30 鷹城秀一 ――罠――
「いて、…」
左の袖を折り返した腕を机の上に置いて、顔をしかめて手で押さえた関が、思わず驚きを全面に出してそれをみていた。
一課の入口から、真直ぐこちらにくるのは。
「どうしたんですか?」
器用に車椅子を操りながら正面まで来る鷹城に思わず無言で見返す。
「…また抜け出してきたのか?おい!」
怒る関に答えずに、にっこり笑顔で鷹城が問い掛ける。
「処で、自分が僕を襲ったとかいうばかげた発想の推理はもう撤回しました?はっきりいってありえないと思うんですけど、どこからどうしてそんなこと思いついたのか、本当にあきれちゃうんですけど、どうなんです?」
「…―――」
思わず無言でつまって見返す関に、鷹城の背後から来た斉藤と山下の二人が追い打ちを掛ける。
「ですよね。鷹城さんの意見が正しいと思いますよ。僕も、先輩が聴取されていると聞いたときには、一体何事かと思いましたが」
「だよな、―――。って、その割にはおまえ、全然動揺何てしてなかったぞ?山下」
「当然でしょう。先輩のばかが、鷹城さんを傷付けたりとか、万が一にも出来る訳がないじゃないですか。動揺のしようがないです」
斉藤の問い掛けに山下があきれた顔でみあげて答えるのに。
「…おい、なんでおまえたちまで、」
関の抗議に山下があきれた顔で振り向く。
「聴取で主張したという内容を聞いてあきれました、…。先輩、本当にいつもの調子はどうしたんですか?斉藤さんでもないのに、本当にあきれるくらい、推理としての初歩にも至っていないというか、先輩がこれほどすごく間抜けな推理をしたなんて」
「おい?」
「おい、山下、さりげなく俺のこと下げてないか?―――いやまあ、俺も最初聞いたときは心配したけどな、内容を聞いてみると、――――…間抜けということは、確かに…。そりゃ、…なあ、関」
斉藤が関の隣にきて、肩に手を置いてしみじみという。
「おまえ、…自分にできることとできないこと、ちゃんと考えた方がいいぞ?」
斉藤に肩を叩かれて絶句している関に。
しみじみと腕組みして山下が云う。
「そうですよ、先輩、…。取り調べを自ら申し出て受けたの聞いた時にはすごく心配したんですよ?でも、どーしてそこで、先輩、自分が鷹城さんを襲ったとかいう斜め上な発想になるんですか。そこは嵌められて罠に落ちたとか、そういうのが普通でしょう。第一、先輩に人を殴ったりできるわけがないじゃないですか」
「…―――――」
関が反論を思いつかないでいるうちに、斉藤が向かいに椅子を持ってきて座りしみじみと頷く。
「だな、おまえ、自分ていうものを、もう少し解っておいた方がいいぞ?」
「…斉藤、――」
しみじみといわれてしまって、関が言葉につまる。
鷹城がその隣で大きく頷いて。
「大体そうですよね、襲われた僕に、きみがそんなことするはずないのは簡単にわかるっていうのに。普通、誰かを訪問した後意識が数時間跳んでたりしたら、すぐに疑うのは薬を盛られたとか、そういうことでしょ?まったく、ばかなんだから」
「おい、鷹城!」
睨む関にも涼しい顔で鷹城が車椅子の前に広げた小さなテーブルに置いたノートパソコンを広げて振りかえる。
「だって事実でしょ」
「…―――安静じゃないのかよ!滝岡はどうしたんだ」
「許可はもらいました。また橿原さんや滝岡さんに怒られてもつまりませんから、懇切丁寧に事情を説明して、ちゃんと今回はこうして此処に寄るのも事件解決の為だと御理解いただいて、検査結果等も把握した上で来ています。ですよね、橿原さん」
「その台詞の何処が僕に対する同意を求める文章に繋がるのかわかりませんが、鷹城君」
賑やかな部屋に入って来て、冷たい視線で鷹城を見下ろして橿原がいう。
「はい、何でしょう、橿原さん」
にこやかにいう鷹城に関が引く。
対する橿原の冷ややかな気配に周囲が引いているのに。
「いえ、君は絶対安静一週間といわれた意味も随分と甘く捉えているようですが。滝岡君も随分きみには甘いですね。処で、それで此処へ戻って何をしているのです?犯人に対して、悔しいからとかですか?」
