文春くんは大ばかやろう

茶葉茸一

episode1 進展しないのは誰のせい?

 青春せいしゅんって何だろう。何かに時間を注げるほど熱中できることをいうのだろうか。それは友情か、恋愛か、部活か、勉学か、それともそのすべてを器用にやり遂げることをいうのだろうか。

 それなら僕には向いていない気がするな。


 人生なんとなく自分のやりたいことを気ままにしていたら、いつの間にか高校へと入学していた。中学時代は毎朝かかさず朝練して、休みの日を削ってでも熱中していた陸上も、高校に入ったらスンと冷めてしまっっていた。

 あの時は朝日がのぼる時間から気持ちよく走り込みをした後に登校していても何も苦に感じないほどだったのに、今では朝早くに起きて走ることはおろか登校することすらに気怠けだるさをおぼえる。

 僕はつくづく自分がしょうであると自覚する。いや、良く言えば熱しやすく冷めやすいといったところだろうか。

 

 蒼文春アオイフミハルは三ヶ月前に中学校を卒業して高校へと進学していた。文春は一度でも火が付けば、燃え尽きるまで際限さいげんなく目の前のものに没頭ぼっとうすることができる性格であるが、同時に燃え尽きると今までの気持ちの高鳴りがまるで夢であったかのように一気に興味が冷めてしまうたちでもあった。

 

 また、友情には厚いところがあるが恋愛面にはとことん興味がなく小中学校と何度か異性に告白されたことあれど、そのすべてをやんわりと断り、時には相手の気持ちに気づいた段階でその手の話題を避けるなど、潔癖とでもいうほど恋愛についてはまるで興味を示さなかった。


 その片方でよく同性のグループと一緒にいることが多く、学校イベントの班分け時には異性からの誘いを断って同性グループに混ざることもあったため、顔立ちも女の子らしいといったところから中学時代は同性愛疑惑が出ていたまである。一部の女子の間では美少年×○○といった妄想のやしにもなっていたのだ。


 僕が高校へ入学し早くも二ヶ月が経ち、季節は梅雨つゆに切り替わっていた。

 席は窓側。しとしとと雨の音が耳を打つ。湿気を帯びた空気は、いつもより重く、今日は一日中、雨模様あまもようとなるだろう。

 憂鬱ゆううつな気分を少しでも晴らそうと、窓の外に目を向ける。校舎の周辺は緑がしげり、爽やかな新芽しんめの香りが漂ってきた。


 教師の眠たくなるような一定トーンで話される授業を受ける中、夢とうつつの狭間をさまよっているとふと視線を感じ一つ空いた隣の席の人物へと目を配る。

 視線の先は幼稚園からの幼馴染である天野有紀アマノユウキだ。有紀とは幼稚園から高校まで同じという、まさに腐れ縁の関係である。


 中学校では女子バレーボール部で部長を務め、高校でもバレーボール部に入部している生粋きっすいのスポーツ女子だ。高校に入学してから染めた少し明るめのブラウンが入った髪を後ろで小さくまとめたポニーテールを揺らし、有紀は口パクで『ボーっとするなよ』と勝ち気な表情で笑みを浮かべる。

 

 僕は『はいはい』と軽く手を挙げて応える。すると、有紀は満足したのか授業に意識を戻した。

 

 こんな仕草も中学時代から変わらないな。僕は頬杖をついて、飽きれ気味に目を細める。

 有紀とは幼稚園からの付き合いであり、かれこれ十年近く一緒にいることになるが、その性格や仕草などほとんど変わることはなかった。

 例えば、有紀は昔から負けん気が強く、よく喧嘩をしては負けて帰ってくるのがお決まりのパターンだ。

 昔はよく、有紀が喧嘩を吹っ掛けてきた男子と喧嘩しては負けていたところを、僕ともう一人の悪友の助け舟で事なきを得ていた。

 そんな性格だからなのか、中学の頃に女子バレーボール部の部長になった時も、最初は部員から反感を買っていたが、持ち前のリーダーシップと実力を徐々に発揮し、二年になる頃には部内の誰もが有紀をしたうようになっていた。

 彼女の後姿は男子から見ても頼れる存在であり、尊敬すべきところでもあった。


「……蒼君。私の話し聞いてましたか」


 ちょっとボンヤリとしすぎたかな。最近部活が忙しいのと低気圧のせいもあって気怠さが抜けないんだよな。


 板書ばんしょを止めて文春へジッと視線を送るのは、現文の教師であり僕たちのクラス担任を務める姫川綺羅羅ヒメカワキララだ。

 生気を感じない雰囲気を漂わせ長髪はそのままに前髪が目にかかるまで伸ばしており、名前のキラキラネームと相反したギャップの持ち主であった。


「す、すみません。ちょっと眠くて」

「ごめんね。先生の授業が退屈なのがいけないんだよね。先生って昔から誰かと話していてもよく『トーンが同じで話し聞いてると眠くなってくる』って言われるの。あれ? よく見たら蒼君以外の人たちもみんな眠そうにしてる。そっか、みんな私の授業なんてつまらないよね。教科書の音読だと思うよね。実際否定もできないし、私も教師になってからの授業なんて教科書をなぞってするだけで、なんの面白味のない活字のベルトコンベアみたいな授業しかできてないよね。私って教師失格だよね。なんで教師やってるんだろう。なんで社会人になってしまったんだろう。私みたいな社会不適合者の一角が未来ある子供たちのお手本になれるわけないのに。鬱だ」

「ちょ、先生?」


 やばい。姫川先生の鬱スイッチが入ってしまった。この先生はちょっとでもネガティブな要素が発生するとすぐに自虐に走ってしまうんだよな。こうなるともう授業どころじゃなくなってしまう。一部の勉強ガチ勢から僕に対しての攻撃が始まってしまう。


「おい、ブンシュン。お前キララちゃん先生なんとかしろって。また学年主任が『令和のティーチャーハラスメントについて』とかご高説始めに来るぞ」

「このご時世にあんな炎上しそうな話しを長々と聞きたくないよ!」

「責任取って今ここでスカート履いてみない?」


 一人だけ不純な欲望をぶつけてきたやつがいるな………。

 『ブンシュン』というのは僕のあだ名の一つなんだけど、あの出版社と酷似しているからちょっと別ので呼んでほしい感がある。いや、名前が文春フミハルでよく出来たあだ名ではあるんだけど。というか僕の両親は狙ってこの名前にしたのか気になるとこでもある。

 ちなみにこのあだ名はダイレクトに名前のとおりでもあるけど、僕が所属している部活動が校内活動の一環である新聞部と放送部を組み合わせたメディア部というものに掛け合わせてでもある。

