短編小説まとめ

野鴨 なえこ

ワンライ 魔法の杖工房のおはなし

 木を削る音が工房内に響く。それはかつてのような細くて長い指ではなかったが、迷うことなく形を作っていく。ベルテはその姿を見て、きっと彼女は心配ないだろうと思った。


 この店の工房に入れた弟子はベベ、ただ一人である。それには杖職人になりたいと言う人間が少ないことがそもそもの原因ではあるが、この店に弟子入りする人はみな重いつきだけで来る。研修生になるときに思いついただけでは杖職人にはなれない。そもそも、杖職人の家の子供たちは幼い頃から修行を積んでいる。それでも職人が多くないものだから、繊細で厳しい界隈だ。ベルテは自分の祖母の厳しい言動を思い出して、苦虫を噛み潰したような笑みを浮かべた。


 太陽が少し落ち着いて、道に影が多くなる。お茶の時間だ。紅茶を淹れようと立ち上がったベルテだったが、集中しているベベの妨げはいけないだろうと腰を下ろした。彼女がどこまで集中できるかはしっかりとわかっている。この程度ではまだ疲れないだろう。昼食も食べたばかりだ。


 この調子で行けば、きっとベベは期日通りに卒業する。ベルテにとって、それはとても嬉しいことのようで、寂しいことでもあった。ベベが下級生のころから十二年間も一緒にいると、それは彼女の家族よりもともに過ごしている時間が長くなっているという計算になる。それだけに、いない生活が不思議に思えてくる。



 一番最初。彼女が店先のドアを叩いたとき。


「あなたがほんもののつえやさんかしら?」


 なんて口調で言うものだから、ベルテは驚いたものだ。かわいらしい女の子が来た、と面白がって招き入れたが、それがこうなるとは誰にもわからなかっただろう。ベベが絵本で読んだ『杖屋さん』というのは祖母のことだ、とベルテは説明してベベを学園に帰そうとした。しかし、彼女は思ったよりも意志が強くて、気が付けば弟子なんて立場になっている。それこそ、なんとも面白い。


 ベベが顔を上げると、太陽はもう体全てを沈ませるところだった。お茶の時間も忘れて杖の装飾をしていたことに対して驚きはしなかったけれど、またベルテにお茶とお菓子を出せなかったと肩を落とした。


「ベル・・・ごめんなさい、集中してしまって気が付かなかったわ・・・」

「いえいえ、大丈夫です。卒業制作に集中するのは良いことですから」


 それよりも、とベルテはコートを差し出した。疑問を持ちながらも、ベベはコートを受け取り身だしなみを確認した。


「出張かしら?」

「いえ、あなたに素敵な場所を紹介しようと思って」


 それは、ベベが弟子入りしていた時からベルテが口にしていたことだ。ベベは心臓の辺りにつららが通るような感覚がした。



 先週よりも寒さが和らぎはしているが、まだまだ手袋とマフラーは手放せない。そんな寒さの中、二人は王都を少し離れた場所を歩いていた。街灯が少なくなり、気が付けば星が良く見えるような時間になっている。ベベにとって暗い場所はまだ怖い。しかし、もう昔のように何も知らない見習い魔女ではない。もうすぐ一人前になるのだ。そしてそんなことよりも、占星術を学んでいる友人は眠れているのだろうかということを今は考えていた。


「ここです」


 ベルテが止まったお店は、どこからどう見てもバーだった。もう誕生日を迎えてお酒が窘める年になったとはいえ、まだ学生の身であるベベは心臓がどきどきした。校則で禁止はされていないが、両親からそこはかとなく卒業するまでは飲んではいけないと言われていただけに、親愛なる師匠の顔をじっと見ることしかできなくなっていた。


 そんなベベの様子を見て、ベルテは笑った。中からマスターに声を掛けられて、ようやく二人はカウンターに席を下ろした。


「ベル、わたくしお酒は」

「ええ、飲まなくてもいいですよ。私も明日のために今日は飲めませんし」


 そう言って、ベルテは二杯のノンアルコールカクテルを頼んだ。


 シェイカーの音と、机や壁に染み付いた僅かなアルコールの匂い。それだけで、ベベの体は温かくなった。寒い地域で働く人たちがなぜ酒を頻繁に飲むのか、その理由がそこに詰まっている。


 しばしの談笑の後、二人の手元には二種類のモクテルが出された。


 グラスの淵は、星のようにきらきらとした砂糖たちが。明るい緑のジュースの中にはミントがちりばめられて、爽やかな香りと見た目を演出している。


「このグラスから目を離すなよ」


 そう言ってマスターは、一本のマドラーを手に取った。それがグラスをかき混ぜると、飲み物の色が変わった。若芽は次第に大きくなり、しっかりとした大きな葉へ。雨が降り、雷が落ちて葉が枯れて。それでも負けずに葉を出し、空には虹がかかる。いくつかの星空を超えて、そのグラスには一本の花の木が育った。桜の木だ。

 小さな桜の花たちは、ひらひらと舞ってグラスの淵を、水面を、うすい桃色に染める。


「まぁ!」


 ベベの歓声に、マスターは笑った。マスターの手にしたそのマドラーは、実はベルテが作った卒業制作だということはベベも一目見てわかった。そのマドラーからあふれ出る魔法とその技術は、杖職人が支えているといっても過言ではない。その事実に、ベベは誇らしさを改めて実感した。


「その桜は食べられるよ。全部魔法でできているしさ」

「マスター、ありがとうございます! ありがたく、いただきますわ」


 それでは、とベルテが声を出した。二人はグラスを持ち、


「ベベの一人前に」

「「乾杯」」


三人だけの空間で、小さな喜びの音が鳴った。

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