冷淡な橿原の声に山下達が息を呑んでいると。
平然とそれに対して、鷹城が向き合っていう。
「いえ、悔しいというより、いま僕は怒ってるんです。だって、僕を排除する計画に加えて、つまり犯人は僕と関を同時に厄介払いしようとしたというわけでしょう?正直いって胸糞が悪いので、この犯人は絶対に逃がしたくないんです」
「それで、こちらの方々にお任せしておくという選択肢は君の中にないわけですね?」
淡々という橿原を鷹城が見返す。
「ありません。自分の身に降り掛った火の粉は、自分で払うのが流儀です。それに、橿原さんだったらどうしますか?僕はこの犯人絶対に許せませんし、自分の手で捕らえたいんですけど」
「…―――」
鷹城の意見に関が横を向いて難しい顔をする。
冷淡にその鷹城を見下ろしていた橿原が、一歩踏み出してボードに視線を向ける。
地下資料室から運ばれて来たホワイトボード。
相関図には、幾つかの追加が行われている。
一同が思わず視線を同じくその写真が貼られたボードに向ける。
「…僕が知っていたのは、八年前の事件一つと、今回のだけだったんですけど」
「それだけではなかったようです。…過去にも例がありますが、この手の犯人はけして一度では終わらせません」
ぽつり、と鷹城が云う言葉に、橿原が相関図に歩み寄りながら静かにいう。
その橿原の言葉に一同が沈黙してボードに書き出されたリストの番号を見つめる。こうして書き出された数字は、唯事件の数を示しているだけではない。書き出された数字は、それと同じ数の被害者を示すものでもあった。
重ねられていく件数毎に、被害者が存在する。
橿原の抑えた声が響く。
「まるでそれが習慣になっているように、或いは、呼吸をするようにして。こうした犯人は、けしてやめたりはしないものです」
「同じような事故が、まだ他にもあったりするんでしょうかね」
斉藤がいうのに、橿原が僅かに振り返る。そして、感情の見えない眸で鷹城と関、斉藤と山下を見る。
「八年前の事件にはいずれも証拠は残されていませんでした」
淡々という橿原の声に、斉藤が溜息を吐く。
「今回の事件も、混入した事故でもう殆ど決着はつきかけてたんですよ。…関、おまえこいつが犯人だと思って、もう一度訊きにいったんだって?」
「先輩、美人だから、もう一度会いたいだけかと。どうしていってくれなかったんですか」
「…いや、唯の、勘、だからだよ、…それも何ていうか、―――それまで調べてた訳じゃないしな、…」
難しい顔をしていう関に、山下が見返していう。
「でも先輩の勘は当たるじゃないですか。それにしても、どうしてこんな気味の悪い犯行をするんでしょうね」
山下の言葉に一同があらためて写真を見る。
高槻香奈の写真を。
「普通―のお嬢さんにみえるんだけどな。…それも結構美人だろ、また何でこんなことを」
斉藤が眉をしかめて、わからないというようにくちにする。
関が、無言でそれらを聞いて眸を閉じる。
斉藤の言葉に、鷹城が眉を顰めてくちにする。
「でも、これだけの犯行を犯したわけですよね。しかも、これで不幸になった人達は、この事件の数じゃすまない、…」
「それはいつでも同じことです、鷹城君。被害者だけが傷ついて終わる事件というのはありません。必ずその周辺にも被害を及ぼします。ですが、何れにしても我々にできるのは、事件を解決するまでです。事件を解決することだけが、我々に出来ることなのですよ。逮捕は警察のお仕事ですしね」
「…橿原先生、―――。良い感じで説教しておいて、感心したじゃないですか、…――――」
肩を落とす斉藤に橿原が振り向く。
「でも、逮捕はまずいでしょう?流石に」
「…―――現行犯以外はやめてください、…。本当なら解決だって、――関、おまえも黙ってないで何かいえよ」
橿原にあきれて促す斉藤に、ぼんやりしていた関が視線をあげる。
「…ああ、―――何だって?」
「もういいよ、…橿原さん、その解決に関することですがね。何か、出来るんでしょうか?実際、我々が扱ってた件は、薬草を使ったメニューに生薬が混入してしまったということで、ほぼもう事故として決着がついてるんです。証拠処か、あの女が事件に関わってる痕跡もありませんよ」
