Chapter 3: 計算可能な殺人

くるみ割り人形の夢

 夕刻、客室に備え付けの内線電話が鳴って、僕らはカフェテリアに集められた。

 すっかり予定を失念していて、電話で呼ばれたときには所長がまた何か演説をするのかと思ってしまったが――カフェテリアには沢山の料理が拡げられていた。

 懇親会なのだそうだ。

 真鍋さん含め、大方揃っているようだ。奥村所長の(そして勿論TIFAも)姿はなかったけれど、志木君とテキサスコンビも隅っこでピザを囲んでいる。


「ねえねえ! こっちで一緒にゲームしようよぉ。バスの続き!」


 僕を見るなり江口先輩が手を挙げる。はぐらかしたつもりが中々しつこく、仕方がなく一度は彼の近くに寄った。

 バスでのマッチは圏外で中断したんだっけ。そりゃゲームはしたいけども。

「懇親会が終わってからにしましょうよ」と先輩を諭してから、僕がこう言うのも意外だなと思った。


「馨ちゃん、僕のフレンド申請見てくれた?」


 そういえばさっきスルーしてしまった。僕がスマホを出して『今気付いたフリ』をしようとしていると、いきなり江口先輩がそれを取り上げる。


「ちょちょ、ちょっと何するんですか! 非常識ですよ――」


「ほら、これ! 既読スルーしてるじゃん!」


 まったく――他人のスマホを勝手に触るなんて。

 近くにいた阿部さんもこれにはドン引きし、凍りついた表情で離れてゆく。

 彼が野木電機の社員でなければ怒っていたろうものを、僕は申し訳なさそうに頭を下げ、まず茨さんと就職の相談をしたい旨を話す。

 すると先輩は「先に僕に相談しなさい」。僕はしめしめと思った。

「皆様お揃いになられたようですので」と真鍋さんが立ち上がる。


「ささやかながら、アンバサダーの皆様との親交のため、一席設けさせていただきました。当研究所からはこちらの奥から――光堂こうどう、鰐淵、志木、そして私、真鍋が皆様を歓迎いたします」


 ようやく紹介してもらえた。

 志木君は知ってる。少年みたいな声の若いインターンだ。そして光堂さんと鰐淵さんは、昼食の折にここで会ったチェックのシャツをタックインした短いジーンズのテキサスコンビ。どちらも頭髪が薄く、諦めて剃り上げているのが光堂さんで、伸ばして後ろで束ねているのが鰐淵さん。シルエットで言うと長細いほうが鰐淵さんで丸いのが光堂さんだ。


「なにぶんシェフがおりませんので、殺風景な場で簡単なお食事となり、大変恐縮でございますが――」


 真鍋さんは抱えた重箱を、手際よく各席に配ってゆく。広報なのに給仕までやるなんて。


「只今ご用意いたしますのは町の料亭が調理しました、地元の味です。旬の菖蒲あやめ、菜の花、鮎を取り入れた華の膳です。前菜は左から、虎杖いたどりの酢の物となっております。お口に合いましたら教悦にございます」


 漆で仕上げた重箱に綺麗に盛り付けらえた色とりどりの華、華。わぁ、と僕が思わず声を上げると、真鍋さんはにこりと微笑み返してくれた。

 彼女が毒島さんのところに膳を届けるとき、重箱の間から慎重にひとつを抜き出し、それを配膳した。毒島さんがにこりと真鍋さんに微笑む。

 あの毒島さんが笑うなんて――気になって少し上から覘くと、彼女の重箱には鮎と牛肉が入っていなかった。代わりに赤いカーネーションの彩りと、肉厚のキノコだ。

 なるほど、どうやら彼女はベジタリアンかヴィーガンなのだ。


「――ピザとお寿司も沢山ございます」


 そうこなくっちゃ、と江口先輩と、志木君ら三人も声を上げた。

 寿司といえば、見ればエビとカニがそれぞれ別の皿に盛られている。甲殻類アレルギーへの配慮だろう。特に何も聞かれなかったけれど、さすがにこちらの情報は丸わかりなわけだ。