 どっちにしろ嫌だけど。


「キララちゃん先生! 元気出して! 私たちちゃんと授業聞いてるよ!」

「そうだよ! マスゴミだけが聞いてなかっただけでそれ以外のみんなはちゃんと聞いてたよ!」

「先生の授業の続きが聞きたいな! ねえみんな?」


「「「うんうん」」」


 僕をマスゴミ呼ばわりするこいつら外道共は、僕のみを標的にして合唱コンクールばりにクラスの一体感を演出していた。人は共通の敵を作ると意識がまとまりやすくなるなぁ。


「先生! 文春は放課後に補修を受けさせるとして授業続けましょう!」


 有紀は声高らかに文春を指さして姫川先生にそう告げると、周囲からは『そうしましょう!』と続けて声を上げた。


 あのバレーバカ僕のことを易々と差し出しやがったな!? それにさっきから無駄に一致団結したクラスの動きがすごくムカつく。今度の校内新聞であいつらの中から何人かスキャンダル掴んで学校中にぶん流してやろうか。

 

 黒板に向かって卑屈な人生譚小学校上学年編の遠足エピソードまで話し始めていた綺羅羅は一転して生徒たちの前に向き直る。


「………みんな私の話し聞いててくれた?」


「「「うんうん」」」


「退屈なんかじゃない?」


「「「うんうん」」」


「蒼君だけが上の空だっただけなのね」


「「「うんうん」」」


 お前らいい加減にしろ。


「じゃあ――教科書の20ページの何行目からの話しか分かる?」


「「「…………」」」


「………」


 姫川、白目をむく。


 一瞬賑わいを見せていた教室が瞬間冷凍でもされたのかというほど、秒で静寂に包まれた。朝市のりに出されるマグロでもここまで死んだ魚のような目はしないだろうというほど、みんな宇宙空間の無を体現したような真っ黒な瞳へと切り替わっていた。


「お前らよく僕のこと言えたな。今後は盗聴と盗撮におびえて暮らせよな」


 僕の憎悪がこもった言葉だけが、雨音が窓にしたたる静かな教室にこだました。

 ふと窓の外に目を向けると、雨の勢いは先ほどと変わって勢いを増していて、より一層クラスの悲壮感を体現しているように感じる。


「………鬱ですねー」


 あ、先生目のクマすご。

 長い前髪の奥から瞳をのぞかせる姫川先生のその姿に僕は『大人になるってなんか苦しそうだな』と得も言われぬ不安に駆られた。


「………蒼君。私ね、最近なんだか頭が痛くて夜も寝つけないの。だから保健室に行って生と死について向き合っててきます」


 生徒とは向き合わないんかい。と思ったけどこの状況と先生のメンタルパラメーター的に今日は無理そうだな。

 罪悪感を感じる。とりあえず謝っておこう。


「あの、次からは気を付けます。ごめんなさい」

「いいの。きっと低気圧のせいだから。私が憂鬱な気持ちになったのも、みんなが私の授業を聞いてくれないのも低気圧のせいなの。母胎から人生をやり直したい」

「早く保健室行っちゃいましょう!」


 姫川は重い足取りで教室を後にした。


 授業を中断させてまで、僕の席まで来たから何か用があるのかと思ったけど、ただ単純に体調が悪かっただけか。

 それならそうと言ってくれればいいのに。先生はこんな調子で大丈夫なのだろうか。保健室の先生はメンタルヘルスケアを得意とする人だから姫川先生はいつも常連だけど、ほぼ毎日メンタルに支障をきたす教師って、この先の学校生活やっていけるのだろうか。


「キララちゃん先生の授業がまともに進んだことってあんましねーよな」


 そう意地悪な笑みで文春の後ろの席から話しを振ってきたのは、小学校から付き合いのある悪友の北斗流星ホクトリュウセイだ。

 流星とは中学校の時には同じ陸上部で日々の厳しい練習を共にし、時には思春期の男子らしい悪ふざけをして教師に叱咤しったされるなどと過ごした仲である。


「流星。僕たちもそろそろ自分の進路とかちゃんと考えないとなぁ」

「進路って、まだ高校に入学して二ヶ月しか経ってないんだぜ? それにその言葉はそのまま自分にブーメラン返ってくるだろ。お前いつも熱しやすく冷めやすく、しかも行き当たりばったりな選択がほとんどだろ?」


 ぐうの音も出ない。さすがは付き合いの長い僕の悪友だ。


「俺はスポーツ推薦で行けるとこに行くって決めてるぜ」

「行き当たりばったりってとこは僕とあんまし変わらないじゃんか。て言っても流星は陸上部でも期待の新人だから、部活の結果次第では推薦校も搾れるか」

「だな!」


 流星は中学時代陸上部に所属し、全国大会にも出場した経歴を持っている。中学の最後の大会は惜しくも二位であったため、この高校では次の大会で雪辱せつじょくを果たすつもりらしい。


「つーか、もったいねえよな。フミも陸上続けたら、また一緒に全国目指せたのに」

「なんか中学三年で部活終わってから一気に冷めちゃったんだよね。僕なりに精一杯やり切ったとも思うし」

「俺と一緒に全国出て、負けた後に二人でめっちゃ悔しがってたのによく言うぜ」

「あの時はその場の雰囲気も相まってそういう感情が込み上げてきてたんだよ」

「彼女も作らないでマジで部活一筋って感じだったのにな」

「恋愛沙汰はそもそも興味なかったし、陸上のが大事だったからね」


 中学では誰が誰と付き合ったなんて話しはありふれてはいたけど、その時は本当に心から陸上に熱を注いでいたし、そもそも友達以上の関係というのもよく理解できなかったからなあなあにしていたんだよな。


「お前告られてもよく振るから、一緒につるんでる俺とか他の男子の間でカップリングさせられてたらしいぜ」

「不名誉が過ぎる!」

「俺もだわ」


 僕と流星が他愛もない中学時代の会話で盛り上がっていると、もう一人幼馴染である有紀が空いてる隣の席に腰を掛け、体を乗り出して会話に入ってきた。

 ふと懐かしい、陸上をしていた時に僕がよく使っていた制汗剤のシトラス系の香りがよぎると、今でも熱中していたあの頃を思い出す。


「アンタたち自習しなくて大丈夫なの? そろそろ七月も近いし中間テスト始まるでしょ?」

「僕は予習復習を家で少しずつ進めてるから大丈夫だよ。どっちかていうと二人の方が心配なんだけど」

「俺は捨てた」

「流星は昔から赤点ギリギリだけど、陸上の実績で通信簿の評価相殺してきたもんね。有紀はどうなの?」

「あたしも捨てたわ」


 誇らしげに胸を張る彼女も流星に負けず劣らずの成績で、バレー部の実績でこの高校に入学したようなものだった。

 僕と流星、有紀の三人はお互いに幼馴染ということもあって親同士の交流も多く、家族のイベントごとでもよく一緒に時間を過ごしてきた。活発な二人に振り回されることがほとんどで苦労もあったが、そのおかげで他に友達が増えたりインドア派な自分自身にコミュニケーション能力が身についたりと、それなりに楽しく充実した生活を送れてきたことには感謝している。

