俺に明日なんかない 春樹

「俺は、一対一の喧嘩では負けたことないぜ。プロボクサーをぶっ飛ばしたことは何度もあるし、有名な格闘家をボコったこともあるよ」


「ええっ!? ホント!? すっごーい! 超強い!」


「ああ。まあ、大したことないよ。結局、格闘技と喧嘩は別。要は気合いなんだよ」


「ふぅーん……上田さんてホント凄い……カッコイイなあ」


「まあ、俺は粋でカッコイイ大人であることをモットーにしてるからな。今どきのガキは、みんなカッコ悪い奴ばっかだからよ。だから、俺みたいな大人が見本になってやらねえとな」


 クールな表情を作り、いつものように武勇伝を語る上田春樹ウエダ ハルキ。その横には、感心したような表情で相づちを打つ、若くケバケバしい化粧の女がいる。

 ここは、俗にキャバクラと呼ばれる店だ。鼻の下を伸ばした愚かな男が来店し、キャバ嬢と呼ばれる女が接待する場所である。店内では、似たような男女が他にもいる。ほとんどの席で男が一方的に話し、女がそれを聞く、という形だ。




 春樹の武勇伝は続く。


「この前なんか、知り合いの組長さんにスカウトされちまったよ。お前なら、すぐに幹部にしてやるって言われちまった。ま、丁重にお断りしたね。確かに、ヤクザには利用価値はあるよ。けど、自分がヤクザになっちまったらおしまいだね」


「へえ、上田さんてホント凄い。裏の世界の人間と繋がりあるなんて……そう言えば、上田さんて危険な香りがするもんね。女って、危険な香りのする男に弱いのよね」


 女の言葉を聞き、春樹はふと遠くを見るような仕草をした。


「俺は、お前らとは住む世界が違うからな。困ったことがあったら、いつでも俺に言いなよ。俺が一声かければ、ヤクザが百人は動くから。じゃあ、俺はこのへんで……明日は大きな仕事があるんだよ」




 そんな春樹が去った後、彼女らの控え室では客の悪口に花が咲いていた。


「そういえば、今日来てた上田って、どうしようもないバカだよね。よくあんな口から出まかせ言えるよ。本当にヤクザと繋がってんなら、組長でも幹部でも、金のある奴を連れて来いっつーの!」


「ホント、相手すんの疲れるよ。喧嘩で勝ったとかマフィアと揉めてピストルで撃たれたとか、とにかく俺スゲーみたいな話ばっかり。もう三十過ぎてんのに、ンな嘘つくなっての。自分で言ってて恥ずかしくないのかな」


「何が粋でカッコイイだよ。お前は生きてんのがカッコ悪いんだよ! ってツッコミ入れたいね」


 そんなことを言いながら、女たちは笑っていた。




 翌日の昼、春樹はカラオケボックスの一室にいた。

 今度は、ひとりの若い男を相手にひそひそと小さめの声で喋っている。男は二十代前半で中肉中背、スーツ姿である。ごく平凡で、気弱そうな風貌だ。見るからにチンピラ風の春樹とは、完全に真逆である。


「もう一度言うぞ。お前は中国人マフィアに狙われてんだよ。俺がヤクザ使って、何とか押さえてるけどな」


 春樹はドスの利いた声で、ゆっくりと噛んで含めるように話す。

 相手は、怯えた表情で口を開いた。


「な、何で僕が? 中国人マフィアなんかとは、何の関わりもないんですよ──」


「おい待てよ。俺が嘘ついてるって言いたいのか? そこんとこ、はっきりしてくれや。なあ宮田ミヤタさん、俺が嘘ついてるってのかよ」


 そう言いながら、春樹は顔を近づける。宮田と呼ばれた男は、震えながら顔を背けた。


「そ、そうは言ってません」


「わかってねえなあ。じゃ、今から電話かけるわ……銀星会の幹部の人にな。自分の口で聞いてみろ。ただし、その人は俺と違って優しくないからな。どうなっても知らないぞ。本物のヤクザはな、映画みたいに甘くないぜ。そこんとこ、わかってんのかよ?」


 途端に、わなわなと震えだす宮田。銀星会と言えば、有名な広域暴力団である。堅気のサラリーマンで、そんなものと好んで接触したがる者などいない。いるとすれば、とんでもない馬鹿か大物か。

 宮田は、そのどちらでもないことを春樹は知っている。


「どうなんだよ? 黙ってちゃわからねえだろうが。あんた、俺をナメてんのか!?」


 黙っている宮田に業を煮やしたのか、春樹は低い声で凄む。


「す、すみません! そんなつもりはないです!」


 怯えきっているを見て、春樹は内心ほくそ笑んでいた。もう、完全に自分のペースだ。平凡なサラリーマンが、中国人マフィアに命を狙われる……こんな話、普通なら誰も信じない。

 だが、宮田は信じる。春樹が、この気弱なサラリーマンと知り合ったのは半年前だ。当時からヤクザやマフィアの話を聞かせ、いかつい風貌の知り合いを会わせたりもした。こうしたやり取りを経て、自分は裏社会の大物であるという嘘を信じ込ませたのだ。

 そして今日、宮田をカラオケボックスに呼び出した春樹は、こんな話を聞かせた。

 中国人マフィアの大物が、お前の命を狙っている。どうやら、誰かと勘違いしているらしい。自分の知り合いのヤクザが押さえているものの、きっちり話をつける必要がある。


「仮にも、銀星会に動いてもらうんだぜ。それなりの誠意を見せないとな。でないと、お前の命は保証出来ないんだよ」


 そう言いながら、宮田に迫る。ここまで来たら、相手は確実に落ちる。後は無理せず、じっくり攻める。春樹は口調を変え、優しく語り始めた。


「お前も生活が大変だろうから、無理なことは言わねえ。でも、筋は通さなきゃな」




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