暴力脱走 春樹

 上田春樹は、そっとルイスを見つめた。

 まるで人形のように、整った顔立ちだ。目、鼻、口など、ひとつひとつのパーツのバランスもいい。まともな育ち方をしていれば、さぞかしモテたことだろう。

 だが、ルイスはまともではない。本物の殺人鬼なのだ。その気になれば、自分などいつでも殺せる。今はおとなしくテレビを観ているが、何かの拍子に暴れ出したら?


「上田、こっちこいよ。暇だから、また面白い話でもしてくれや」


 隣の部屋から、佐藤浩司の声がした。内心うんざりしながらも、隣の部屋に行く。

 ルイスは、彼のことなど見ようともしていない。ひたすらテレビを観ていた。




 昨日、桑原徳馬が二人の子分を連れて訪れた時のことだった。春樹は、思いきって尋ねてみた。


「あのう、すみません……ちょっといいですか?」


「何だ」


 桑原は不気味な目で、こちらを見つめる。震えそうになりながらも、どうにか言葉を絞り出した。


「だ、大丈夫なんでしょうか……あのルイスってガキが暴れ出したら、どうします?」


「そん時は、お前らが何とかしろ。ただし、傷は付けるな」


 無表情のまま、そう言い放った桑原。

 しかし、春樹はなおも食い下がる。桑原への恐怖よりも、ルイスから受ける脅威の方が遥かに上回っていたのだ。


「それ無理ですよ。あいつは、普通じゃないんです。本物の殺人鬼ですよ……あいつがその気になったら、俺なんか一瞬で殺されます──」


 言い終えることは出来なかった。桑原の手が、春樹の襟首を掴んでいたからだ。


「だったら、ルイスの手綱を握っておとなしくさせとけ。暴れ出さないように、機嫌よくさせておけばいいだろうが。少しは頭を使え」


 言いながら、桑原は顔を近づける。同時に、襟首を掴む手の力が強まる。春樹は苦しさのあまり、返事が出来なかった。


「俺もな、あのガキが本気で暴れ出したら、お前らじゃあ勝ち目がないだろうと思う。だがな、お前らの仕事はルイスを取り押さえることじゃない。ルイスの世話をすること、だ。ルイスはここで快適な生活さえさせておけば、逃げ出したりしないはず……俺はそう読んでいる」


 そこで、いったん言葉を切った。同時に、手の力が緩んでいく。

 春樹は大きく息をした。桑原の腕力は、見た目からは想像もつかないほど強い。改めて、この男もまた怪物であることを思い知らされた気がした。


「いいか、もし力ずくで取り押さえるのが目的なら、俺はお前ではなく、この板尾を残すよ」


 そう言うと、桑原は自分の横にいる巨漢を指差す。身長は二メートル近くあるだろうか。体重は、百キロを遥かに超えているだろう。まさに小山のような体格である。


「板尾は昔、相撲取りだった。八百長がバレてクビ切られたがな、今でもパワーは衰えちゃいねえ。お前なんか、張り手一発で殺せる。なあ、そうだろ板尾」


 その言葉に、板尾は小さく頷いた。


「こいつなら、ガキが暴れても取り押さえられるだろう。だが、こいつには他の仕事がある。それに、肝心なのは取り押さえることじゃねえ」


 ここで、桑原の表情が変化した。穏やかな、優しさすら感じさせるものへと……そんな表情で、言葉を続ける。


「大切なのは、暴れ出さないようにすること、だ。今の俺たちにとって、ルイスは大事な取り引き材料なんだよ。傷つけるわけにはいかねえんだ。お前らの仕事は、奴に快適な生活をさせ、おとなしくさせておくことだ。それに……ルイスは今まで、マンホールの中で暮らしてたって話だ。それに比べれば、今の生活は極楽さ。あいつに不満さえ感じさせなきゃ問題ないはずだ。わかったな?」


 優しく、諭すような口調で語る。春樹は、それ以上何も言えなかった。


「は、はい……」




 春樹がそんな不安を抱いているというのに、佐藤は呑気なものだ。今も、春樹のつまらない与汰話を聞いて笑っている。

 その時、思い出したことがあった。


「あの、佐藤さん……桑原さんは昔、銀星会の幹部だったんですよね?」


 春樹が尋ねると、佐藤は頷いた。


「そうだよ。昔は銀星会の幹部だった」


「今は違うんですか?」


「ああ。五年くらい前に、あの人が仕切ってるカジノに強盗が入り、売上金を奪われたんだ。その責任を取らされて、あの人は破門させられたんだよ。ま、もともと銀星会でも敵の多い人だったらしいからな」


「へえ、そうだったんですか」


「あの人はな、敵に廻したらおっかねえぞ。やることが、本当にえげつないからな。けど、下の人間への面倒見はいいぜ。上に立つ人間てのは、ああでなきゃあな」


「そうですね」


 春樹は、表面上は頷いて見せている。だが、佐藤の評価など知ったことではなかった。銀星会を破門された、という話は聞いたことがある。だが、どういう事情かは全く知らなかった。

 銀星会に敵が多いのならば、それを上手く利用し逃げられないだろうか。


「おしっこしたい」


 突然、ルイスの声が聞こえてきた。二人は立ち上がり、隣の部屋に行く。少年をトイレまで運び、手錠を外した。春樹は、この瞬間が怖くてたまらないのだ。手錠が外され、両手が自由になったこの瞬間が……しかし、佐藤は気にも止めていないようだ。能天気に、こんなことを言っていた。


「足は動かないんだから大丈夫だよ。いざとなったら、俺がボコッてやるし。向こうが襲ってきたら、殴ってもかまわないって桑原さんも言ってたぜ」


 確かに、足錠はかけられたままだ。しかし、両手さえ動けば問題ないのではないか。

 両手さえ自由に動けば、ルイスは簡単に人を殺せるのではないか。


 その時、来客を知らせるブザーが鳴った。


「チッ、誰だよ。桑原さんが来る訳ねえしな……おい上田、出てみろ。差し入れかもしれねえぞ」


 佐藤が面倒くさそうに言う。春樹は、言われるがまま扉に近づいた。



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