凄餐の祭壇 翼ある蛇と煙る鏡
宮田秩早
天高く空晴れ渡り/なんでオレらが追われるんだよ
第1話
北アンデスの空は晴れ渡り、朝日に輝いている。
十一月、雨期が終わった大気はほどよく乾いて心地よい。
標高三千メートル、高原都市キトから北へ約五キロ。
山肌に沿うように、一筋、道が通っている。右手は上に聳える崖、左手は下へ切り立つ崖。
五百年前から使われている
ただし、ところどころ崖を
いまでもアンデス交通網、キトからクスコまで一昼夜で直行できるのが売りの基幹道路として、腕の覚えのあるドライバーに活用されている。
また、ここを歩けばアンデスの千変万化の山並みを心ゆくまで堪能できる絶景が保障されているから、健脚自慢の観光客はハイキングしてもいい。ガードレール未整備のため、観光客が車を走らせるのはアンデス広域観光局非推奨だ。とはいえ検問があるわけではないから、絶景を楽しみたいとキトやクスコの街で車をレンタルしてドライブする客はそれなりにいる。そして残念ながら年間、二、三件は崖から墜落する死亡事故がある。余談だが
道幅の関係で乗り入れられない大型輸送貨物車や、身の程をわきまえた行儀のよい観光客用のドライブルートは、ほかに現代になってから整備された『安全な』道路がある。
『新大陸』には『旧大陸』由来の天然痘やジフテリアが、『旧大陸』ヨーロッパには『新大陸』由来の
それらによって、『新大陸』諸国は言うに及ばず、『旧大陸』……ヨーロッパ世界もまた、黒死病以来と言われた人口減少に見舞われたのだ。
『旧大陸』における人口の激減は、侵略の急先鋒であったスペイン、ポルトガルがとくに激しく、イベリア半島を皮切りに、ユーラシア大陸全土において紅く爛れた肌で悶え苦しみ死ぬ人々で溢れた。
ローマ法王はイベリア半島を経由して『新大陸』からもたらされたその病を、神の怒りだと非難。スペインとポルトガルに対し『新大陸』から手を退かねば破門だと脅しをかけた。スペインとポルトガルの『新大陸』での独り勝ち……権益独占を羨望していた近隣諸国も、ローマ法王に同調してイベリア半島の二国を非難する。
勢い、スペインから『新大陸』植民都市への侵略軍の増援は途絶えがちになり、侵略は休戦の様相を呈した。
『旧大陸』諸国同様に、感染症で人口をすり減らし、殺傷力の高い重火器と鉄剣に劣勢を強いられていた
スペイン側について戦っていた帝国の離反部族と和平条約を結び、テノチティトランを
当時、『新大陸』において最強と謳われたアステカ王国戦士の戦闘力を求めたのだ。アステカの民は南米に遷都し、テパネカ王国を建国する。
それだけではない。
ヨーロッパ諸国のうち裏取引できる国と通じて、帝国の金銀を惜しみなく提供する代わりに、『旧大陸』の武器と船、製鉄技術を導入した。
そう――
二十五年の休戦期間に、アタワルパもまた天然痘によって命を落としたが、
一五八九年、
そう、『新大陸』諸国のうち、南米の太平洋側……アンデス山脈の諸国家は独立を死守したのだ。
そして、時が経った。
朝も早いいまは、走る男たちの姿があるのみ。
前にふたり、うしろに七人。
うしろの男たちは前の男ふたりを追っていた。
「だからさ、オレたちなんにも
前を行く男の一人が、うしろの男たちに向かって
「オンナなんてどこに隠してるっつーんだよ。見りゃわかるだろうが!」
喚いた男は二十代なかば。背の高い、痩せた青年だった。
黒っぽい色の開襟シャツに黒のジャケット、洗いざらしのジーンズといった何の変哲もない姿だった。開襟のシャツの胸元には銀色のメタルの鎖が下がっている。
日に焼けた肌、背のなかばに届く褪せた
一点、普通と様相が異なるのは、彼が腰に二本、マチェーテを下げているところだろうか。刃渡り四十センチメートル、鞘に収められた刃。しかしこれとて山の労働者ならあり得ない装備ではない。
腕も足も細いが、鍛えていないわけではなさそうだった。
すぐ前を走る仲間とおぼしいもうひとりと比べて、息の乱れもなく走る足取りも軽い。
しかしその乱れのなさはあまりにおかしかった。標高から言えばこのあたりの酸素濃度は海抜零メートル地点の七十パーセントしかない。
訓練なしに激しい運動などすれば、高山病になる。
彼の前を走る髭面の男は明らかに高山病を発症していて、なかば朦朧とした目つきとふらふらの足取りだった。それでも走る足を止めないのは、追ってくる者たちに対する危機感だろうか。追う者たちのほうもまた、かなり息が上がっている。
追跡者たちは上半身にアステカの男たちが着る毛織りのガウンを纏っていた。ただし下は民族衣装の下帯ではなく半ズボンだ。靴は軍用の登山靴を履いている。
実用性重視のスタイルと言えた。
ヒュッ
大気を切り裂く音がした。
マチェーテの青年の頬に一筋、血の筋が浮く。
うしろの男たちの一人が、ちいさい弓で狙ったのだ。
青年はその頬の血を
「ひでえ、即死の毒矢ときたか。オレでなきゃ死んでるっつの」
青年は前を走らせていた仲間を
青年の仲間はがっしりした体格で、肌の色は青年より薄い。明るい茶色の髪は短く、おなじいろの顎髭を生やしている。ズボンはマチェーテの青年とおなじよれよれのジーンズだが、白い開襟シャツはこざっぱりしていた。背にはあまり荷物の入っていないと見受けられるリュックを負っている。
「オリエ、穏便に」
指示された男は喘ぎながらそれだけ言って、右に
そこは切り立つ崖が途切れ、上に向かう道が続いていた。
廃鉱に続く古い鉱山道のひとつだろう。
「そりゃ無理だよ、レオニード」
右に逸れた男には、オリエのその言葉は聞こえていない。もちろん、オリエも聞かせるつもりはないのだ。青年は走る足を
「まったくクソ
青年はマチェーテを引き抜いた。
凄餐の祭壇 翼ある蛇と煙る鏡 宮田秩早 @takoyakiitigo
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