8 魂③
俺は真っ直ぐに家に帰らなかった。父親のことが頭から離れず、俺は実家に向かった。
もう夜の十時をまわっている。何も言わずに実家に帰るのは初めてかもしれない。必ず母親に連絡をしていた。
住宅地、見慣れた風景を通り、実家の前につく。明かりがついていなかった。駐車場には車が一台。昔は父親が乗っていたシルバーのセダンが停まっていたのだけど、今日は見たことのない白い軽四だった。もしかしたら彗のものかもしれない。自分の運転してきた車をその車の前に駐車する。二台停められる駐車場なのに、その軽四が真ん中に駐車されていて俺の愛車を駐車スペースに入れることができなかった。
玄関の呼び鈴を鳴らそうかとも思ったけれど、俺はお客さんではない。もし、寝てるなら家族を起こすことになる。俺は鍵の隠し場所になっている玄関の横の鉢植えの下を確認した。そこにはもう鍵は隠されていない。俺は、親父の携帯に電話した。なるけれど、でない。今度は、母親の携帯に電話する。母親の携帯もなるけれどでない。もう寝てるからだと思っていると肩を叩かれた。俺は心臓が飛び出るほど驚いて飛び上がる。
「そんなに驚かなくてもいいんじゃない?」
聞き覚えのある声。妹の彗の声だった。サンダルにヨレヨレのTシャツと学生時代のハーフバンツ。化粧もせずすっぴんだった。手にはコンビニの袋がぶら下がっている。
「お兄ちゃん何してるの?」
「お袋がたまには帰っておいでって言ってたから帰ってきたんだ。なぁ、お袋と親父は?親父は帰ってきたか?」
彗は俺の顔をジッと見て、「お兄ちゃん顔変わった?」と呑気に聞いた。
「いや、親父とお袋は?」
彗は怪訝な顔をした。
「お兄ちゃん、どうしたの?何をそんなに焦ってるの?お母さんはもう寝てると思うし、お父さんはまだ仕事中だよ」
「父さんが仕事中で車ないなら、あんな車の止め方してたらおかしいだろ?」
「あ、言ってなかったんだよね。お父さん車売ったんだよ。今車乗ってるの私だけ。今はお父さん自転車通勤だよ」
「なんで?」
俺はしつこく食い下がる。
「え?知らないよ。お父さん、最近太ってきたからダイエットのつもりなんじゃない?」
俺は父親の顔を見て安心したかった。
「親父が帰って来るまで待ってる」
「お兄ちゃん、それはやめて。麻衣子さん、愛ちゃんと二人なんでしょう。身重な体で大変だよ。こんな時はちゃんと気遣ってあげなくちゃ。ね。お父さんにはまた今度会いに来てよ」
彗がおねだりするみたいに言う。俺が彗のお願いに弱いことを知っていて言っているのだ。
これ以上食い下がるのは危険な気がして一度帰ることにする。
俺は頷いて彗に「おやすみ」と言って車に乗った。車に乗った俺を彗がわざわざ見送ってくれる。
「今度はまた愛ちゃん連れてきて」
住宅街で声が響くせいか、彗の声は少しトーンを落としたものだった。俺は車を発進させる。バックミラー越しに見る実家はとても寒々しく見えた。
結局家に帰ったのは十一時を回っていた。麻衣子が眠たそうに迎えてくれる。
俺は実家によってきたこと、父親に会いに行ったけど会えなかったことを話す。
「ちゃんと色々話してくれるんだね。真司くん私嬉しい。それでね、私思うんだけど、お義父さんはきっと他の女性のところに行ったんだと思うの。多分、真司くんにとってのあの女みたいな人がいたんだよ。それで、とうとう真司くんのお義母さんは捨てられたの。私ね、それに気付いて、だから、あの女が永遠に真司くんのそばに行かないように田淵さんに色々教えてあげたんだもん。お義母さんも早くその女を排除すれば良かったのにね」
俺は麻衣子でさえ父と母の間にある溝に気づいていたことに愕然とする。本当に何も見ていなかったのだ。俺は親父のようになりたいと思ってきた。でも、俺の見えていたものは表面だけだった。親父は俺たち家族のことをほとんど見てなかった。そして自分自身のことも。親父は俺たち家族の元からさり、本心が見せれる相手のところに行ったのだろうか?
携帯にメールが来た。親父からだった。
「真司、今日帰ってきただろう?鍵を探していたけど、今はそこに入れてないんだ。今度くる時は母さんにメールをしてから来なさい。実家とはいえもうお前は実家を出た身だからな。また、会えるのを楽しみにしているよ。」
俺は寒気が全身に走るのを感じた。いなかったはずの親父の携帯からメッセージ。それも、あの場面を見ていたような文面。麻衣子がこちらを見て大きなお腹をさすりながら満面の笑顔を向ける。俺は木村スイの遺書の中身を思い出してゾッとした。
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