庭先の虚無僧

不労つぴ

虚無僧

 綺麗な笛の音が聞こえた。

 それは小学生の僕にとって、今までに聞いたことのない不思議な音だった。


 僕は遮光カーテンの隙間から、恐る恐る外を覗く。


 ちょうど庭の小さな松の木が死角になっているようで、顔がよく見えなかった。

 だが、庭では袈裟けさを着た男が笛を吹いていた。


 袈裟の男は今尚、笛を吹き続けている。

 しばらく観察してみたが、どうやら僕の家の前を動く気は無いらしい。


 僕は父と母の元に駆け寄り、興奮気味に報告する。


「父さん!母さん! 家の前に変なお坊さんみたいな人がいる!」


 興奮する僕をよそに、父と母は困ったように目を合わせた後、父は大きな溜め息を付いた。


 そして、財布から小銭を取り出して僕に渡した。


「外にいる人にこれを渡してきなさい」


 今思い返すと、何故僕がそんなことをしなければならなかったのかと思うが、当時の僕は少し不満に思いながらも、渋々外に出た。


 笛の音は、まだ鳴り響いていた。

 その時の僕には、笛の音がまるで早く誰か出てこいと急かしているような気がした。


 靴を履き、玄関を出ると僕の足は重りがついたように重くなる。

 何故なら、家の前で笛を吹いていた男は、時代劇に出てくるような藁の被り物を被っていたからだ。


 俗に言う虚無僧というやつだろうか。

 学校の授業で習ったような気がする。


 実際に生で虚無僧を見たのは、後にも先にもこれが初めてだった。

 そもそも、虚無僧なんて中々お目にかかれるようなものでもないだろう。


 この近くで虚無僧が出るなんて初めて聞いた。

 目の前の男は、この地域ではないどこか遠いところから来たのだろうか。


 笛の音が止んだ。

 虚無僧は僕に気づいたようだ。


 僕は恐る恐る虚無僧に近づき、ポケットに入れていた小銭を取り出す。


「……あのぉ。これどうぞ」


 虚無僧は僕の手から小銭を受け取った。


「ありがとう坊や」


 優しい声だった。

 声の頃から判断するに三十代くらいだろうか。


 虚無僧の不気味な外見からは、想像のつかない優しい声だったので僕はたいそう驚いた。


「お礼にお祓いをしてあげよう。少しじっとしててね」


 僕が断ろうとする隙を与えず、虚無僧は懐から黒板消しのようなものを取り出し、それを使って僕の肩や背中をぽんぽんと叩いた。


「これで終わりだ。ありがとう坊や」


 おおよそ1分程度だっただろうか。

 虚無僧のお祓いは終わった。


 彼は黒板消しのようなものを懐に戻した。


「私はそろそろ行く。。坊や」


 そう言って、虚無僧は去っていった。

 僕は意味が分からず、しばらくその場に立ち尽くしていた。


「まぁ、タダでお祓い受けれたし。いっか」


 そんな独り言を言いながら、僕は上機嫌で家に戻った。

 最後に虚無僧が言っていた事が心の中で引っかかっていたが、やがてすぐに頭の中から消えた。


 それから少し後になって、彼が言っていた意味を僕は理解することになる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

庭先の虚無僧 不労つぴ @huroutsupi666

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画