#3 カグヤとテルサ

 皇后一行の案内を終え、父の元へ戻ると――



「申し訳ありません、フェンデリン総帥閣下。残念ながら貴公の立ち会いは認められないと、教皇猊下から直々に申し付けられております。どうぞお引き取りを」

「妙なことをおっしゃいますな、ゼルレーク団長。前日の確認では予定通り訪問せよと言われたというのに、いざここに来て帰れとは、一体如何なる了見か?」



 父と言い合っている老人の名は、宮廷魔術団総帥オズガルド・デルク・フェンデリン。



 魔法に関しては、この国で右に出る者無しとうたわれるほどの大人物だ。

 以前、父が率いる聖騎士団の部隊でさえ圧倒された変異ワイバーンを、彼が上級魔法一発で撃破した所を見た時は、レベルの違いに衝撃を受けた。



「何を騒いでおる」



 悠然とした足取りでやって来たのは、栄耀教会の最高指導者ラモン・エルハ。ズンダルク教皇。



「教皇猊下、我ら宮廷魔術団の立ち会い許可を取り消されたと聞き及びましたが、相違ありませんかな?」

然様さよう。残念ながらこの場に貴公らの席は無い。お帰り願おう」



 当然のようにのたまう教皇に黙っていられなかったのは、オズガルドの後ろに控えていた宮廷魔術団総帥補佐官。



「それで我らが納得するとお思いか……!」

「控えよ下郎、誰に向かって物申しておる。無礼者め」



 あの総帥補佐官も確か、それなりの家の出だったはず。

 下郎呼ばわりされて面白いはずが無く、頭に血が上った彼が更に声を荒らげようとしたが、察したオズガルドがそれを手で制した。



「如何なる理由でそのようなご判断を下されたのか、是非お聞かせ願いたい」



 ワイバーンと戦った時でさえ、あんなに険しい顔はしていなかった。

 老人とは思えない、凄まじい迫力である。



「つい先頃、島の周辺で不審者を数名捕縛したことは、総帥閣下も聞き及んでおりましょう」

「うむ。例の『黄昏の牙』の一員だとか」

「その内の一人が申しておったのですよ。自分はフェンデリン閣下の指示で動いていた、と」



 教皇のその言葉にざわめきが起きる。



「ほほう。教皇猊下はこのオズガルドがテロ組織に関与して、此度の『儀式』を妨害する腹積もりと、そう仰るのですかな?」


 双眸そうぼうを猛禽の如く尖らせて凄む老魔術師に対し、ラモン教皇はのらりくらりとした態度で、



「まさかまさか、そこまでは申しておりません。しかしながら、そうした可能性がわずかでも浮かんできた以上、私としては許可致しかねるということです。事が起きてからでは遅いので、あくまで念のために」

「そのようなやからの妄言を真に受けて、皇帝陛下から直々に許可を得た私を除け者にするとは……規律と秩序を重んじる栄耀教会の、その指導者のお言葉とは思えませんな」

「わたくしもそう思いますわ、教皇猊下。フェンデリン閣下の立ち会いに何の不都合がありましょう?」



 不穏な空気を感じ取ってやって来たのだろう、話を聞いていたレヴィア皇后がオズガルドに同調するが、教皇は首を横に振り、



「なりませぬな。例え皇后様のお言葉であろうと、皇帝陛下の許可があろうと、ここサウレス=サンジョーレに於いては、教皇たるこのラモン・エルハ・ズンダルクの方針に従って頂きます」



 オズガルドがテロ組織に関与している、というのはラモン教皇の作り話、彼を『儀式』の場に立ち会わせないための口実に過ぎないということは、ほぼ全員が察しているはずだ。



「……今回の『儀式』遂行に当たって、我ら宮廷魔術団も長年尽力してきたというのに、いざそれが実を結ぼうという時になって追い払うなど、教皇という高貴な位に就く方の為さることとは思えませんな」

「いやいや、貴公には大変申し訳無く思っております。しかしながら国家の行く末に関わる大事な『儀式』故に、些細な不安も取り除いておきたいのですよ。何卒なにとぞご理解頂きたい」



 悪びれた風など微塵も無く、胸に手を当てて詫びを述べるラモン教皇を、オズガルドが無言で睨み付ける。

 宮廷魔術団と栄耀教会、それぞれの頂点に立つ老人同士の気迫の籠った睨み合いを、その場の誰も声を発することができず、ただ固唾かたずを呑んで見守っていた。



 そうして十秒ほど経った頃だろうか。



「――皆、今日は帰ろう」



 口を開いたのはオズガルド。

 これ以上は無駄だと悟ったのか、諦めの口調で部下たちにそう言った。



「総帥閣下……!」



 世紀の『儀式』を拝める、またと無い機会を奪われた宮廷魔術師たちの顔には、当然ながら憤慨ふんがいの色が滲んでいた。



「教皇猊下は、もう我らの協力など要らぬと仰せのようだ。余程手柄を独り占めしたいと見える」

「今日のことは報告書にして届けさせますので、御安心を」



 勝ち誇ったようにラモン教皇がほくそ笑む。



 合理性を重んじる宮廷魔術団と、伝統と格式を重んじる栄耀教会は昔から仲が悪いことで有名だが、オズガルドとラモンという個人の間でも、若い頃から反目し合う間柄と聞いている。