 こういうことを口に出すと調子に乗るので、二人の前では言わないようにしてるけど。


「少しは勉強やっておかないと、補修で夏休みを過ごすことになるよ。この学校自体、総合学科で二年からは自分の好きに時間割を作成して講義を受けることが出来るんだし、一年のうちに普通科の授業くらいは受けておかないと。レベルも中学よりも少し高いくらいだから、予習復習でなんとかなると思うよ」

「え? 二年なんてほとんどスポーツ系の授業取る予定だから大丈夫でしょ」

「俺も有紀と同じだな。それに」


「「テストなんて毎回前日に一夜漬けすればいい(だろ)でしょ」」


「君らよく高校に進学できたね」


「「一夜漬けしたので」」


 ドヤ顔を決める二人を見てると、将来これで大丈夫なのかと思ってしまう。行き当たりばったりでいる僕も人のことは言えないけど。


「そういえば文春は部活の方どうなの? なんだっけ、たしかメディア部? に入ったんだっけ」


 あまり勉強のことを考えたくないのか、有紀が話題を変えてきた。

 後になって流星と二人での〇太くんのように僕へ教えをう姿が目に浮かぶ。


「部員は三年生が一人、二年生が二人、一年生が三人で少ないけど、取材とかで他のクラスや学年と関わる機会も多いし、けっこう楽しいよ」

「ふーん………周りに女子とかって多いの?」

「それぞれ学年ごとに女子は一人ずついるから、割合としては多いかもね」

「ふーん」


 有紀はそう聞くと髪先をくるくると触り。


「可愛いの?」

「可愛いってよりかはキレイって感じかな」


 僕は頭の中で同級生の女子を思い浮かべて質問に答えた。僕ら四組の隣に位置する三組の子だ。同世代の子とは思えないほど落ち着いていて、家が花屋を経営していることもありよく部室に花を飾ってくれる。今まで体育会系のハツラツとした人間に囲まれて生活していた僕にとっては、あまり関わり会いのなかったタイプだ。

 

「俺も陸上の先輩たちから聞いたけど、メディア部は偏差値高いって噂なんだってな」

「ふーん」


 あ、ちょっと有紀の機嫌がナナメになってきているな。

 僕はそこいらの漫画やアニメに登場するような主人公ではないので、ぶっちゃけ有紀の気持ちには中学二年あたりから察しがついている。

 そして偏差値が高いと言われているのは、主に上二つ学年の変人度という話しだと思う。


「ま、まあ偏差値高いって言っても、みんな部活仲間って感じだし、それに僕も今は校内掲示板に載せる部活紹介の取材とかに集中しているからそっちを楽しみたいなってなんて」

「………文春ってホント一つのことに集中するの好きだよね」

「またどっかで飽きがくるんじゃねーか?」

「それは否定できないかも」


 そっち系の話題は逸らせたかな?

 僕は今の三人の関係が一番だと思ってるから、なるべくこういった恋愛事はこの中では起こしたくない。


「ん、チャイム鳴ったな。昼飯にすっか。俺は購買に行くけどお前らはどうする?」


 そうこう話しをしていたらもう昼休みになっていたのか。結局ただ雑談しただけでおわっちゃったな。


「僕は弁当持ってきてるからいいかな」

「あたしも」

「おー。じゃあ俺は購買行ってくるわ」


「「おっけー」」


 流星が教室を出ていくところを見計らったように有紀は口を開く。


「ね、文春。今度さ、時間あるとき一緒に買い物付き合ってくれない?」

「いいけど、何買うの?」

「んーとね、服を買いに行きたいんだけどさ。あたしってスポーティーなものばっかじゃん? だから高校に入ったのを機に新しいジャンルに踏み込みたいなって」

「女性向けの服なら女子と行った方よくない?」


 おそらくデートの誘いではあると思うんだけど、別に服なら女子で買いに行った方がいいと思うんだよな。


「だって、あんたの私服って女の子っぽいから」

「僕は男子ぞ?」


 え、僕の服って女子っぽいのか? 服なんて基本母親か姉が勝手に買ってくるから、ずっとそれを男物だと思って着ていたけど。いや、でも思い返すとたしかに女性用のファッション雑誌に載っていた公園デート特集のモデルに僕の着ている服と酷似したものがあったけど。最近のファッションってそういう性別の壁にも囚われないものだと割り切って見て見ぬ振りしてたけど。


「あたしが言うのもだけど、文春って肌白くて目パッチリしてまつ毛長いし髪の毛サラサラだし華奢きゃしゃな体格だし、女から見ても女の子っぽいから、私服着てるときはマジでただの美少女だよ? もう全方位から見ても女子にしか見えないから、あんたが男子トイレ行く時は引き止めて女子トイレに連れ戻そうとしようとしたことが数回あった。かわいすぎ」


 後半息が荒くなる彼女に対して僕は思わず苦笑くしょう交じりに会話を続ける。


「それ言われて素直に喜べないんだけど」

「性格はクソガキだけど見た目は良い流星と並んだら、美少女×イケメンのカップリングとかってバレー部でも話題になってるよ」

「そのネタ提供してるの有紀じゃないよね?」

「たしか漫研部ではすでに薄い本が発行されてるって聞いたわ」

「そのネタ提供してるの有紀じゃないよね!? 発行って学内に出回ってるわけではないよね!?」


 なんてこった。この学校でも僕は強制カップリングをされた上に創作の中とはいえ流星と………おえ。


「服を一緒に見に行くのはいいけど。あんまし僕のセンスに期待はしないでね。あと漫研に情報提供するなよ」

「やった!」


 二人で一緒に出掛けるなんて珍しくもないのに、有紀は意気揚々とサンドイッチを口いっぱいに頬張っていた。

 女子の考えることってよく分からないってわけでもない気がするけど、恋愛感情に疎い僕にとっては共感が難しいものだ。


「じゃあ明日のお昼過ぎに駅中のステグラのとこにに集合ね!」


 僕ら学生の待ち合わせは同じところで決まっている。駅の中央改札を抜けて進んだ先に位置するところには大きな壁一面にステンドグラスが張り巡らされた箇所があり、そこには毎日のように友達やカップルなどといった人たちが立ち並んで相手を待つ姿がよく見える。


「ん。そういえば明日は土曜日だったね。有紀は午前中に部活行ってからくる感じ?」

「うん! 家に戻って着替えてから来たいし」

「そのままのが楽じゃない?」


 僕がそう言うと彼女はわざとらしくほおをふくらまし。


「文春はホント女心ってもんが分かってないよね!」

「だっていつも流星と三人で遊びに行くときとかは部活の格好のままだったでしょ?」

「それはそれそれなの!」


 ちょっとねたような態度でそっぽを向く有紀の頬は少し赤く染まっていて、彼女が何を言いたいか察しがついた僕にも伝染したように顔が熱くなる感覚を感じた。

 

