第10話 天使ちゃん












 大きさは二十センチほどだろうか。フワフワの丸くもっちりとした体に、大きくてつぶらなアーモンド形の瞳。毛色はクリーム色で、翼のような形をした耳を不安そうに伏せながらもこちらを見上げていた。

 小さいお手手には自身の顔程の大きさの実を抱え、尻尾でバランスを取りながらもトテトテとこちらへと近づいてくる。

 ウサギとリスとモモンガを合わせたような見た目をした何かに、一瞬で心を奪われてその場で固まり、ただその天使が近づいてくるのを凝視することしか出来なくなっていた。

 天使は足元まで近づいてくると、ポテッと目の前に木の実を落とす。

 そしてなぜか満足そうに体を膨らませると、耳を立ててフンスと可愛らしい息を吐いた。



「……あ、ぁ」



 可愛すぎて脳が溶けそうになり語彙力すらも低下していく。

 これは本当に野生の生き物なのだろうか。あまりにも人懐こすぎて不安になってくる。

 それともその愛らしさで油断させておいて、撫でようと伸ばした手をいきなり食いちぎるような魔物だったりしないか?


 いや、この潤んだ瞳になら騙されてもいい。


 怯えさせないように、そっと鼻先に手のひらを近づける。

 天使は指先に冷たい鼻をちょんとくっつけてスンスンと匂いを嗅ぐと、満足したように小さく「ムゥ」と鳴いてから手を伸ばし、指先をキュッと掴んだ。




 あぁ、ついにこの日、千堂志狼二十七歳は運命の出会いを果たしたのだ。






 ***






「それでぇ? 私が獲物を仕留めて解体して戻ってくる間にずーっと、その子とイチャコラしてたわけですか」


「す、すまん」


「まったく、危機感が足りなさすぎですよ! 危ない魔物だったら今頃お陀仏だったんですから! 」


「はい、反省してます……」



 パチパチと音を立てながら、焚火から飛び出した火花が空を舞う。

 既に陽は落ち、清廉で美しかった森の中は瞬く間に先も見えない深い闇に飲まれ、昼間とは打って変わって陰鬱な雰囲気を漂わせていた。

 見たこともない月よりもいささか小さな星が二つ、頼りない明かりを真っすぐ空から下ろし、木々の隙間を縫うように零れているのが見えると、それだけで地球ではないのだという感傷を呼び起こさせる。


 昼間よりも気温が下がって肌寒いからなのか、天使がピタリと胸元に寄り添い離れようとしない。

 それが何よりも愛らしく、自然と顔の表情がドロリと溶けて甘くなっていくのが自分でもわかった。


「その子、結局なんなんです? 」


 散歩がてら仕留めたイノシシらしき生き物を、あっという間に捌いて手作りの串に刺し始めた後輩は、見事な手際で火を起こすと、時折串の位置を調整したりして火加減を確かめながら、若干不貞腐れつつそう言った。


「一応ヘルプ機能でこの子の可愛らしい見た目をありったけ入力して検索かけてみたら『フォーチュンラビィ』って名前の生き物が該当したんだよ。本来は警戒心が強くて人前には滅多に出てこない希少な魔物らしい。従魔にすると幸運に補正がかかるってさ」


「へぇー……じゃあもう従魔にしたんです? 」


「いや、まだだよ。物事にはもっと順序ってものが」


「いやいやいや、その子もう先輩にベタ惚れじゃないですか! 警戒心の欠片もないし! 相思相愛なんだからさっさと契約しちゃってください! 」


「そ、そうか? 無理強いはしたくないんだが……。天使ちゃん、よければ俺と一緒に来ないか? 君のことは俺が絶対、何が何でも幸せにするから」


 手のひらですくい上げるようにして眼前に持ち上げると、まっすぐその子を見ながらそう声をかける。


 向かい側から「プロポーズじゃないんだから」などと呆れたように言っている後輩の声が聞こえつつも、気にせずに互いを見つめ合う。

 モコモコとしたぬいぐるみのような姿かたちにピッタリな小さな鼻がヒクヒクと忙しなく動いているのが可愛すぎて辛い。

 愛でたい気持ちと冷静になろうという思考が脳内で葛藤する中、目の前の天使はこちらから目をそらすことなくムゥムゥと鳴き声をあげながら手のひらから飛び出すと、肩へ腕へと飛び移り、一頻り何かを確認するとムゥムゥと小さく鳴きながら何かを訴えるようにして手を動かし始めた。

 

「うん、可愛いな? おてて広げちゃって可愛すぎるな? 」


「いやいや、どうみても何か言いたいみたいですけど? 」


「……確かに。どうしたのかな? 」


「うーん、契約してもいい感じの雰囲気なんですけどねぇ。何かが原因で契約できないとか? 」



 後輩の言葉に、天使ちゃんは大きく頷く。

 人の言葉まで理解できる賢さを持っているとは、この子の素晴らしさがさらに増して天元突破していく。

 そんなことを思いながらだらしない顔をしている間も、天使ちゃんは必死に何かを伝えようとムゥムゥ鳴き続ける。


「これがファンタジーのお決まりなら、契約に必要な何かがあるとか、儀式的なものをやんなきゃ駄目とかそういうのありますよねぇ 」


「契約に必要な何かねぇ。たぶん従魔契約するにはスキルの【従魔術】を使う必要があるんだよな。でもあれはグレーになってたから使えな……あっ! そうか、魔力か! 」


「魔力? 」


 おそらくではあるが、ファンタジーな世界の契約にこちら側の常識は当てはまらない。

 お決まりの書類などではなく、魔力を介して契約をするのではないだろうか。

 しかし、【異邦人】である我々に魔力を溜めこむ【器】は存在せず、今のままでは契約が出来ない。というか、【器】がなければこの世界ではまともに生活できないのではないか?

 だからこそ【開花の薬錠】が必要なのだろう。


 持ち物欄から【開花の薬錠】を取り出すと、向かいに座っていた後輩が不思議そうな目でそれを見つめる。


「なんですかそれ? 種? 」


「いや、魔法を使えるようにする薬らしい」


 そう言って【ヘルプ】で得た情報を後輩に話す。


「へぇ、魔力の【器】を造る薬がご丁寧に持ち物に混ざってるとか、絶対何かしらの意図が働いてますよね。スマホを勝手に魔改造されちゃったのもそうですけど、いったい私たちに何をさせたいんだか」


 後輩はそう口から零しつつも自身の持ち物欄から【開花の薬錠】を取り出す。そして薬をしげしげと眺めると、そのままためらいもなく口へと放り込んだ。






 










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