第15話
十五
家康と共に、氏政は僧体と成り小田原の城を遥かに眺める場所にいた。
「…江戸に入るには、急がねばならん。すまぬが、この小田原での供養も、…八王子他の城へも、いまはいかせてやることができぬ」
遠く参陣した折りに眺めたと同じ小田原に対陣する位置で、遠く海をきらめく背景としてある美しい城を、その姿を前にして家康が云う。
背に立つ氏政がどのような表情で、視線で小田原を、否、おのれをみるのかがおそろしく、振り向けずにいる家康だが。
ふと、和むようにして微笑む氏政の気配に、やはり瞳を向けずにはおられずに振り向いていた。
「…―氏政、…」
「すまぬな、家康、…」
穏やかに小田原の城を、その地を眺め慈しむようにして輝く海を背景とした城を眺める氏政に。
おぬしは、…―――。
言葉に出来ずに、唯家康が氏政を見つめる。
戦を開き、城を治め、最期にはその城を開城した。
己の、北条を滅びに至らしめた愚かな決断の数々がそこにある。
「…氏政、…―――」
一歩、家康に視線は向けず、しずかに氏政が歩を運ぶ。
家康が凝視する隣を歩き、同じ位置に並びその巨大な城の、或いは巨大な城を護る為に築いた長大な構えをみると、視線を巡らす。
「おろかな話よ。わしは、勝てるとは思うておらなんだ」
「…氏政」
その横顔を見つめ、隣に立つ家康が何を言葉にするのかと凝視する。その視線を意識もしていないように、氏政が黒瞳を遠く海へ、或いは城近く築いた水堀へと向けて微笑む。
「…――氏政、貴公」
「家康、わしは確かに間違った戦をした」
「…何を、間違っていたというのだ?」
訊ねる家康に微かに微笑む。己の愚かさをはっきりと鏡に写し取ったようにして感じ取りながら。
「…戦を始める刻に、そなたは何をする?まずは、勝利する算段を行うであろう。…わしはそこを間違った。氏照が北に当たり、氏規が東に当たり、氏邦が、…―――なれど、兄弟達に命じながら、わしは、…上洛の算段まで行いながら」
ふと視線を伏せて氏政が言葉を切る。
そっと、手にした氏照の遺髪を入れた経筒を、懐より取り出して慈しむように手において。
「それは、…もしや、氏照殿の」
家康の言葉に無言で肯う。そっと伏せた黒瞳に哀しみとも昏い嘆きともつかぬ風が吹いたように。
無言で手のひらに置いた経筒を眺めて佇む氏政に、家康もまた言葉にせずに隣に、海からか吹く風をしばし受けて共にあった。
無言で隣に在る家康が見つめる先で、氏政がそっと経筒を握り、瞳をとじた。
「…家康、…――」
「うむ」
視線を向け応える家康に氏政が視線をあげ、小田原の海を見つめる。
誇り高い黒瞳の持つ輝きに、家康が我を忘れて思わずも目を奪われる。
顕かに白く波立つ海を、遥かに遠い彼方にまで続く海を氏政が見つめる。
手にそっと、経筒の錦が遠い海よりの光を返すことを知らぬように無心に持ち。
――氏照、…――。
「わしは、愚かであった。敵わぬと思いながら戦を進めたのじゃ。家康、けしてそのように戦を行ってはならぬ。…わしのように愚かな戦はな、…。おぬしが行うなら、必ず勝つと決めて行え」
「…いわれずとも」
戸惑いながらも、そう応える家康に、振り向いた氏政が黒瞳に、ふと微笑みを乗せる。
「…う、氏政?」
驚く家康に、瞬いて見返して。
「どうした?」
「い、いや、…如何した、もこうした、も、…いやつまり、…―――つまりだな、その、…」
「何を申しておる。行くぞ」
「…い、いくのか?もういいのか?…――いや、だからつまり、」
先に踵を返し、さっ、と衣を返して歩を進める氏政に家康が慌てて後を追う。
「…まて、…――!いや、そのだな!おい!」
「はやくせねば、江戸に着く刻には日が暮れるぞ」
「い、いまからいかに急いでも今日中には着かん!」
慌てて家康が氏政の後を追い、坂道を急ぐのに。
控えていた家臣が家康を見て顔をあげるのに、慌てて頷いて、警護を先に行かせる。
「まて、…!こら!、う、…天海!足がはやい!」
氏政と呼び掛けて、慌てて天海と呼び直し、その背を追う家康である。
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