 僕はその場の雰囲気に耐え切れなくなりそうだったので会話の話題を変えるように言葉を選ぶ。


「あー、まあそうかな? えーと、あ、それはそうとさっきの僕と流星の創作物の件なんだけど」

「『春駆はるかける星』のこと?」

「それは薄い本のタイトルか?」


 星駆ける春って、流×文から取ったってこと? 無駄に凝ったタイトルにしやがって。今度漫研に取材行ったときに没収してやろう。


「言っておくけど、あたしは別に創作に関与していないからね。作品は好きだけど」

「持ってるのかよ」

「たしかメディア部の部長がネタを漫研に持ち込んで、直々に完全監修して描いたって漫研の知り合いの子から聞いたけど」


 あの部長、入部当初の自己紹介の話しからネタ提供していたのか。自分の欲のために身内売るとか外道もいいところだ。


「お前らなに面白そうなこと話しているんだ?」

「流星と僕にとってはなにも面白くはないと思うよ」


 購買でパンを買ってきた流星が戻ってきた。


「なんだそりゃ。そういや購買に新しいパンが入ってたからさ、それ買ってきたんだけど食べるか?」

「いや、僕は遠慮しとくよ」

「あたしもいいかな」


 自分がそういうネタにされてる事実を知った後で食欲が沸くはずもなく、残りは家に持ち帰って夜にたべることにしよう。有紀もサンドイッチを食べ終えたようで自販機に飲み物を買いに小走りで教室を出た。


「お前らさっき何話してんだ?」

「ん、有紀が服を買いに行くから明日一緒に行くって話ししてたんだ。流星も暇だったら一緒にどう?」


 一応いつも遊びに出掛けていた流星のことも誘ってみようと僕は試しに誘ってみた。


「……いや、俺はいいわ」


 流星は神妙しんみょう面持おももちでそう答えた。


「何か用事でもあったの?」

「いや……ちょっとな」

「無理には聞かないけど、困ったこととかあったら相談乗るよ」

「……ああ。どっちかていうと有紀の方だと思うけどな」

「? そうなんだ」


 二人でいると時々会話に間を置くことがあるけど、何か思い詰めるようなことでもあるのだろうか。本人が無理に話したがらない以上、僕もそれ以上は詮索しない。親しき中にも礼儀ありってことだ。


「お前は狙ってやっているのか、それとも天然かましてんのか、分からんとこあるよな。攻めきれないアイツにも問題はあると思うけど」

「何の話し?」

「ひとりごとー」

「ほーん」


 その後有紀が戻ってきて三人で雑談をしていると昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、午後の授業が始まる。

 雨はまだ止まない。

 

 時間はあっという間に過ぎて放課後。文春は一人教室の掃除をしていた。

 カーテンの埃を払っていると、背後から声をかけられた。


「あ、蒼くん」

「ん? あ、三組の」

「うんっ、瑠璃川ルリカワです」


 声をかけてきたのは三組の女子で僕と同じメディア部に所属している瑠璃川翠ルリカワミドリさんだった。


「どうしたの?」

「あの……その……」

 

 瑠璃川さんは何故か顔を赤らめもじもじとしながら言葉に詰まった様子でいた。

 おかしいな? 昨日も一緒に取材していたときは普段通りの態度だったのに………いや待てよ。まさか。


「横島先輩に、お勧めされた本を読んだんですけど……その、蒼くんが、その……」

QED証明完了! 大丈夫! みなまで言わなくても状況が理解できたからそれ以上は話さなくてオーケー! そしてできれば今日読んだ本の記憶は忘れてもらえると幸いでございます!」


 この仕打ち僕じゃなかったら登校拒否してるぞ。


「あ、うん。なるべく頑張ってみますっ」

「……ありがとう」


 泣いてないもん。花粉症だもん。

 それにしてもこの手の話題、僕の身近な界隈なら墓掘り起こして荒らすくらいする奴らばかりだけど、瑠璃川さんは僕の気持ちを察して配慮してくれるからすごく新鮮だ。育ちがよき。


「それと先輩から蒼くんへ『今日は部活お休みなので帰宅していいよ』って言伝をもらいました」

「わかった。瑠璃川さんも伝えに来てくれてありがとう」

「いえ、隣のクラスでしたのでこれくらいはどうってことないですよっ」

「そんなことないよ。瑠璃川さんはもう帰るの?」

「はいっ、今日はお母さんが早く帰ってくるので」


 なるほど。ならこれ以上引き留めるのも悪いな。

 それにしても、瑠璃川さんと話していると和むなあ。言葉が優しんだよな。この部活に瑠璃川さんがいなかったら僕はとっくに退部してたと思われる。


「じゃあ僕は掃除用具を戻してそのまま帰るよ。また週明けで~」

「はいっ。週明けによろしくお願いしますっ」


 瑠璃川さんが教室から出るのを見送った後、僕も掃除が終わったので箒とちりとりを元の位置に片付けて鞄を持ち下駄箱に向かった。


 僕の所属しているメディア部では基本学年ごとにチームを組んで行動することが多い。一年生チームは僕と瑠璃川さんと一組の男子の三人で校内新聞の取材を行う。二年生は二名のチームで主に校内放送を担当していたのだが、現在男子一名が停学中のため、先ほど瑠璃川さんが名前を出した横島希紗ヨコシマキシャという女子の先輩が一人で担当している。

 何で停学にはなったのかは詳しく聞かされてはいないが……上級生陣は生徒会に目を付けられていると話しを聞いているのでおそらくロクなことではないんだろうな。

 今日は入部して初めてのお休みだったけど、メディア部の活動は基本的に平日は毎日ある。校内新聞を作るためには取材が必要で、一年生チームは校内でのイベントの取材を、二年生チームは主に放送室でのアナウンスや校内ラジオなどの収録を行っている。

 瑠璃川さんは新聞の取材のほか、先輩方の手伝いや校内放送で流れる曲を選んだりと裏方仕事に従事していることもある。同じ日に入部しているのに任せられる仕事量に差があるとちょっとへこむ気持ちもあるけど、取材はコミュニケーション能力の技量が問われる仕事でもあるから、最近はそこを買われているんだと思うようにしていた。

 

 下駄箱で靴を変えていると、後ろから声をかけられた。振り返るとそこには有紀がいた。

 そういえば今日は体育館の点検があるから休みだったんだっけ。


「あれ? 今日部活じゃなかったの?」

「うん、さっき同じ部の子から休みの伝言もらってさ。今日はまっすぐ帰るんだ」

「……伝言って。スマホのメッセージとかじゃなくて?」


 たしかに今思ったけど、僕は瑠璃川さんとスマホで連絡先を交換しているから、わざわざ直接言いに来なくてもよかったよな。とくになにも考えてなかったや。


「隣のクラスだし、帰るついでに~ってことだったんだと思うよ」

「ふーん。ついでにね」


 何だろう、その腑に落ちない顔は。瑠璃川さんに限ってそんな深い意味はないと思うけど。


「一緒に帰る?」

「! うん、そうする!」


 僕らは靴をはきかえて学校の外に出て正門へ向かった。僕と有紀は徒歩通学だ。家も近くで部活をしているときは三人とも同じ時間帯におわるからよく一緒に帰っていたけど、そうか、流星は今日練習があるのか。外はまだ雨が降っているのに大変だなぁ。