「…八年前は仲居として現場にいたんですけどね」
斉藤の言葉に、くちもとに拳をあてて鷹城がいう。
「膳を運んだ仲居でさえなかったんだろ?中毒事故、のあった職場にいただけだ。しかも、同僚が膳を運ぶのをみたが、特に怪しいことは何も見なかったと証言してるだけだ」
頭をかく斉藤に、橿原が繋ぐ。
「他の事件でも同様ですね。八年前は総ての現場に、臨時の仲居や手伝いとして居合わせていて、同じような内容の証言をしています。自らはけして危ない場所に立たない」
「でも、その全てで生薬が食事に混入されていたんですね?その中毒が起こった事件で」
鷹城の言葉に、ぼそりと関がくちにする。
「…必ず、女性が犠牲になってる。他に数名同時に中毒を起こしてる場合もありますが、…一番深刻な被害を受けてるのは、皆若い女性です」
重い声でいう関を、斉藤、山下、そして鷹城が見詰める。
しずかに、苦い何かをくちにするようにして、関が。
「…―――そして、悲劇を、人生を変える位に酷い衝撃を受けたんです」
「多くの若い女性が悲劇の内に叩き落とされた。恐らくは、人生の幸せを謳歌しているときに。関さんは、鬼灯のことについて訊かれましたね?」
重い関の言葉に、橿原が淡々と視線を向けて問う。
「ええ、…。食事に混入したらしい生薬とかいうのを調べていたら、…。鬼灯が薬になるなんて、思いもしませんでしたよ。…―――しかも、ああいう用途に使われる薬に」
「鬼灯を使ってつくられた生薬には、子宮の収縮作用を持つヒストニンが含まれています。これを経験則的に知っていた江戸時代には、堕胎薬として使用されていました。現在でも、生薬として解熱鎮痛などに使う地方もありますが、その場合でも妊娠した女性に使うことには危険があります」
淡々と続ける橿原の言葉に。
「―――くそ、それで、当たっちまった場合には、流産しちまうってわけですか、橿原さん!」
デスクを叩くようにして留めていう斉藤の言葉に橿原が頷く。
「僕が確認させて頂いた結果では、薬の混入は何れの件でも完全に危害を加えることを意図したとは証明できないくらいに微妙なものだったようです。しかも、生薬は体質などにより、また生薬自体の成分の異同により、完全な効果を常に期待できるものでもない、という認識が、さらに事件としての立件を難しくした面もあると思います。漢方薬の持つ特性ですね」
「けど、意図的でしょう」
「関、…――」
橿原の解説に、端的にくちにする関に。
鷹城が驚いて関を見る。斉藤も山下も見詰めるのに。
「意図的です。あいつは、楽しんでいた。…笑ってたんです。…いまもまだ、病院で重体になり、―――危機にある被害者がいるっていうのに」
「きみも、彼女を見た?…―――あの、微笑を」
「…―――」
関が鷹城と視線をあわせる。
曰く言い難いあの薄い恐怖をつれてきた微笑が蘇る。
いかにも美しい面に刷かれたあの微笑みが。
「そうして、君達二人に犯行を悟られたことこそが、今回鷹城君を殺害しようとした動機になるのでしょう。そして、関さんを犯人に仕立てて同時に排除し、自らはまた舞台裏に逃れようとした」
「…俺はそれに引っ掛かったってことか、…」
難しい顔で俯いて溜息をついていう関の肩を斉藤が軽く叩く。
「斉藤、」
唇を咬んで息を吐いて顔をあげる関に、山下が首を傾げる。
「でもそれ、失敗したんですよね?先輩が鷹城さんを助けたから」
山下の問いに橿原が頷く。
「そうですね。それが犯人の誤算でした。関さんが鷹城君を助けに戻ったというのは。犯人の計算では、意識が朦朧とした関さんがそのまま現場に留まるか、でなくとも立ち去った後、死亡した鷹城君を監禁した小屋の外に、関さんの指紋をつけた凶器が発見されればよいとの考えだったのでしょう」
死亡した、といわれた処で微妙に眉を寄せてから、鷹城が訊く。
「指紋、出たんですか?関の。僕を殴った凶器から?」
「出ました。君の血痕の下からです」
「…―――」
