ。



「さて、どちらから先に始末して欲しい? ヴァンパイアか? それとも女か? 貴様らで決めてくれよ」



 ニタニタと笑いながら残酷な選択肢を突き付ける。

 どこまでも癇に障る男だ。



「決められないのなら、仲良く同時に首を刎ねてやろう……!!」



 聖水で濡れた剣が来る。

 拘束を破る術も、身を躱す術も無い。



「死ねぇぇぇぇえええええええええええええええええええッ!!」



 歓喜で歪み切った表情で、ザッキスが剣を振り抜き、そして――



「えっ……」

「これは……ッ」

〈あれ……?〉



 ――私の身は、だだっ広い草原の真ん中に横たわっていた。



「まただ! あの時と同じ、カグヤの能力……!」



 時間と空間が飛んだように、一瞬にして遠く離れた場所へ移動している。

 ダスクとセレナーデも一緒で、全身を絞め付けていた『蛇行する輝鎖スネーク・チェーン』すら解けている。



「どこかへ転移したみたいですが……ここはどこでしょうか……?」

〈具体的な場所は分からないけど、すぐそこが帝都だ〉



 セレナーデの尻尾が示した先には帝都の都市防壁。

 ここは帝都の外の、無人の草原らしい。



「ジェフ、ザッキスたちの様子はどうだ? ノクターンはまだ向こうに居るんだろう?」

〈観てみるよ。どれどれ……ああ、うん、彼らも呆気に取られているよ。あの時と同じだ、どこへ消えたと言って、付近をウロウロキョロキョロしてる〉



 有り難いことに、全身の動きを封じれば転移できない、という彼らの読みは見事に外れた訳だ。



「でも、どうしましょう。難を逃れたのは幸運ですが、帝都から外れてしまいました……」

〈入都する際には検閲がある。指名手配されている君たちでは間違い無く気付かれてしまう〉

「地下水路を通って入ることはできませんか?」

〈使っていることがザッキスにバレた以上、そっちの警戒も厳しくなっているはずだ。今僕が居る地下室に着く前に見つかる可能性が大きい〉



 フェンデリン家の関与が発覚すれば、匿ってくれたオズガルドやエレノア、サリーにも迷惑が掛かってしまう。



「……カグヤ、今の転移をもう一度できるか?」



 考え込んでいたダスクが尋ねる。



「できる、とは思いますけど……」



 私の魔力の解放条件は未だ不明だが、こうして転移できた以上、今はそれが満たされているのは間違い無い。



「ではこれまでとは違い、行き先を指定することは……?」

「それは、分かりません……」



 冥獄墓所への転移も、サウレリオン大聖堂からの脱出も、今の離脱も、敵の居ない場所へ避難できればいいという気持ちだけで、特定の場所を目指す意思は働いていなかった。



「では試してみてくれ。行き先はフェンデリン家の地下室だ」

「はい……」



 私に触れており、かつ許可した相手であれば共に転移できる。

 セレナーデを抱き上げ、ダスクが肩に触れたのを確認してから、フェンデリン家の地下室を思い浮かべながら念じる。



 危険な状況ではないのに、場所の指定など初めてなのに、果たして上手くいくのだろうか、という不安が波のように押し寄せる。



 ――だが、それは杞憂だった。



「きゃっ……!?」

「うわ……ッ!?」



 気付けばそこは草原ではなく、思い浮かべた通りの場所に私たちは立っていた。



 目の前で驚いた声を上げたのは、サリーとジェフ。

 まばたきよりも短い時間の内に、パッと現れたのだから無理も無い。



「や、やあ、お帰り……」



 戻って来たセレナーデを撫でて、ジェフが苦笑いする。



「えっ? えっ? い、いつの間にお帰りに……!?」



 事情を知らないサリーが、突然現れた私たちを見て困惑していた。



「た、只今戻りました……」



 上手くいったことに驚きと安堵を感じながら、帰って来た落ち着ける場所で、見知った人々に挨拶する。



「早速で悪いがサリー、エレノアを修練場まで連れて来てくれないか。鑑定水晶も持って来るように言ってくれ」

「か、畏まりました……」



 ダスクに言われて、サリーが速やかに退室する。



「どうしてエレノア様を?」



 てっきり今回の件の報告と謝罪かと思ったが、ダスクの答は意外なものだった。



「君の魔力の解放条件が分かった」


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