 

 こうして一緒に帰ることも珍しくはないのだが、考えてみると有紀と二人で帰ることはあまりなかった気がするな。流星とは同じ部活動にいたから大会の後とかはよく二人で帰ることがあったけど、部の違う有紀と帰ったのは数回程度だったかもしれない。


 最近、有紀の僕に対する気持ちとかを察するようになって、この二人きりで下校するという現状に少し緊張感が走る。


「「…………」」


 って、なに話そう? いや、有紀がなにか話したそうなそぶりを見せてはいるんだけど、なにか遠慮している節がある。僕の気にし過ぎなんだろうか。


「ねえ、文春」

「なに?」

「あの……さ。その……あ! そうだ! あんたって彼女とかいないの!?」


 有紀はなにかを言いかけた後、突然話題を変えてきた。


「え? いや、彼女いないのは有紀も流星も周知の事実でしょ」

「…………ごめん、忘れて」


 本当は話したい話題があったけど、急転換したことで突拍子もない質問が出てきたのだろうか。

 有紀は耳を真っ赤にしていた。


「その、あんたは彼女ほしいとか思わないの?」

「全然」


 即答した。考える間もなく僕は有紀の質問に即答する。


「なんで? いや、たしかにあんたってそういう浮ついた話しないし、女子に興味ないのは知ってるけどさ。……流星が本命だってことも」

「いや、興味は普通にあるよ! やめてよ! なんで彼女つくらないと矛先がソッチ系の話しに向くのさ!? それと絶対昼に話してた創作の方に引っ張られてるよね!?」

「じゃあさ、仮に流星と付き合い始めたら……あんたどうする?」


 有紀が僕の顔をじっと見つめる。


「何そのおぞましい例え話は。画用紙にエンボス加工できるくらいの鳥肌立ったんだけど」

「……ごめん、今のも忘れて。どうかしてたかも」

「本当にどうかしてるよ?」


 昼に忘れかけていたのに。僕が流星となんて……おええ。

 有紀はそれっきり黙り込んでしまった。気まずい空気が流れる中、僕らは無言のまま歩き続けた。

 

 僕は彼女の言いたいことに想定は付いていたが、まだそれを言えるほどの進展がないのも理解していた。心の底から現在の三人の関係を崩したくないという思いが強かった。

 けれどそんな思いとは裏腹に、人生には必ず転機が訪れるものであるということも理解はしているつもりだけど、まずは明日の有紀と二人での一日をどう乗り切るかを考えるとしよう。



 ◇ ◇ ◇



 僕は昨日約束していた集合場所に一足先に着いていたが、とくにやることもないので有紀が来るまでスマホでダウンロードしたお気に入りの漫画を読み漁っていた。

 集合時間はお昼過ぎということだったが先ほど有紀から少し到着が遅れると連絡が入り、ページをめくるのを止めてこの待ち時間をどう過ごすか考えにふけっていた。


「……漫画は家でも読めるしな。久々に休日外に出てきたし、ちょっと周りでも見てみようかな」


 そう思ってあたりを散策し始めた僕は駅の大通りでアクセサリーのイベントショップが開かれているのを見つけ、暇つぶしがてらに立ち寄ってみた。

 

 アクセサリーなんてあんまり興味ないけど、暇つぶしに見る分にはちょうどいいよね。


 並べられたアクセサリーはハンドメイド雑貨ということでそれぞれ個性のあるデザインのものが多く、動物や食べ物をモチーフにした定番ともいえるかわいらしいものから惑星や花をイメージして作られた色鮮やかなものまで多種多彩なラインナップだった。


 ぼーっとアクセサリーを見ていると店員さんと思しき人が声をかけてきた。


「なにか気になるものはありましたか?」

「え? あー、そうですね……この花びらのやつとかいいかなって」


 突然声をかけられて焦った僕はちょうど目についたヘアゴムに丸い雫のような装飾のついたものを手に取ってしまった。

 まさか店員さんに声かけられると思ってなくてとっさに取ってしまった!


「あ! ふふっ。それは私の娘が作ったもので、レジン液の中にドライフラワーの小さな花びらを入れたものを雫の形に整えたんですよ」

「へー。綺麗な装飾ですよね」

「そうですよね。きっとお客様にお似合いになりますよっ」

「え、いや、それは……」


 外出あるある。僕は見た目でよく行く先々で女子と間違われるため女性ものを勧められるのだ。最初のうちは否定することも多かったが、否定しても彼氏へのプレゼントの照れ隠しとかでも思われているのか信じてくれないことがほとんどなのでそのうちリアクションをとるのをやめた。


「よかったらお買い求めになりますか?」


 自分の娘さんの品を手に取ってくれた客を逃がしたくないのか、ぐいぐいと迫られるのに断れない自分がいる。

 うーん、どうしようかな。ヘアゴム買っても僕髪結んだりとかしないし、姉ちゃんもこういうのは趣味じゃないって言って使わないだろうし……断るにもこの店員さん圧がすごくて言いづらい。他にプレゼントできるような関係の女子の知り合いも僕には――って、有紀がいるじゃないか!


「は、はい! 買います! 友達へのプレゼントで!」

「ご購入ありがとうございますっ。今包装の準備しますね!」


 僕の言葉によっぽど嬉しかったのか、店員さんはややスキップ気味でバックヤードに向かっていった。


「ふーっ。ちょうど有紀と一緒に出掛ける予定だったし、たまにはこういうプレゼントくらいしてもいいよね」


 有紀には部活帰りに飲み物をおごりおごられたりとすることがよくあるし、たまにはこういう女の子らしいプレゼントをしてみるのも友達としていいと思うよね。


「お待たせしましたー! こちら商品になりますっ。お会計はあちらのレジでお願いしますっ」

「あ、はい。ありがとございます!」

「こちらこそ、ありがとうございますっ」


 店員さんが綺麗にラッピング包装された袋を僕に渡してきた。僕はそれを受け取って軽く会釈すると小走りでレジに向かった。

 レジに並ぶ前に値段を確認したら思いのほか高くてびっくりしたけど、せっかく買ったんだし有紀も喜んでくれるといいな。


 お会計を済ませたタイミングでちょうど有紀から駅に着いたと連絡が入ったので僕は急いで集合場所へと走っていった。

 週末午後の駅中はたくさんの人で賑わっていて、僕はまるで海中の魚群をかき分ける水流のようになだらかに走り抜けていった。


「有紀! お待たせ!」


 駅の入口付近でスマホをいじりながら待っている有紀に声をかけると彼女は顔を上げて僕を見た。


「あれ? 文春の方が先に来ていたと思ったけど。その袋どうしたの? 何か買ってきてた?」


 最近はお互いに学生服かジャージ姿で会うことが多かったから久しぶりに私服姿の有紀を見たけど、昔は僕と一緒でスポーティな動きやすいタイプの服しか着ていないイメージだったけど、今日は普通に女の子っぽい格好で珍しくロングスカートを履いていた。ショートパンツが多い印象だったせいか新鮮に感じる。


「時間余ってたからさ、はい。これ有紀にプレゼント」

「え? あたしに?」


 有紀は僕から渡された袋を手に取ると『ここで開けてもいいの?』と返してきたので『いいよ!』と袋を開けるよう促す。

 アクセサリーなんて今まで渡したことないから喜んでくれるかな?