血痕ときいて嫌そうな顔をして鷹城が考える。
斉藤が考えてから、げ、と顔を顰める。
「つまり、それって橿原さん、関の指紋は凶器の血液の下から出ちまってるってことですか」
軽く橿原が頷き、淡々という。
「さらに、鷹城君の皮膚から採取された成分と、凶器についていた特殊な成分もまた一致しました。生薬に特有の成分です。凶器はあの鉄の棒で間違いありません。あの凶器は、薬草を乾燥させたあとに石臼の窪みに薬草を置き、叩いたり磨り潰したりするために使う道具でとして使われていたものでしょう。礼状を取っていただき、高槻香奈の庭に置かれていた石臼に残っている薬草の成分と残っていた成分を調べることが出来れば一致するはずです」
「それにしても、…だとすると、関がそいつを意識をなくしてる内に握らされたとしても、―――」
言葉を切る斉藤に橿原が続ける。
「それを証明するのは難しいでしょうね。しかも暴行が加えられる前に指紋がスタンプされたということは証明されています」
「こいつは厄介だな、…」
難しく顔をしかめて斉藤がいってから顔を撫ぜる。
「…―――」
関が沈黙して見つめてくる斉藤と山下にくちを噤む。
鷹城があっさりとくちにする。
「証拠としてははっきりした記憶がないと関が主張した通り、僕に暴行し監禁した上で、橿原さんを連れて戻り救出したという筋書きでも、状況に合わないということはないということですね」
嫌そうな顔で関が鷹城を睨むのに、涼しい顔で見返して、ふん、と横を向く。
「あのな、おまえ、…」
「何、自分の主張だろ?」
「ったくな、―――」
怖い顔を作ろうとして失敗している関に、鷹城がふざけて舌を出して、あっかんべー、などとしている横で。
真面目に考えていた斉藤が首を振る。
「まってくださいよ、…冗談にしか聞こえませんが、関を犯人にする証拠は揃ってるっていう訳ですか」
斉藤が関を睨んでいう。
「なんてこった」
「すまん、斉藤、山下」
謝る関を山下があきれた顔でみていう。
「どうしようもないですね、…。だから、単独行動はあれほど控えてください、と常々注意してるんです。わかりましたか?」
「…―――わかった」
真面目に云う関に、山下が嘆息して。
「後、何分この反省が持つか何ですが」
「おれは賭けないぞ?絶対に、一分も持たずに忘れるに決まってる」
「あのな、…おまえたち、」
真面目に頷いている山下と斉藤。それに関が抗議するのを聞きながら。
橿原が鷹城をしみじみとみていう。
「君の記憶が戻れば一番はやいのですがね、鷹城君」
「無茶いわないでくださいよ、…。それは、そうですけど」
難しい顔をする鷹城に視線をおいてから橿原がボードを眺める。
「犯人が関だと示す証拠はあるけど、真犯人に結び付く証拠はいまのとこ何処からも出ていないということですよね。これまでの分析からすれば」
「凶器の出所が犯人の家であることは間違いないでしょう。凶器からも鷹城君の血液や錆の成分と共に、特徴的な生薬の成分が検出されています。しかし、」
橿原の言葉に、関をからかうのをやめて、斉藤がボードの前に来て。
「そいつを関が証言を訊きにいった際に盗み出した、とかいわれればお終いだ。…関、思ったより厄介だぞ、こいつは」
「僕達は先輩がそんなことできないのはわかってますけど、他所にはそういうだけでは証明になりませんからね」
「…斉藤、…山下」
難しい顔で睨んでいった関が、気付いて顔を上げる。
「西さん?」
鑑識の西が入って来るのに、関が驚いてみる前で。
「みなさん、お揃いで。橿原さん、御依頼の関刑事の血液鑑定の結果が入りました。こちらです」
持っていた大判の封書を橿原に渡す。
「ごくろうさまです。ありがとう」
「橿原さん?そいつはなんですか?」
斉藤が伸びあがってみようとするのに、一覧表に目を通して、橿原が山下に検査結果を渡して寄こす。
橿原が微笑して西を見ていう。
「ありがとうございます、西さん。随分と早い結果でしたね」
西が頷く。