「本来ならホストの奥村がご挨拶すべきところですが、喫緊の用がございまして――」


「いらない、いらない!」と、いつの間にかドリンクのサーブ役に回っていた研究員三人が、それぞれテーブルを回りながら「放っといていいよ!」と抗議した。

 真鍋さんも破顔して、「僭越せんえつながら私が乾杯の音頭を」と、グラスを高々とかかげる。


「お手を拝借いたしまして――知性と、来るべき未来に――」


 乾杯! とこのときばかりは、アンバサダーたちはひと時の団結をみた。


***


 歓談は進んだ。

 僕はようやく江口先輩から解放された。

 先輩といってももう十年以上も前に大学を出た彼と共通の話題もない。でも就職の相談をするうち、いくつか内緒のも聞けた。

 すると僕の頭の中は将来のことで一杯になる――もう選んだこと。もうすぐ選ばなきゃいけないこと。やらなきゃいけないこと。

 ゲームで〝何者か〟になりたいと思ったこともあった。けれどこれといって有名にもなれず、大会にも出ないままもう二十代。この先反射神経は少しずつ落ちてゆく。

 優秀な学生はもう進路が決まってる。僕のような落ちこぼれには学部より先に椅子はない。何より、学術研究なんてコスパの悪いもので身を立てるのもリアルじゃない。

 目の前に見えない崖が迫るよう。時間は前にしか進まないから後ろも崖だ。

 するとどうしたことだろう。これまで選んできたことの積み重ねで現在があるはずなのに、どうしてこうなったのか僕にはこの足跡がわからない。親しかった友人に『もっと勉強すれば――』と言われたのも、今になって染みてくるじゃないか。

 横にしか移動できない大昔のシューティングゲームのように、スライドして自機ぼくは茨さんの隣に移動した。

 すがるような気持ちで――「聞いてもいいですか?」と彼女の横に座ったのだ。


「探偵って――楽しいですか?」


「『楽しい』? それは殆どないな――お勧めはしないよ」と彼女は少し酔っているようだ。

 テレビで見た彼女の活躍を思い出す。それだけは、動画ではなくリアルタイムで放送を観たのだ。その番組で彼女は、ヘリに乗って東京の上空から捜査をしていた。捜査というのが正しいのかだいぶ怪しいけれど。

 ヘリは虎ノ門の巨大商業ビルのヘリポートから、東京湾を回って沿岸の倉庫街へ。


「でもいいなぁ。僕も探偵助手になったら、ヘリに乗れるんですか?」


 茨さんはヘリのキャビンから身を乗り出し、倉庫街に出入りするバンを望遠レンズで撮影し、車両ナンバーをデータベースで照合――。


「はは。『激情列島』を観た? 黒歴史だよ。あれは演出。実際にあんなことはしない……地味なものだよ。夢をこわして済まないがね」


 ……なんだ。

 僕は少し――いや、自分でも予想しなかったくらいにはがっかりした。

 でも、彼女は微かに笑って、こう言った。


「逆に、ヘリに乗って逃げるような敵と戦ってみたい――それくらいの夢は、私にもある。いや、それはそれで、気恥ずかしい話か」


 それもちょっと意外だな、と僕は笑った。

 そこへ、グラスを片手にした真鍋さんが「お楽しみですか、不動様」とやってきた。


「様はやめてください。馨でいいですよ」


 彼女の立場は理解しているつもりだ。困らせる意図はなかったけれど、真鍋さんは曖昧に笑う。彼女のグラスに入っているのも炭酸水だ。


「お立場は分かりますよ。でも僕はただの学生です。よくご存じなんでしょう?」


「学生さんとは伺っておりますが、それ以上のことは私には解りかねます。とぼけているのではなく、本当に。私が知らされたのは、皆様のお名前、ご職業等ごく限られたものですよ。他には、食のお好みですとか、アレルギーですとか。お口に合われましたか?」


「はい! それはもう! 昼もここでサンドイッチを食べましたが、とてもおいしくって、奥に料理人がいるのかと思ってました」


「恐縮です。料理人はおりません。カフェテリアで提供いたしますのは、皆冷凍です」


「他にスタッフの人とかも?」


「施設内にはおりませんよ。ここにお揃いの皆様の他は、奥村と――その」


 なるほど、と僕は頷いて見せた。

 ということは、やはり僕が何度か見た人影はTIFAだったと考えてよさそうだ。

 そこで話題が途切れたので、気になっていたことを訊いてみた。


「――僕達には見えないけれど、〝彼女〟も参加しているんですかね、今……」


 僕は防犯カメラの類を探して指差す――つもりだった。

 でも見当たらなかったので、指先は当て処なく曖昧に天井の方を向くだけになった。


「〝彼女〟をご覧になったのですね」


「はい。ここへ来てからずっと、なんだか見られてるような気がしてまして」


「不動様は、どこででも見られていると思います。可愛いお洋服がとてもお似合いですから」


 真鍋さんは口元に手を当てて笑った。一頻り笑った後で、少し顔を引き締める。


「――どうかご心配なく。TFAはオフラインですし、労組の要求で施設内にはカメラが一切ございませんので」


 防犯カメラがない――?