「これってヘアゴム? うれしい……」


 いつもは少年のような勝ち気に溢れた表情をする彼女が今日はとても女の子らしい柔らかな笑みをこぼす。静かに揺れるポニーテールには、鮮やかな花びらに彩られた雫のチャームが嬉しさに飛沫しぶきを上げるようにりんと輝いて見えた。

 昔からずっと当たり前のように一緒にいるのに、なぜか僕はその表情に少し胸を締め付けられるような感覚を覚えた。


「向こうでイベントショップやっててさ。ちょうど手に取ったヘアゴムが有紀に似合うかなと思って」

「……今このヘアゴムで髪を結びなおしてみてもいい?」

「うん、いいよ」


 有紀はそう言ってポニーテールをほどくと僕が買ったヘアゴムで髪を結びなおし、はにかんだ笑顔で僕の顔を見上げる。


「文春、ありがとうっ! ね? どう? 似合ってるかな?」

「似合ってるよ! かわいい」

「なっ!?」


 僕は思ったように素直に感想を述べると、有紀は顔を真っ赤にして。


「あんた何言ってんの!」

「なにって、有紀が普通にかわいく見えたからかわいいって言ったんだよ」

「そういうのはもっとこう! ムードとかさ!」


 女子にかわいいって言うのにいちいちムードはいならなくないか? 今日の有紀はいつもと違って普通の女の子っぽい反応ばかりするなあ。


「なんか今日の有紀いつもと違うよね? スカートもいつもは動くのにジャマって言って選ばないのに」

「……っ! 高校に入ったらこういうとこに気を付けようと思って変えてるの! わかったら服見に行くよ!」


 そう言うと彼女はさっさとアパレル系のお店が立ち並ぶ駅上階に向かって歩き出した。


「ちょっ、ちょっと待ってよ!」


 僕は慌てて有紀の後を追いかける。そういえば普段駅周辺に来ることなんてないから、オシャレな服を着て颯爽と 歩く人たちの中を進んでいくと変に緊張する。

 上階のファッションフロアに着くと、そこはちょうど込み合う時間のせいだということもあって人で溢れかえっていた。みんな休日を謳歌しているんだなあ。


「ねえ文春! これどう?」

「え? あ、うん。似合ってると思うよ」


 有紀が手に取った服を僕にあてて聞いてくるけど正直よくわかんないや……。周りの人たちも真剣にいろんな服を手に取っては戻しを繰り返してるし、女子って服買うのにこんな悩むものなんだなあ。


「『まあ適当に言っておけばいいや』って感じの反応なんでしょ?」


 有紀はジト目で僕を見ながらため息をついて言った。僕ってそんなにわかりやすいかな?


「そ、そんなことないよ!」

「あ! これかわいいかも」


 僕が必死に否定しようとするも彼女は僕の言葉を無視して気に入ったものを見つけたのか服屋を物色し始めた。


「文春の分も買ってあげる! ほら、これとこれならどっちがいい?」

「……それレディースだよね? 僕はメンズなんだけど」

「別にレディース着てもよくない?」


 曇りのない綺麗な瞳の奥で彼女にとって僕はいつも女子に見えてるのかとそんな邪念を抱いてしまう。


「てか、あんたが着てるその服もほぼレディースだと思うけど」

「そんなバカな!? でも見た目メンズっぽくない!? 下だってデニム履いてるし! 上も薄手のパーカーだよ!?」

「いや、普通にスポーツ女子って感じにしか見えないし。メンズにしては服も線の細さが際立つようなスリムなものだし。百歩譲ってメンズ服着てても、そもそもあんたのその華奢な体系と顔立ちじゃ女子にしか見えない」

「マジでか」


 たしかにこんな周り全員女性のお店に入っても一切浮いた感じのしない光景に違和感を覚えていたけど。さっき普通に店員さんに『お客様はこちらの花柄のワンピースなどお似合いになると思いますよ~』とか試着勧められていたけど!

 てか、僕ってやっぱりそんな女子っぽいのか……。


「文春? なに落ち込んでるの?」

「いや別に……。なんでもありません」


 僕はショックを隠しきれぬまま有紀と店内をしばらく物色したあと、彼女に付き合ってカフェでお茶することになった。結局服は決めきれなかったので一旦休憩することにしたのだ。

 そんなとき不意に僕のスマホが震えたので確認してみると姉ちゃんからのメッセージだった。


『今日バイトだからご飯適当に済ませておいて』か。そういえば今日はシフト入ってたんだっけ?

 両親は仕事で家にいないし、夜は兄ちゃんも仕事で外に出ているし今日は一人か。


「どうかしたの?」


 僕のスマホ画面を覗き込もうとする有紀を咄嗟に手で隠す。


「な、なんでもないよ」

「そう? ならいいけどさ」


 スマホを隠した僕に対して怪訝けげんな表情でこちらを凝視する有紀を尻目に急いで『りょうかい』とメッセージを入力し返す。

 有紀と二人でご飯を食べて帰る選択もあったが、おそらく僕に好意を寄せているであろう彼女と二人きりでご飯を食べに行くというのは少し抵抗があるし。何よりこういうときはいつも流星が一緒にいたから何とも思わなかったけど、今日は普段と雰囲気が違ういかにも女子って感じの有紀とだと緊張して長居なんて出来たものではない。

 男子ならこういうイベントは喜ぶべきだと思うんだけど、てんで恋愛沙汰に興味のない僕からしてはそう素直な気持ちでいられないのだ。


「あんたなんか隠してる?」

「なにも隠し事なんてしてないよ!?」


 僕の態度に疑念を抱いた有紀にじとっとした目で睨まれるけど、なんとか誤魔化して話題を変える。


「それよりさ! このあとどうする? まだ服は決まってなかったよね?」

「うーん。まだ周ってないお店もあるし。とりあえずここを出たら東館の方に向かう?」

「そうだね! そうしよう!」

「あんたさっきからなんか挙動不審すぎない?」


 僕はいぶかしむ有紀を誤魔化すように残りのカフェラテを飲み干し、テーブル上の伝票を取ると立ち上がる。


「さあ! 行こう!」

「え? あ、ちょっと!?」


 会計を済ませて店を出ると再びアパレル系のお店が立ち並ぶ東館に向かって歩き出した。ちょうど人だかりのピークになる時間帯に入ったからなのか、どのお店の周りもたくさんの賑わいを見せる。


