俺に明日なんかない 尚輝
真幌駅前の大通りは、昔ながらの商店街である。昭和にタイムスリップしたかのごとき風景であった。飲み屋の前を通れば、昼間からほろ酔い気分の中年男たちが何やら熱心に話している。
そんな下町風情が漂う通りの一角に、一軒のビルが建っている。四階建てであり、そこには常に怪しげな男たちが出入りしていた。
部屋の半分は、業態不明な会社のオフィスとして使われている。実のところは、ヤクザや半グレのフロント企業だ。年に数回ほどは、巨大なボルトカッターを担いだ警官隊が部屋に踏み込んでいきガサ入れを強行したりもする。
そんな怪しげな者たちばかりが潜むビルの一室にて、ひとりの男が電話をかけていた。見た目の年齢は三十代、髪は短めで目つきは鋭く、鼻は潰れている。身長はさほど高くないが、黒い革ジャンを着て無精髭の目立つ出で立ちは、堅気の人間には見えない。
「すんません、そちらに
ドスの利いた声だ。電話の向こうの相手は、明らかに怯んでいる。
(あ、あのう……中川は、ただいま外出しております。失礼ですが、どちら様でしょうか?)
「名前?
そう言って、男は電話を切った。言うまでもないが、彼はハレンチ学園の店長の大久保清なる人物ではない。
彼の名は
だが、試合中に受けたパンチが元で片目の視力を失ってしまう。結果、ボクサーを引退せざるを得なくなった。
その後、尚輝が始めた仕事は便利屋だ。
一口に便利屋と言っても、依頼される仕事は様々だ。老人の買い物や猫探しといった平和なものもあれば、法律のグレーゾーンに足を踏み入れものもある。さらには、犯罪そのものを依頼されることもある。もっとも、大半の便利屋はグレーゾーンの仕事すら断る。
尚輝の場合、依頼された仕事は金次第でほとんど引き受ける。用心棒、嫌がらせ、復讐、誘拐、死体遺棄などなど、ダーティーな仕事もお構い無しだ。
先ほどかけていた電話も、仕事のためだった。
中川に嫌がらせをして欲しい──
こんな依頼を受けた尚輝は、まず中川の留守の時間帯を見計らい、会社に電話をかけたのだ。それも、風俗店の店長のふりをして……これで間違いなく、中川の評判はガタ落ちだ。会社では今ごろ、風俗嬢に性病をうつした男という噂が広まっていることだろう。
もっとも、尚輝は仕事熱心な男である。この程度で、終わらせるつもりはない。さらなる追い込みをかける予定でいる。ネットでの誹謗中傷も悪くないが、尚輝の性分には合わない。もっと直接的なダメージを与えてやりたいのだ。精神のダメージは与えた。次は肉体へのダメージだ。尚輝は、すぐさま外に出て行く。
中川を殴るためだ。
尚輝は昔から、人を殴ることに対し何のためらいもなかった。今も、ためらうことなく中川を殴っている。とは言っても、バカなチンピラのように闘争心のおもむくまま殴り続けたりはしない。顔面に一発、腹に一発、これで充分だった。それ以上の打撃を加えると、万が一の可能性がある。内臓破裂でもしたら、後が面倒だ。
「中川さん……あんた、さっさとこの街を離れて、田舎に帰るんだ。怒らせちゃいけない人を怒らせちまったんだよ」
人通りの無い路地裏にて、中川は腹を押さえてうずくまっている。尚輝は彼の耳元に顔を近づけ、諭すような口調で言う。目出し帽で顔を覆った姿は異様で、大抵の人間を怯ませる迫力がある。
「な、何を言ってるんだ……俺が何をしたって言うんだよ……」
中川は、端正な顔を苦痛と恐怖で顔を歪めながらも言い返した。次の瞬間、尚輝は拳を振り上げた。中川はひっ、という声を上げ、両手で顔を覆う。
「いいから言う通りにしろ。、あんたなら、どこに行ってもやっていけるだろうが。、もう一度言うぞ。この真幌市を離れて、田舎に帰るんだ。でないと……今後もっと面倒なことになるぜ。まずは、俺があんたを殴る。顔が変形するまでな。俺はしつこいぞ」
中川は悪人ではない。ただ、整った端正な顔立ちの爽やかな好青年、というだけだ。しかも、仕事も出来て上司からのウケも良く、女子社員からの人気も高い……そんな男である。依頼主は、そんな中川への嫌がらせを頼んだ。依頼主と中川との間にどのような因縁があるのか、尚輝は知らない。先ほどは、怒らせてはいけない人……と言ったが、依頼主はそんな大物ではないのだ。ごく普通のサラリーマンである。恐らくは、中川の同僚であろう。
しかし、どんな依頼であろうとも……尚輝は引き受けた仕事はこなす。それも完璧に。
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