 言われてみればこの施設内部には、今どき街のどこにでもあるような防犯カメラの類が見当たらない。外にはあんなに物々しく並んでいたのに。

 尤も、この研究所内の様子がバレてしまうのは色々と不都合が多かった事情もあるだろう。

 だってあんなロボットがうろついていたのだ。


「以前は屋内でもセキュリティカメラを運用しておりましたが、従業員が気持ちよく働けるようにと……。TFAの開発が始まったとき、『られている』と苦情が相次いだので」


 自意識が僕くらい高いですね、と笑ったけれど、冗談じゃ済まなかったらしい。


「実際、〝彼女〟はセキュリティを突破してカメラにアクセスしていました。ですので撤去を。現在は……どうでしょうか」


 真鍋さんは天井を指差して笑う。

 そこでカメラのほうを撤去するんだ? とも思うが、さっきの奥村所長の演説からすればそうなるか。


「てっきり、〝彼女〟の存在が外にバレないようにするためかと」


「それもございます。防犯システムは外部委託ですので。出入りの業者も最低限にしておりますが、噂にはなっているようですね……〝山奥の研究所に少女の幽霊がでる〟と。それはもう怪談のように。奥村には再三、未使用時は〝彼女〟の電源を切るよう申し入れているのですが」


 ははぁ、さっきの所長の感じだと、たぶんわざとだ。会社にとっては頭痛の種だろう。

 そこに「ねえねえ、何の話?」と江口先輩がピザを片手に顔を突っ込んできた。


「皆様には、明日お目にかけようと思います」


 真鍋さんはクールな広報スマイルで軽くいなした。優しくも有無を言わさぬ表情――「ねえ、教えてよ。お二人さぁん」――それも先輩には効かないようだ。


「もう、酔ってるんですか先輩」


 そのとき、意外な闖入ちんにゅう者があった。


「少しいいか、真鍋君」


 管理棟側から、それまでより更に表情を硬くした奥村所長が半開きのラップトップと、なぜかバスタオルを手に、颯爽とカフェテリアに乗り込んできたのだ。

「所長――」と慌てた真鍋さんが立ち上がる。


「真鍋君、外を見たまえ」


 所長と真鍋さんは連れ立って、所長室のある管理棟に続く渡り廊下へ歩いてゆく。何となく、僕も遅れてその後に続いた。

 渡り廊下は暗く、両側のガラス越しの景色は、まだ午後六時を回ったばかりでもう墨を落としたように真っ暗だ。こちらから漏れ出る弱弱しい灯りの中を、大粒の雪が舞う。

 思わず「もうこんなに暗い」と呟くと、真鍋さんが少し足を止めた。


「西側が山ですのでこの時期は五時くらいに薄暗くなります。ましてこの天候では……」


 そこをまっすぐ行った先の一番奥――非常口扉の大きなガラス越しに入ってくる水銀灯の鋭い光が見える。

 その光を、踊るような人影がサッと遮った。

 所長達は誘われるように暗い廊下の奥へとまっすぐ進んで行き、僕もそちらへとついてゆく。非常口の手前で、廊下がやや膨らんだスペースになっていた。

「見てらっしゃる?」――その声は、所長のラップトップからだ。


「TIFA、戻りなさい」


 突き当り、両開きドアの上下ガラス越しの景色。そこに向けて所長は戻れと繰り返す。

 街灯に照らされた外はすっかり――雪に埋もれていた。

 スポットライトに照らされた小さなステージのようだ。そこで、TIFAは雪と戯れるようにくるくるとバレエを踊っていた。

 足元は快活に、降り積もった雪を蹴り上げ、両腕の軌跡の周りで舞い降る雪がくるくると揺れる。

 ――あんなに、バレリーナのように踊れるロボットがあるなんて。

 寒そうにも思ったが的外れかも知れない。彼女にはおそらく、寒いという感覚がないのかも。


「戻りなさい、TIFA。またバッテリ切れで動かなくなった君を連れて戻るのは御免だぞ」


「まだ踊っていられます。残りバッテリ駆動時間は現在気温で三十分」


 ラップトップから聞こえる声に、「そういう問題ではない」と返す所長。


「TIFA、君はあまり踊り向きにはできていないのだ」


 そうだろうか、と僕は思う。彼女は美しく踊っているじゃないか。

 僕はたまらず、口を挟んだ。


「いえ、すごく上手ですよ。彼女はバレリーナになりたいのですか?」