 目的地の東館に着いた僕らは少し人の流れが落ち着いたところで目に入ったレディースとメンズ両方を取り扱うお店に入っていった。

 男の僕には瀟洒しょうしゃな洋服を見て回るのが億劫おっくうで、さっきのレディースのお店と比べたら断然気が楽なので有紀が服を吟味している間、僕自身も自分に似合ったものがないかを探してみることにした。

 店員さんから『彼氏さんへのプレゼントですか?』と聞かれる度に苦笑いを繰り返すのもいい加減に辟易とする。


 メンズコーナーを回っていても女子扱いされて自分の服を選ぶのに集中できないので、僕はガックリと下がった肩に鉛を引きずるような重い足取りで有紀のもとへ戻っていった。


 有紀がいた場所に戻るとそこに彼女は姿はなく、あたりを広く見渡すように視界を広げると。

 

「どこほっつき歩いてたのよ! ねえ文春。これどう?」


 有紀が不服そうな表情で頬を膨らませ、試着室から出てきて僕の手前で披露するように両手を広げて見せてきた。

 彼女が選んだのはシンプルな白シャツに黒のテーラードジャケット。先ほど僕がプレゼントしたアクセサリーに合わせて選んだのか、シンプルにも見えるコーディネートの中に小さく主張するように後ろ髪から雫のチャームを覗かせていた。

 普段少年のような振る舞いをする姿とは対照的で瞳に映った大人びた女性の表情を見せる有紀の姿に、その瞬間時間が止まったかのように目が釘付けになってしまった。


「に、似合ってるんじゃないかな? 普段と雰囲気変わっていい感じだと、思うよ……」

「ふーん? ここでは『かわいい』って言ってくれないの?」


 彼女は恨めしそうにジト目でこちらを見つめてくる。


「いや! その、普段とのギャップの差にびっくりしたというか、言葉がでてこなくてっ」


 慌てて言葉を捻りだそうとする僕の態度を見て有紀は『ふふっ』と笑うと、そのまま意地悪な笑顔で。


「じょーだんよっ! この服買ってくるから外で待っててね!」

「う、うんっ。わかった」


 そう言うと彼女は着替えなおして、試着していた服を手にそのままレジに向かい小走りで駆けて行った。

 すれ違いに見えた有紀の瞳は爛々らんらんとしていて、僕は自然と笑みを浮かべた。


 なんだか今日の僕は様子がおかしいな。いつも一緒にいる友達のことをとして意識してしまうなんて。恋愛沙汰に興味がないなんて言っておきながら、有紀の一挙一動に心動かされるんだから矛盾してるよな。


 今日の用事もあらかた済んだことだし、気持ちをリセットして帰路につくとしますか。


 なんて深呼吸をしていたところに突然誰かがぶつかってきた。僕はぶつかられたことに驚くより早くも相手が態勢を崩して倒れそうになっていたところを瞬時に抱きかかえた。


「ッと、危ない!」


 僕の腕の中におさまったのは綺麗な桃色の髪をした女性だった。顔はマスクにサングラスと怪しさ全開の出で立ちだったが、マスクの中から『ご、ごめんなさい』と小さな鈴の音のような声をあげていた。


「だ、大丈夫ですか?」

「ほ、本当にごめんなさい。私としたことが前をよく見ていなかったわ」


 ゆっくりとサングラスの女性をを抱えながら起こすと彼女は申し訳なさそうにうつむいていた。


「僕はぜんぜん大丈夫ですので! それよりあなたにケガがなくて良かったです!」

「ありがとう。華奢な女の子なのに意外と力持ちなのね。あ、ごめんなさい、女性にこの言葉は失礼よね」

「いえ、僕は男なので失礼でもなんでもないですッ」


 僕の言葉に驚いたような表情、は見えないけどなんだか肩を震わせて手をわなわなとさせているからそういうリアクションで間違いはないと思うけど。


「……びっくりしたわ。それよりも二重に失礼を重ねてしまって申し訳ないわ」

「あー、いや、こういうのは慣れているので、気にしなくて大丈夫ですよ」


『はは』と乾いた表情で微笑み返すと、彼女は大事なことを思い出したかのように声を大きく上げた。


「いけない! 先生の握手か、用事があるんだったわ! 名残惜しいけど今はどうしても最優先させたいことがあるの!」

「え!? あ――」


 僕が言葉を紡ぐその前に彼女は『本当にありがとう。眼福よ』とよく意味の分からない謝辞だけを残して、脱兎だっとのごとく地を強く踏みしめて全走力で走り去って行った。


「なんだったんだ……」


 呆気にとられる僕に会計を済ませた有紀が駆け寄り。


「ん? さっき誰かと話してなかった?」

「いや、なんかよくわからない人だった」

「? どういうこと?」


 有紀は不思議そうにあたりを見渡すも、結局なにもわからなかったようで『なんかあったらすぐに言ってよね』と僕の腕をつかみながら駅の方面に向けて歩き出した。

 僕はふと振り返ってみるがあの足の速さだ。さっきの女性の影はもうどこにもなく、僕自身も世の中には変わった人がいるものだとそう思うことにして帰路についたのだった。


 彼女との出会いが僕とその周囲の人生を変えることになるとも知らずに。



 ◇ ◇ ◇



 休み明けの月曜日。空は昨日と変わらない雨模様。僕は変わらず窓へと顔を向けていた。


「おい、文春。聞いたか? 今日このクラスに転校生がやってくるらしいぜ」

「転校生? この時期に?」


 高校一年になってまだ二ヶ月だというのに、こんな早いタイミングで転入する人がいるんだな。


「みんな、おはよう」


 いつも猫背の姫川先生が少し姿勢を正して入ってきた。


「先週は授業の途中で抜けてごめんね。あの後カウンセリングを受けてアロマテラピーしてきました。でも鬱です」


 仕事しろよ、とクラス全員の思いが一つになった気がする。


「この様子だとみんなも知っているかもしれないけど、この梅雨の憂鬱気な時期に私のクラスに転入してくる子がいるの。みんな仲良くしてね。先生にも優しく接してね」


 なんだその導入の仕方は。それに最後のはいらないでしょ。初手から盛り下がることを。


「ごめんね。こんな紹介じゃ初手から盛り下がっちゃうよね。鬱になっちゃうよね」


 え? 考え読まれた? この先生いろんな意味で怖い。


「清水さん、入ってきてください。私もう間が持ちません」


 そんなネガティブなことばかり言うからでしょうに。


 先生に呼ばれて颯爽と入ってきたのは、桃色の髪をなびかせて自身に満ち溢れたような立ち振る舞いをする女子生徒だった。彼女は僕たちの前に向き直るととても元気な声量で。


「おはようございます! 転校してきました清水六花シミズリツカです! 両親の転勤の都合で引っ越してきたばかりで、まだこのあたりのことも分からないことだらけなので教えてもらえると嬉しいです! これからの生活よろしくお願いします!」


 何というか陰の者の代表格といっても過言でない姫川先生の隣で、その天使爛漫な笑顔を向けながら話されると後光がさしているのかってくらいまぶしさを感じるな。

 しかもモデルかっていうくらいにスタイルも良いし、これは男子生徒の人気トップに出るんじゃないか?