「ゼルレーク団長、総帥閣下を橋までお送りせよ」

「御意」



 父に続いて、私も総帥一行に付き添う。



 理不尽な扱いをされて怒り心頭に達した宮廷魔術師たちが、何かしでかすのではないかと不安になったが、国を代表するお歴々の面前でそんな真似はするまい、と自分に言い聞かせる。



 去り際、オズガルドがふと足を止めて、ラモン教皇の方へ向き直る。



「また新しい指輪をしておられますな、教皇猊下。なかなかの値打ち物とお見受けする」



 彼が見ているのは教皇の顔ではなく手――いくつもの宝石が嵌まった、恐らくは純金製の指輪。



「……それが何か?」

「万民が窮するこの暗黒の時代に、それほどの指輪を買い替える余裕があるとは……大聖堂の庭には金の成る木でも生えているのでしょうかな。実に羨ましい」



 それだけ言うと、宮廷魔術団総帥は振り返ること無く、部下たちを従えて儀式場から去っていった。



「遠吠えにもならぬわ、オズガルドめ」



 フンという鼻息と共に、後ろの方であざけりの声が聞こえた。



 宮廷魔術団を除く、参加予定の全員が集まってしばらくした後で、遂に『儀式』の時が訪れた。



 皇立学術院で理論を学びはしたが、所詮は門外漢である私には細かいことは分からない。



 大聖壇に込められた魔力を、聖魔術師たちが解放し調節、膨大な量の魔力が場に満ちていくのが分かる。

 あまりの強さに、私や父ゼルレークなど魔力感知力に優れた者たちが酔いを感じ、立ちくらみを引き起こしていた。



 それにしても、あれだけの魔力を一体どこから集めたのだろうか、という疑問が浮かぶ。



『儀式』の準備、特に大聖壇の整備や魔力調達といった重要な部分は聖魔術師の中でも、特に能力に秀で、かつ信の置ける者たちで極秘裏に行っており、父も聖騎士団長という立場でそれに関わっていたそうだが、機密故に話してくれたことは無い。



 ラモン教皇がオズガルドら宮廷魔術団を強引に追い払ったのは、手柄を独占する為だけでなく、彼らに『儀式』の様子を見られることで、教団の極秘技術を知られないようにする意図もあったのかも知れない。



 大聖壇に描かれた魔方陣の輝きが魔力と共に増していき、最終的には、まるで小さな太陽がその場に出現したのかと錯覚するような、強烈なものに変わった。



 その場の全員がまぶたを閉じ、顔を背け、手をかざした。

 そして、軽い爆音にも似た音が上がり――光はまたたく間に収束する。



 恐る恐る眼を開けると、くらんだ視界の中、先程までは無人だった大聖壇の上に人影が見えた。



「あれが……」



 髪の長い、華奢きゃしゃな体躯の人物が半身を横たえていた。



「おお……成功だ!」

「何と、まさか本当に召喚するとは……」

「奇跡だ……」



 場が湧き立つ。



 その聖なる姿をこの眼に焼き付けたい所だが、それが少しはばかられる事情がある。

 と言うのも、この『儀式』でこの世界に持ち込めるのは「対象のみ」だからだ。



 詳細に語ると、対象となる人物の肉体以外の物質は例え砂一粒だろうと弾かれてしまい、それは衣類や装飾、所持品も例外ではなく、全て元の世界に置いてきてしまうのだと聞いた。



 したがって、召喚直後の彼女は全裸。



 当然、そんな破廉恥な姿を衆目に晒す訳にはいかないので、召喚が完了したら速やかに修道女が駆け寄り、ローブを着せる手筈になっているのだが――ここで我々は意外な展開に直面することとなった。



「ふ、二人……?」



 一体誰がこんなことを予想できただろうか。

 大聖壇の上に居た女性は、もう一人居たのだ。



「な、何よここ……私、渋谷に居たはずなのに……って、きゃあッ!? 何なのよこれぇ!?」



 まだ顔は窺えないが、互いの背格好は同じく、ただし髪の色は茶髪と黒髪という具合に異なっており、羞恥の叫びを上げたのは茶髪の女性の方だ。



「あなたは……照朝テルサ……!?」

輝夜カグヤ……な、何でここに……!?」



 壇上に登った修道女も二人居るという想定外の事態に戸惑ったが、一人分のローブしか用意していなかったため、取り敢えず近かった方――テルサと呼ばれた茶髪の女性の方にそれを掛けた。



 一方の、カグヤと言うらしい黒髪の女性は、哀しいことに未だ裸のままで、その素の体の随所には、痛々しい無数の古傷が見受けられた。



「お初にお目に掛かる。私は栄耀教会えいようきょうかいの教皇、ラモン・エルハ・ズンダルクと申します。――失礼ですが、どちらが『聖女』様でいらっしゃいますかな……?」



 登壇したラモン教皇が戸惑いの色を浮かべながらも問うが、二人の女性は無言で首を傾げるだけだった。

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