嘘と気遣い

紫苑

第1話

 本当は気づいていた。

 もう二度と、彼女に会えないことを。


 それは、僕が中学三年生の時に起きた出来

事だった。



「おばさん、沙那の様子は……」


「ごめんね。まだ体調が良くならないみたいで」


「そうですか……これ、今日のプリントです」


「いつもありがとうね」


 僕はおばさんにプリントを渡す。半年前に始まり、今もこのやり取りは続いている。


 藍原沙耶は僕の幼馴染で、幼稚園の頃からずっと一緒だった。休みの日も一緒に遊んだりしていたから、会えない日が続いていることに、虚しさを覚えていた。


 ――そこまで体調が良くならないなら、一度病院で診てもらったほうがいいのでは……?


 そう思った。

 けれど、家庭の事情に幼馴染だからといって、口を出してはいけない気がした。だから、僕はそれを口には出さず、心の中に留めた。


「おばさん、元気になったらまた遊ぼうって、沙那に伝えてもらってもいいですか?」


「ええ、もちろんよ。いつも気にかけてくれてありがとうね」


 話もそこそこにし、僕は会釈してから隣にある自宅へと戻った。


 僕は階段を上り、自室へと戻る。

 カバンをそこら辺に置き、ベッドにダイブする。ずっと、沙那のことが頭から離れない。


 横を見ると、沙那の部屋が見える。カーテンが閉じられているため、中は確認できないけれど……何となく、沙那はまだ生きているのだと思った。


 おばさんからは風邪だと伝えられていた。僕にうつしてしまってはいけないからと、会うことは出来ていない。人間だから、体調を崩すことは誰にでもある。僕は楽観的に考えていた。少しの日数耐えれば、また沙那と話せる。そんな甘い考えをしていた。


 けれど――


 ある日突然、ずっと感じていた沙那の気配が……途絶えた。


 僕は慌てておばさんと母さんに訊ねた。


 おばさんは「まだ体調が良くならなくて……」と言い、母さんは「また元気になるわよ」としか言わなかった。


 違和感を覚えながらも、僕は必死にその考えを頭の隅へと追いやろうとした。


 体調を崩している。

 また元気になる。


 そんな彼女たちの嘘を、僕は信じた。また沙那と沢山遊びたいから。だから気配を感じなくなった後も、プリントを届け続けた。


 気配を感じなくなって一ヶ月が経った。その日は卒業式で、皆は別れを惜しんで泣いていた。僕の瞳から涙が零れることはなかった。哀しくない訳では無いけれど、沙那と一緒に卒業式を迎えたかったという気持ちの方が、強かったから。


 卒業式が終わり、僕はそのまま寄り道せずに沙那の家に向かった。


「おばさんいるかな……」


 インターフォンを押すと、おばさんが出てきた。


「あら、卒業式は終わったの?」


「ええ、終わりました。これ、沙那に渡してください」


 僕はバッグから卒業アルバムを取り出す。今日がきっと、僕が沙那の家に何かを届ける最後の日。


「――卒アルの写真……1、2年の時や体育祭で沙那が笑っているものがあるので、後で一緒に見てもらえたらなって」


「わざわざごめんね」


 そう言って謝るおばさんの表情が、暗くなった気がして、僕は内心慌てる。


 けれど、僕は意気地無しだから、それに気付かないふりをして、その場を離れようとする。


「それじゃあ、僕はこれで――」


「あ、ちょっと待っててもらえる? 渡したい物があるの」


 そう言うと、おばさんは家の中に戻っていく。ここで自宅に戻れるほど、僕は薄情じゃない。大人しく待つ。


 しばらくすると、おばさんが何かを持って出てきた。


「これ、沙那から」


「えっ……これって……」


 渡されたそれは花だった。ひとつは黒いチューリップ。もうひとつは――


「シオンという花らしいわ。卒業式の日に、あなたに渡して欲しいって頼まれたの。会わせることは出来ないけれど、受け取ってほしい」


「――分かりました。ありがとうございます」


 僕はお辞儀をし、家に帰った。


 嫌な予感がした。シオンという花は知らなかったけれど、確か黒いチューリップって……


 僕は階段を駆け上り、急いでスマートフォンで検索する。検索した内容を見て、僕の手は震える。


 本当は気付いていたんだ。沙那の気配が無くなったあの時には。ただ、認めたくなかっただけ。だって認めてしまったら……沙那が離れてしまうような気がしたから。


「……っぁ」


 僕は声を押し殺して泣いた。

 全てを悟った瞬間、卒業式で流れなかった涙が溢れるように流れた。それは止まることを知らなくて、僕は目を腫らすまで泣き続けた。



 それから一年が経った。高校生になると不思議と女子から告白された。だけど、僕はいつもそれを断った。どうしても、誰かと付き合おうと思えなかった。


 だって、僕は今も昔も――


「ねぇ、沙那……また君に会いたいよ」



 ずっとずっと、僕の心に穴が空いていた。これを埋めてくれる人は一人しかいない。


「僕がそっちに逝ったら……また、一緒に遊んでくれるかな」


 次の日の朝、不穏な報道が流れる。

 アナウンサーは言った。


「男子高校生の遺体が発見されました」










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嘘と気遣い 紫苑 @sion0624

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