「前の学校では『りっちゃん』『リツ』って呼ばれてたよ! みんなもよかったら呼んでね!」


 まぶしい。まぶしすぎて前列の男子が成仏しかけている。


「それでは清水さんの席はあそこの空いている席でお願いします。隣に座っている蒼君が面倒見てくれると思うので頼ってください。私には頼らないでください。まぶしすぎて鬱になります」


 仕事しろよ。といってもあれだけまぶしい性格の生徒が相手では先生の身が持たないか。光が強くなるほど影も濃くなると言うし。


「補足ですが。顔は女の子にも見えますが男の子ですよ」

「先生、その説明いりますか?」


 蛇足が過ぎるんだよ。


「最近校内で流行っている『星駆ける春』という漫画を読んでから、蒼君の性別が分からなくなってしまって」

「先生、僕今日は早退したいです」


 なんということでしょう。あの本教師陣にも出回っていたのか!? てか教師ならあんなもの没収してよ!


「校長先生が校内ベストセラーとして重版を検討してました」


 校長何やってんだよ。


「あ、私も読んだけど最後泣けるよねー」

「俺もこの前先輩におススメされて読んでみたんだけどハマったわ」

「蒼を見ると涙が込み上げてくる」

「深いよね~」


 流星を除くクラスメイト全員読破してんのかよ。泣けるって何? ちょっと僕も気になってきたんだけど。


「何だそれ? 俺は知らないんだけど。今度読ましてもらおうかな」

「お前はやめとけ」

「? 何でだ? お前は読んだのか?」

「……勇気と覚悟が足りないんだッ」

「ダンジョンにでも潜んのか……」


 の僕というダンジョンって意味なら合っているかもしれない。

 僕と流星は被害者なんだ。残酷な事実は知らない方がいい。


「流星、僕たちがあっても友達だよね?」


 そう僕がうるんだ瞳で流星へ呼びかけると、彼は『ワケが分からない』といった面持ちで呆れたように小首をかしげた。


 転校生の挨拶もほどほどにクラス中がホシハル星駆ける春の話題で賑わう。

 

 そんな中、クラスメイトからどやされる文春に視線を送る人物が一人。転校生の清水六花がいた。

 彼女は先ほど天真爛漫で愛想の良い明るいキャラクターをのだが、今この一瞬クラスメイトたちが自分から視線を外している状況で、姫川から説明のあった男子生徒に視線を釘付けにされていた。


 (あの人はきっと……私のの相手……!)

 

 清水六花は誰にでも愛想を振りまき虜にさせるだけさせて男女の関係になるということは一切無かった。なぜなら彼女にとっての異性への憧れは三次元という世界にはなく二次元に存在するからであった。

 週末に推し作家の握手会へと出掛けていた彼女は自分の中でへ求める人物像にピッタリと当てはまる少年と出会っていた。

 そう、それこそが今、彼女がこの場にいる誰よりも眩しい笑顔を向けている相手、蒼文春その人であったのだ。

 清水六花、人生初の一目惚れである!


 (すごい! やっぱり顔が私のタイプドンピシャ過ぎて尊い! 本当は週末あの場で連絡先を聞きたかったのだけど握手会を優先してしまってそれを逃してしまったというのに! こんな運命ありえるのかしら!?)


 彼女は面食いだったのである! とくに童顔の美少年が好きなのである!


 そして時を同じく、人生初の恋心を未だ進展できずに鬱屈した気持ちで過ごす少女、天野有紀も転校生が自分の幼馴染に向ける的な視線に野生の勘で気取っていた!


 (あの女。文春に惚れているな……!?)


 文春に対して羨望せんぼうのまなざしを向ける六花を『恋敵現れたり』といった具合で有紀は睨みつける。


 (確信した! オーラでわかる、あの女は危険だ。あの笑顔の裏にはどす黒い私欲にまみれたものがあるに違いない。あたしが守るしかない。文春を!)


 妙な正義感が有紀を行動に駆り立てていた。

 彼女はは勢いよく席を立ち、クラスメイトの目を盗んで六花のもとへ移動する。そして。


「あたし、天野有紀。よろしくね、さん!」

「……こちらこそ、よろしくお願いします! さん!」

 

 六花は瞬時に感じ取った。目の前に突然挨拶をしに出てきた女子も、文春を狙っているのだと。そして苗字呼びを強調したかのような言い方に、この女は自分のことをけん制しているのだと。


「文春はさ、清水さんも困ったことがあれば、文春だけじゃなくあたしに頼ってくれてもいいよ! 文春は今部活で忙しい日もあるから」

「わーい! ありがとう! では天野さんと今日からはお友達だね!」

「いいよ!」


 有紀は見逃さなかった。自分が『幼馴染』というワードを出したほんの一瞬で、この女の笑顔が引きつったことを。


「ところで天野さん、その花びらが混じった雫のチャームとっても素敵ね! どこで買ったの?」

「これは週末に文春と出掛けたときにプレゼントしてもらったんだ!」


 笑顔浮かべる二人の間に激しい落雷が落ちたかのような緊張感が走る。


「あれ? いつの間に有紀は前に出てたんだろ? 清水さんと仲良くしてるっぽいね」

「……そう見えるか?」


 能天気な文春に対して、流星は呆れたように言葉をつづる。


「お前そろそろ誰か女子と付き合ったりとかって考えたりはしないのか?」

「流星がそんなこと聞くなんて珍しいね。とくに恋愛沙汰には興味ないし、今のところはないよ?」

「あの転校生の子はどう思う?」


 珍しくこういった話しをあまりしない流星がぐいぐい質問をするのに文春は戸惑いを見せる。


「どうって言われても。明るい子だな~としか思わないけど」

「……そっかー……有紀は?」

「友達だけど」

「…………思わせぶりな態度はわざとなのか考えなしなのか」

「どうしたの?」


 文春はぼそりと呟いた言葉が聞き取れなかったので聞き返したが流星は『なんでも』とため息交じりに答えると、彼の頭をわしわしと掴み小さく揺らした。


 流星の質問の意図に理解出来ない文春は疑問を浮かべながらも、さっそく転校生と打ち解けている有紀を見て、誰とでもすぐに打ち解けるコミュニケーション能力の高さに尊敬の念を抱いていた。


 清水六花の訪れは蒼文春を中心にそれぞれ思い思いの青春を描く男女のすれ違い、ぶつかり合いを描いた物語の始まりの合図であった。


「私のクラスからラブコメの波動を感じる。鬱だ」


 この後思春期の放つラブコメの波動にあてられた姫川は、生徒が静かになるまで普通にむせび泣いた。

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