「もう少し掛るかと思いましたが、先に滝岡先生から頂いていた分は、分析にヒントを頂いていたので、サンプルの解析も同定する為の参考になり、大変助かったそうです。それが無ければ、もう少し同定に時間が掛かったろうと。御礼をお伝えしておいてくださいとのことです。科警研より」
「そうですか。滝岡君の意見が参考になったなら、それは良かった。伝えておきます」
「宜しくお願いします。何にしても、先に滝岡先生が採取してくださらなければ、この件での関刑事の疑いは晴れたかどうか、わかりませんからな」
多少冷たい視線で西が関をみていうのに、まだ事態を理解出来ていない関が見返す。
「おい、滝岡が、何を?つまり、――疑いって?」
「聴取の際の血液と尿には、まだ検出できるだけの濃度がありました。先程の採血分からは、流石に検出されるかどうかは微妙ですが」
今度こそ、あきれを隠さない視線で西がみていうのに関が眉をしかめる。
「いまの、採血か?何でまた、…――聴取のときもだが、一体なんで、第一、採血、下手だろう!凄く痛かったぞ!」
「だからといって、職員以外の者にしてもらう訳にもいかんのでね、関君。橿原先生に、―――」
「僕はできませんよ。生きてる人間から採血したのなんて、いつのことだか。僕、血を採るのは、死んだ人からと決めてるんです」
「…―――」
橿原の宣言に西と関が微妙な表情になって見詰める。そして。
「では、私はこれで」
「ありがとうございました」
結果を届けに来た鑑識の西が去った後に、関がまだ全く事態が解らずに誰にともなく問い掛ける。
「つまりなんだ?何なんだ?おれの血液が?」
「―――つまり、きみの血液の血中濃度をみて頂いていたのです、関さん」
「おれの?」
「はい、つまり、呑まされた薬物の血中濃度です。関さんの行動と証言をみる限り、実際に相当の影響を及ぼす濃度の薬物を投与されていたはずです。それが、その後も影響して体内に残り、記憶を消し、――――」
「…薬、…――――」
茫然としている関に、橿原が微笑んでいう。
「滝岡君が、きみの様子がおかしいのに気づいて、見張ってくれと頼まれましてね。僕がきみに付き合っていたのは、事件を解決する為もありますが、むしろ、医者として滝岡君にきみを見守るよう頼まれたから、何ですよ」
「…あいつが、けど、…―――何だって、…あの、血を勝手に抜いたときか?」
ようやく思い出していう関に、橿原がおかしそうに微笑む。
「随分、大胆だと思いますが。あのとき採取した血液を、知り合いを通じて科警研に頼んで分析してもらっていたそうです。それから、僕に、きみの様子を見守るようにとね。…まあ、」
実におかしそうに口許を隠して笑む橿原を不気味そうに関がみる。
「生きてる人間の看護を僕に頼むなど、滝岡君も随分と大胆ですが。自分は、秀一君、鷹城君の世話をみる必要があるからというので」
「…―――橿原さん、…滝岡の奴、…――――つまり、何ですか?橿原さんは、随分前から、おれが薬を盛られたのを疑ってたと?」
「勿論、結果が出るまでわかりませんがね。生きてる人間を診る医者としては、滝岡君は優秀ですから。その診立てを疑うこともないでしょう。尤も、記憶障害の件を聞いたときには、そこまで濃度が高い危険性の高いものを投与されていたとは思っていなくて、後から僕、随分怒られたんですが。責任取ってくださいね、関さん」
「…何の責任ですか、橿原さん、…―――」
しかし、そいつは、と。難しい顔で沈黙している関に。
つらつらと橿原が問わず語りにいう。
「御存じの通り、薬物の血中濃度は時間が経つにつれて減少しますから。僕からも科警研には協力して頂くようお願いして、もらっていたんですが。もし、
もっと検出できる量が少なければ、京都の科捜研から依頼してもらって、スプリング8に割り込まないと無理かもしれませんでしたがね。あそこは腕の良い研究員がいますし、スプリング8の所長と懇意ですから。こうした犯罪捜査の為でしたら、忙しい中にも順番を廻してもらえたかもしれません。尤も、今回は、特に最初に滝岡君が採血した分からは、随分楽に検出できる濃度があったそうなんですよ?実をいうと、鑑定中に科警研の方から、検体を採取した人物の容態は大丈夫か、毒を排出する為に適切な処置をとれているか、僕と滝岡君の方に確認の連絡があったくらいですから」
