甦る野良犬 陽一

 真幌市は、もともと下町であった。住宅地には、昔ながらの昭和という時代に特有の風景が残っている。築三十年の木造アパート、土管の放置され鉄条網に囲まれた空き地、得体のしれないゴミ屋敷などが放置されたままだ。

 しかし駅の周辺は開発が進んでいて、様々な店があり若者向けの雑誌などで取り上げられることもある。お洒落な店も少なくない。

 そんな駅前ではあるが、お洒落とは真逆の、総合格闘技のジムもある。看板にはグラブをはめた女性モデルの写真が使われているが、中は男臭い雰囲気だ。

 そのジムの中に、西村陽一の姿があった。



 己の中に蠢く怨念を吐き出そうとするかのような勢いで、陽一はひとりサンドバッグを蹴りまくった。三十秒間、凄まじい勢いで蹴りを叩き込む。

 そして次の十秒間は、鉄棒にぶら下がり懸垂を繰り返す……さらに二十秒のインターバルを挟み、再び三十秒間サンドバッグを蹴り続ける。

 時刻は既に午後十時を過ぎており、他の会員のほとんどは帰っていた。ジムに残っているのは、陽一とトレーナーと隅でウエイトトレーニングをしている二人組だけである。

 トレーナーはプロの格闘家であり、会員のほとんどが帰った後、ジムの片隅で黙々と自身の練習に励むのだ。しかし、そんな彼も時おり陽一のトレーニングを横目で見ては、呆れたような表情を浮かべていた。


「じゃあ、お先に失礼します。ありがとうございました」


 自身のトレーニングメニューを消化した後、陽一はトレーナーに挨拶してジムを後にする。

 ウエイト・トレーニングのジムと総合格闘技のジム、その両方に陽一は通っているのだ。暇な時は肉体を鍛え、様々な知識を頭に詰め込み、場合によっては必要と思われる技能の習得に努めることもあった。

 陽一の毎日は、こうして過ぎていく。彼の生活は、機械のように規則正しいものだ。

 ほとんどの犯罪者が、法を犯して得た金をあっという間に使い果たす。結果、またしても犯罪に手を染める。この負のスパイラルは、大抵の場合、当人が逮捕されるまで止まらない。

 陽一は真逆である。悪銭身につかず、という言葉があるが、彼には当てはまらない。そもそも、普段から金を使わないのだ。もっとも、それは陽一がストイックだからという理由ではない。頭のキレる男だから、という理由でもない。もっと単純に、彼は金を使うことに興味がない……ただ、それだけなのだ。




 無人のアパートに戻った陽一は、携帯電話を取り出す。これはいわゆる「飛ばし」のガラケーだ。一月の間は掛け放題だが、それを過ぎると繋がらなくなる代物である。彼も昔はスマホを使っていたが……今では機種にはこだわらなくなっている。


リョウ、次の仕事はどうなってる?」


(ああ、どうも。今ん所はまだですね。ねえ陽一さん、稼ぎたいならもっと割のいい仕事が──)


「俺は、詐欺みたいな面倒くさいことはやらない。前にも言ったはずだ」


(そうでしたね。ま、気長に待っててください。いっそ、このまま足洗ったらどうです?)


「バカ言うな。とにかく、何かあったら電話しろ」


 電話を切り、陽一は溜息をついた。どうやら、しばらくは暇なようだ。となると……。

 思案げな表情で、しばらく携帯電話を見つめた。ややあって、今度は別の人間に電話をかけた。


「あ、士郎さん。こないだの話ですが、引き受けますよ。今んところ、暇ですし」


(そうか。はっきり言って、大した仕事じゃないし、金も安い。タダ働きの可能性も低くないぜ。それでもいいのか?)


「構いませんよ。今は暇ですから」


(そうか。じゃあ、夏目さんにお前の番号を教えておくからな)


「ええ、お願いします。確認ですが、その夏目さんという方は、二人殺した奴と接触するんですよね?」


(いや、そこはまだはっきりしないんだ。夏目さんは、その恐れがあると言ってたがな)


「わかりました。さしあたっては、夏目さんをガードすればいいんですね」


(そうだ。俺はあの人に借りがあるからな。頼んだぜ)


 電話を切り、今の話について考えてみた。

 夏目正義ナツメ マサヨシ……都内で私立探偵をしている四十過ぎの男だ。直接、会ったことはない。ただ、堅気の人間であるらしいとは聞いている。その夏目が、殺人犯かもしれない男と接触する。陽一の仕事は、夏目をガードすることだと言われた。

 一方、先ほど電話で話した天田士郎アマダ シロウは裏の仕事人である。年齢不詳だが、恐らくは三十前後だろう。陽一がこの業界に入ってから、ずっと世話になっている男だ。見た目は平凡だが、人間の死体を解体して薬品で溶かす……という、常人ならば気を失いそうな作業を、缶コーヒー片手にやり遂げてしまう男なのである。

 他にも、大学生でありながら裏の世界に片足突っ込んでいる成宮亮ナリミヤ リョウなど、陽一の裏の世界での知り合いは少なくない。

 数年前までは、引きこもりのニートだった陽一。皮肉にも裏の世界に関わったことにより、彼は自立できたのだ。

 しかも彼は、裏の世界に来たおかげで、友人らしきものが出来たのだ。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る