別冊・もう一つのビター
yuki
ひとり立ち
暖かかった拓実さんの家から自分のアパートに戻ると、なんだか気分が沈んだ。
狭いから?
散らかってるから?
なんか空気が籠ってるから?
今からやることが沢山あるから?
『スーたん、面倒くさがらずにすぐやるんだよ。
後回しにする程面倒くささ100倍だよ』
家を出る間際、拓実さんから与えられた言葉。
涙の居候解除の最後の言葉がこれ。
額に入れて飾っておきます。
私は拓実さんのことが好きだと思っていたけど、もしかして恋愛の好きとは違ったのかな。
もうなんだか自分でもよくわからない。
「さ!やるか!」
いつまでもくよくよしない。
今の私に出来ることはひとつよ。
寝床作らねばーー!
外はあいにくな曇り。
でもきっと干さないよりはマシなはず。
うちの狭いベランダにマットと掛け布団を引っかける。
マットレスは立てる。
「おっもーー」
そしてクイックルワイパー。
今ようやくわかった。拓実さんか布団乾燥機持ってた理由が。
あれやるとカラッとして気持ちいいんだよね。
雨の日続く時とかやってたな。
お金貯めて買おう。
座布団やクッションも狭いベランダでパンパンして、床は綺麗にクイックルワイパー。
シャワーしか使ってなかったお風呂も洗い、とても使う気になれない残っていた調味料は処分した。
「さ…この勢いで買い物に…」
頭痛くなってきたけど気合いで買い物に行かないと。
今夜食べるものない。
ブルブルッ
「寒い」
体温計っていくらするのかな。
買っておこうかな。
拓実さんが食べさせてくれてたおかげで、今現在お金は困ることはない。
バイト代はほとんど使わずにそのまま口座にあった。
そして財布の中にはおとといくれた生活費が3万もある。
「あ」
もしかしてこれも拓実さんの優しさ?
居候やめること、きっともう決めてたよね。
なのに3万もくれたんだ。
ウルウルウル
だめ!泣かない!もうくよくよしない!
買い物行こう!
買い物に行き、部屋を整え終わった午後、熱はまた上がった。思ったよりは安かった体温計でファースト測定すると、熱は38度を超えていて、曇ったお外に干していた布団をいれて寝込んだ。
幸い、光輝が山ほど買ってくれた薬があったから、お母さんに聞いてイブを飲んだ。
拓実さんを思うと涙が出て、光輝を思っても涙が出た。
自分の心変わりにも涙が出る。
これはおそらく自己嫌悪。
拓実さんと暮らして、拓実さんを好きだと思ったし愛おしいとも思った。
なのに簡単に光輝に落ちてしまった自分。
それは光輝を好きだってことだよね。
あの頃の感情や思い出が溢れ出て止まらない。
今の光輝は、あの頃よりちょっと痩せた感じ。
そしてあの頃よりも
優しくて柔らかく私を包み込むような空気を放った。
だけどそれは拓実さんにも言えること。
最初から最後まで、あの太陽みたいな明るさと優しさに、私はどっぷりと包まれていた。
そして熱のせいなのか、一旦美来くんも登場させてみる。
マジありえんやったな。としか思えない。
まぁそれにある意味どっぷり包まれていましたけどね。
だけど支えられたのも確か。
「あれに支えられたって私どういう…」
いくら寂しかったからとはいえ、なんか今思い返すとあの期間は暗黒期だわ。
「あ…そっか私」
ずっと誰かに頼ってるんだ。
初恋だった光輝は、恋のテンションでちょっともうあやふやなとこがあるけど、あの頃の私は光輝なしではいられなかった。
好きで好きで毎日が光輝一色。
そして暗黒の大王だったとはいえ、美来くんがいなかったら大学行けてなかったかもしれない。
暗黒大王から助けてくれた拓実さん。
その後はご存知の通りおんぶに抱っこ。
熱が眠りに落とそうとする頭の中で、そんなことをぐるぐると考えた。
「んーーーー…!」zzz
なんかスッキリしてる!
翌朝スッキリした私は、張り切って大学へ行った。
「あ、おはよ
大丈夫?治った?」
音楽学部の棟の前で、クリスマスコンサートを一緒に弾いた根岸さんに会った。
「うん、なんとかね」
「うちのパパが青井さんのこと褒めてたよ」
「え!指揮者のパパが?!」
「可愛いって」
「なんだ、ピアノじゃなかった」
「可愛い雰囲気がタイプなの、うちのパパ」
お父さんとそんな話するんだ。
うちのお父さんのタイプとか知らない。
「仲良いんだね、お父さんと」
「指揮者だし家柄的にも厳しそうに見られるけど
家ではノリが友達」
「へぇ〜いいねなんか!」
一緒に靴を履き替えて階段を登る。
そうして今年最後の授業へと到着した。
「あ、そこあいてるよ」
え?
根岸さんは友達もいるし、私は講義室入ったとこで別の席へ行こうと思っていた。
「何よ」
「あ、いや」
根岸さんが指した先の席に並んで座った。
いつもつるんでる2人が目を丸くしてこっちを見る。
変な汗が出る私。
「気にしないで」
「私一人で全然平気だからあっち行っていいよ」
「いいの、離れられてすっきりしてるから」
え?
仲悪かったの?
ちょっと前に拓実さんと天城ちゃんで合コンしようとはしゃいでたじゃん。
あ、そっか!
紹介してほしくて私のとこに?
「ごめん、もう別れちゃったから
紹介するとか無理だよ?」
ん?終わったから紹介出来るのか?よくわかんない。
「や、別にそんなんじゃないけど、別れたの?
この前の薬の彼?」
「たまにお昼一緒に食べてる人」
「そっちと付き合ってたの?」
「付き合ってはなくて」カクカクシカジカ
待って。
私いつの間にか同級生と恋バナしてる。
「ふ〜ん
じゃあその光輝って彼のとこ行けばいいじゃん」
「考えたんだけどね
一人で色々と頑張ってみようと思って。
気持ちも整理したいし」
「一緒、私も一人でいいやって思ったとこなの」
「彼氏?」
「友達」
この人、こんなに可愛く笑うんだ。
「青井さん見てたら
無理に友達しなくてもいいかもって思ったの」
そう言って見た視線の先。
この前まで仲良さそうだった2人が、ひそひそしながらこっちを睨んでた。
「あの子たちは私っていうブランドが好きなだけ」
そんな台詞一度言ってみたい。
「友達に気を使うより
ピアノに集中しようと思って。
じゃなきゃ青井さんなんかに追い抜かされるわ」
拓実さんの顔が浮かんだ。
初めてお酒を飲んだあのカラオケで、拓実さんは同じようなことを言った。
「じゃあ私たちおひとり様仲間だね」
私は初めて、この殺伐とした教室の中に、居場所を得たように思った。
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