「…――――」
「それって、橿原さん」
関が微妙に沈黙する。鷹城が検査結果の用紙から顔をあげて。
斉藤と山下もまた、一緒にみていた用紙の数値に沈黙する。
「血中アルカロイド濃度が、…おい、関」
「先輩、…」
「なんだよ?」
検査結果を見ようとする関に隠して、斉藤と山下が難しい顔で見返す。
「まあ、何とか当日もこれまでも事故を起こさずにきてはいるようですが」
「…橿原さん」
橿原の言葉に、しみじみと斉藤が見返す。
「特に当日に関しては、事故を起こさないで戻って来られたのは幸運だったようですね、関さん」
「ちょっとまってくださいよ、…おい、見せろ!」
斉藤の頭を軽くはたいて、関が検査結果を奪い取る。
「…――――」
血中アルカロイドの数値に、関が沈黙する。
「それ、僕のと成分殆ど同じでしょ?僕も薬盛られてたみたいなんです」
にこやかにいう鷹城に複雑な視線を関が向ける。斉藤があきれたように関をみていう。
「すぐじゃなくて、これだけ残ってるってことは、当日は象が倒れてもおかしくないくらいの量だったと思うんだが」
「先輩、鈍いですからね」
「うるさい」
関の言葉に腕組みして頷きながら鷹城が。
「僕が倒れて記憶を失っても当然だったわけだ」
「だけど、関は動けてたんですよね?鷹城さんを救出しに戻れたわけだから、――――なんでです?」
斉藤が訊ねるのに橿原が応える。
「それはおそらく生薬特有の問題が関係しているのでしょう。成分を限定して生産される薬と違い、薬草などを利用して作られる生薬は、その成分に主要な効き目をもたらすものだけでなく、それぞれに特有の背景となる成分が存在します。いわゆる不純物というものですが、それがどのような働きをするのかが、いまでも不明な点が多い。純粋に成分のみを抽出して造られた薬と違い、そうした生薬はその不純物こそが効くと信じられて、いまでも生産地により取引金額がかわるほどに扱いが違うこともあります。またそれらの不純物が、純粋な薬としての成分を阻害する作用をみせることもありますからね。それに、実際に個人の体質等といわれるものに対しての薬成分の効き方が、まちまちであることも多い。喩え、同じ量を二人に投与していたとしても、同じように効くとは限りません」
淡々とした橿原の説明に斉藤が眉を寄せる。
「難しいんですが、橿原さん、その成分の違いってのを、犯人を特定する方面に使うってことはできないんですかね?」
山下が腕組みをして考えるようにいう。
「それは出来るんじゃないでしょうか。例のヒ素事件のように、極微量で通常なら判別し難い成分であっても、スプリング8のような微細な成分を分析できる施設があれば、分析して特定することは可能のはずです。―――それに、そこまでの分析能は無くても、いまでも自家製で作っているような生薬でしたら、科警研の設備でも、指紋と同じようにその家だけで作っていると証明することは可能でしょう」
「…―――それだ」
関が突然いう。
「先輩?」
「八年前」
関がいうのに、鷹城が頷く。
「そうだ、…八年前の試料って、どのくらい残ってるんです?」
鷹城がいい、関が頷いていう。
「調べよう。証拠品として保管してなければ、当時の物を掻き集めればいい、それに、今回の件でも、そこまで詳細な分析はしてないはずだ。出荷してないといっていたはずの彼女の家で生産されているものと同じ成分が検出されれば、――――」
そうして立ち上がろうとする関を斉藤が止める。
「おまえ、確か聞いた話ではまだ謹慎中だろ?」
「斉藤!あのな?」
「先輩はここで大人しくしててください。じゃ、橿原さん、よろしくお願いしますね、先輩のこと」
「山下…!おもしろがってるんじゃない!」
立ち上がって怒鳴る関に返事をせずに、山下も斉藤も出て行ってしまう。
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