 ところが所長は、驚いたような顔で僕を見て、「なぜそう思うのだね」。

 どうも違ったらしい。

 ならなぜ――彼女は踊るのか。


「い、いえ、何かするにはそれに見合った理由があるもの、とそう思ったもので」


 僕はまた何か変な地雷を踏んだのかと恐縮した。

 ところが所長は怒り出すでもなく、ワンテンポ遅れて「いいや?」と首を横に振り「別に……よかろう」。


「確かに立場や肉体など、我々にとって必要不可欠な〝檻〟ともいうべきものはある。だが目的は――目的でしかなかった」


 所長はTIFAを眺めながら独り言のように続ける。

 彼にしては少し歯切れが悪いというか、会話が通じていないような気がする。前提の揃わないまま話だけが続くような。


「――あれもリンゴと同じ、〝接地〟の一つなのだろう」


 所長の言う〝接地〟の意味が、僕にはわからなかった。

 尚も疑問符を浮かべる僕をちらりと見て、彼は彼は小さく肩を竦め、結論のように「無意味であろうと無謀であろうと、不合理な希望を持つことが、人には必要なのだろうと考えさせられるよ」と言った。

 その後、僕らは暫し無言のうち、踊るTIFAを眺める。


「真鍋君。この天気はまだ悪くなるのだそうだ。この雪で、君は帰れるのか」


 おそらく建物の周囲すぐのところには融雪設備がある。しかし少し離れた奥のほうの街灯の下は、もうかなりの積雪に見えた。


「――無理そうですね」


 彼女は通いなのだと言っていた。あの山道だ――凍結などの恐れもあるだろう。今ならまだ車を動かせても、山を下りて人里に出るまでにもっと酷いことになるかもしれない。


「……困りましたね。私のスマートロックの権限では、広報執務室に寝泊りするしかなさそうです。メインエントランスの権限は三日分申請してあるのが幸いです」


「そうか。なら問題なかろう。共用のシャワーと、浴場もある」


 いや問題ないこともないと思いますよ所長――と僕は内心突っ込みを入れながら、また外に目をやった。

 美しい景色だ。それも大舞台ではなく、小さな劇場の舞台。〝彼女〟の置かれた境遇を思えば、それが余計に心に刺さる。

 囚われの姫君。それも山奥の、雪に閉ざされつつある古城にだ。『囚われの』は比喩じゃない。奥村所長が言っていたのだ。The Final Answerの公開が思うように進まなければ、〝彼女〟は『中国語の部屋』に囚われたままだと。

 今は公開そのものが危うい。


「TIFA。いい加減にしなさい」


 渋々TIFAは踊るのをやめ、その場で肩を落とす。

 所長がドアの手すりを押し開けると、彼女もこちらへ戻った。非常口が閉まると、自動で施錠される音がした。

 真鍋さんがラップトップを引き受けると、すぐに所長がバスタオルでTIFAを包み込む。


「――真鍋君、厳重に施錠するよう頼んだはずだぞ」


 濡れたらショートする部分があるのかも。なら天気の悪いときは彼女が外に出ないように注意しなければいけなかっただろう。


「し、しかし所長、ここは非常口ですので……」


 問題があるかね? と所長は真鍋さんを睨みつける。


「……いえ。すぐに対処致します」


 バスタオルの下で、TIFAは満足そうに笑っていた。


「楽しそうな声が聞こえたもので。皆様、お集まりなのでしょう?」


 振り返れば廊下の奥にはまばゆいカフェテラスの灯りだ。僅かに覗くアンバサダーたちの影。


「――皆様、私に質問をした人達ですのね。早くお目にかかりたいものです。私の導き出した答えが皆様の支えになったか、一人ひとりとお話しして……」


『私に』とTIFAは言った。

 この子の言葉はTFAの言葉だ。〝彼女〟はインターフェイスであってTFAそのものではないはずだが、その境界は曖昧なのかも知れない。

 考えてみればそれも当たり前の話で、僕だって『僕の体は痛がっています』『僕の脳は嫌がっています』などとは言わない。体と脳が不可分でないとしたって、それを分けて話したりしないのだ。


「――遠くから来た人もいる。お客人も疲れているだろう。明日だ」


「明朝。楽しみです」


「朝とは言っておらん」

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