逃走者 綾人

 真幌駅近くの商店街を、奇妙な二人連れが歩いていた。

 片方は小林綾人、もう片方はルイスである。二人は大きなリュックを背負い、とぼとぼ歩いていた。私立探偵に家を訪問された上、公園で騒ぎを起こしてしまったのだ。もう、今まで住んでいたアパートには居られない。



 昨日の夜、綾人は家に戻ると同時に荷物をまとめた。とは言っても、大した物があるわけではない。着替えや身の回りの細々とした物や、通帳などである。

 念のため、ルイスに声をかけた。


「ルイス、君はどうするんだい? 俺はこの家を出て行くけど」


「何で出て行くの?」


 ルイスは不思議そうな顔で尋ねた。


「ここには居られないんだ。怖い人が大勢来るから──」


「怖い人来たら全員殺す。綾人守る」


 表情ひとつ変えず、淡々とした口調で言い放つルイス。綾人は、どう答えればいいのかわからなかった。ルイスが自分を心配してくれるのは嬉しいし、ありがたい話ではある。だが、人は殺さないで欲しい。


「ルイス、約束しただろ。人は殺さないって」


「うんわかった約束したの忘れてた。でも何で人を殺しちゃいけないの?」


 無邪気な表情で、昨日と同じ質問を投げかけてくる。綾人は答えに窮した。ルイスの問いかけは、今の自分にとってあまりにも難解なものだ。簡単に答えられるはずがない。


「駄目なものは、駄目なんだ」


 言いながら、己に対する嫌悪感を覚えていた。駄目なものは駄目、とは。まるで答えになっていない。ただ頭ごなしに否定しているだけではないか。ワイドショーの頭の固いコメンテーター並みの愚かな答えである。しかも、自分は人殺しなのだ。それも、実の母親の首を絞めて殺害した。

 そう、この手で首を──


「綾人どしたの」


 ルイスが顔を覗きこんできた。綾人は我に返り、微笑んで見せる。いつの間にか呼吸が荒くなっていた。気分も良くない。だが、ひとまず落ち着かなくてはならない。この少年に心配をかけてはならないのだ。


「大丈夫だよ、ルイス……俺は大丈夫だから」




 その後、綾人はルイスと共に家を出た。

 ルイスは不思議そうな顔をしながらも、素直に綾人に付いて来ている。もっとも、行くあてなどない。そもそも、何のためにこんな逃避行をするのか……それすらわからない。今までは警察が来たら、いさぎよく逮捕されるつもりでいた。逃亡生活は過酷なものと聞いている。自分のような人間には耐えられないだろう。そんなことをするくらいなら、さっさと逮捕された方がマシだ。

 ついこの前までは、そう思っていたはずだった。なのに今は、ルイスを連れて逃亡生活に入ろうとしている。一体どこに行けばいいのか、それすらもわからぬままに。


「綾人どこ行くの」


 不意に、ルイスが尋ねてきた。綾人はため息をつく。それを聞きたいのは、他ならぬ自分なのだが。


「さあ、どこに行こうか」


 綾人は言いかけた。だが、不意にある考えが頭を掠める。


「ルイス……君はもう、テレビが観られないかもしれないよ。テレビ好きだったろ?」


「うん好き」


「だったら、警察に行った方がいいんじゃないのかな?」


「けいさつ? 何で?」


 ルイスは首をかしげる。綾人は辺りを見回した。すぐ近くにバス停がある。綾人はそこまで歩き、設置されているベンチに座った。ルイスも隣に座る。


「警察はわかるよね?」


「うんわかる。犯人を逮捕する人だよ。でもルイスは犯人じゃない」


「えっ……」


 綾人は思わず口ごもる。ルイスには罪を犯したという自覚がないらしい。だが、それも当然だろう。昨日の乱闘は、そもそも綾人を守るのが目的だったのだ。

 その時、綾人の中に閃くものがあった。


 そうだよ……。

 ルイスは俺を守るために、あいつらを叩きのめしたんだ。

 警察に行ったら、俺のせいでルイスは逮捕されてしまうんじゃないか……。


「ルイス……僕と一瞬にいたら、当分テレビは観られなくなる。それでもいいかい?」


「うんいいよ」


 ルイスは素直に頷いた。




 その後、二人は商店街を歩いている。だが、綾人は奇妙なことに気づいた。さっきから、強い視線を感じる。通りすがりの女の視線だ。綾人は不思議に思い振り返ってみた。もしかしたら、ルイスが突拍子もないことをしてるのではないか、と思ったのだ。

 しかし、ルイスは普通に歩いている。綾人は首をかしげるが、次の瞬間に視線の理由に気づいた。ルイスは顔が良すぎるのだ。整った美しい顔は、商店街では否応なしに目立つ。しかも、今は昼間である。暇な奥さん連中が多いのだ。そんな中にルイスが歩いていては、注目されない方が難しい。

 仕方ない。人通りの少ない道を行くとしよう。


「綾人どしたの」


 立ち止まっている綾人に疑問を感じたのか、ルイスは首をかしげた。思わず苦笑し、辺りをを見回す。


「ちょっと、こっちの道を行こうか」


 二人は裏通りに入って行く。だが、綾人は何も気づいていなかった。

 強い視線は、奥様方だけのものではなかった。二人は、妙な男に尾行されていたのだ。




 二人は、人通りのない路地裏を進んでいく。

 五分ほど歩いた時、綾人は立ち止まった。自分たちが行くべき場を、ようやく思いついたのだ。

 そこは、古い病院の跡地である。幽霊が出るという噂もあった。幼い時に一度、怖いもの見たさで入ってみたことがあったが……あまりの不気味さに、すぐに引き上げたのだ。そこなら、少なくとも雨露は凌げる。


「ルイス、ここからしばらく歩くと、病院の跡地があるんだ。今からそこに行こうか──」


「君たち、ちょっと待ってくんないかな」


 綾人の言葉を遮る、背後からの突然の声。驚きのあまり、その場で硬直した。そっと振り返る。

 三メートルほど離れた位置に、強面こわもての中年男が立っていた。



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