第4話「いざ森へ」

 薄暗く寒い室内、目の前の階段を後ろ向きに落下する少年へ、オレは精一杯に手を伸ばした。

 指先が触れ、微かな希望が見える。

 このままオレ自身も床から足を離して仕舞えば、きっとこの手はあの細い腕に届くだろう。

 けれど、オレにそんな勇気はなかった。

 限界まで伸ばした手は届かぬまま、少年の身体はまっすぐな階段を転げていった。



 頬に何か固いものが押しつけられるような感触に、オレは目を覚ました。



「おはようございまーす」



 目を開けると、顔面蒼白の顔が1つ。

 鼻の先端が付きそうなほど近くで、ガイアがオレの顔を覗き込んでいたのだ。

 寝起き1発目ということもあり、衝撃的な光景に驚いて飛び起きたオレの額がガイアを吹っ飛ばした。



「うぎゃっ」



 ガイアは鈍い音を立てて木の幹に激突し、そのままドスンと地面におちた。

 何してんだアイツ!

 寝起きにガイアのドアップは流石に心臓に悪すぎる。

 …だけどコレは少し悪いことをしたかもしれない。



「…ごめん、大丈夫?」


「ダイ…ジョブ…」



 ぶつけた衝撃で片方の鼻から血をらしたガイアがふらふらと起き上がり、不安定な飛び方でオレに寄ってきた。

 割とダメージが大きかったようで、こころなしか星が飛んでいるように見える。

 さっきのはただの夢か。

 …夢の中でさえ助けられないだなんて、本当に情けない。


 下に敷いていた布をたたんでカバンへしまった後、改めて昨日購入した剣を開封した。



「「おぉ〜」」



 黒い柄を両手で握りしめて日の下に晒すと、鼠色ねずみいろの輝きがより際立つ。

 ホンモノというのはやはり迫力が違う。

 レプリカでは感じられない輝き、におい、重厚感。

 カッケェ…。



「ね、ね、振って見せて!」


「よーっし」



 人生初の剣を構え、試しの一振り。

 袈裟けさをなぞるように斜めに空を切ると、重い刀身が勢い良くビュンと鳴った。

 この音!

 いや〜たまんないなぁ!

 なんだか一気に強くなった気分だ。

 しかしながら刀身が重いせいか、かかる遠心力も大きなって危うく手を離しそうになった。



「おっと…」



 その様子を見ていたガイアはオレの手元を覗き込み、前腕部の膨らみをジロジロ見つめてからプッと小さく吹き出した。

 そしてまるでオレの細い腕を嘲笑するかの如く「賢吾〜握力ないねぇ」と言ってのける。



「んな!う、うっさいな!鍛えりゃイイだろこんなの!」


「う〜ん、でも戦闘中に放しちゃうと危ないな」



 確かに、このままじゃ戦いの途中でいきなり自ら丸腰になるという、とてつもなくダサいことになりかねない。

 今から筋トレをしても数時間で出来上がってくれるほど筋肉は優秀じゃないし、どうしたもんかなぁ…。

 すると、ガイアが何かを思いついたのか、側に落ちているひもを器用にくちに咥えて持って来て、オレへ投げつけた。

 アイツ見えてないのによくできるな。

 彼女が持ってきたのは、剣を購入した際にそれを包む布を縛っていた紐。

 まあ、紐というよりも布の切れ端に近いが。



「コレで手ごと縛っちゃえば?」


「あ、それ良い」



 割といいこと言うじゃんかコイツ。

 オレは右手と剣のを紐で縛り、もう一度振った。

 引っ張られはするものの、剣が飛びそうになることはない。



「うん、良い感じ。少しキツめだけど、これなら離さないな」



 紐を一度解いて剣を鞘に戻すと、オレは武器屋のおじさんがサービスとして付けてくれた剣帯を装着した。

 一人称視点から見ても分かる、このかっこよさ。

 やはり学ラン。

 学ランは何と合わせても良い。

 ひとまずコレで準備は完了だ。



「いい感じだね。ヨシ、じゃあ最後の仕上げといきますか!賢吾上向いてー」


「上?」



 上なんて見て何があるんだ?

 オレが言われるがまま真上を向くと、ガイアがオレの喉めがけて息をフッと吹きかけた。

 その時



「アッツ?!」



 息のかかった部分に一瞬、まるで熱々のアイロンを押し当てられたかのような感覚が走った。

 あまりの激痛に喉元を押さえて悶絶するオレ。



「ゲホゲホッ…お、おっま、何したんだよ!?」


「魔術かけたの。時間制限付きだけど、コレで君はこの世界の言語が話せるようになったよ」


「はあ!?え、いまさら!?」



 なんだって?魔術?

 こんな魔術があるんだったら、昨日の町でのオレの苦労はなんだったんだよ!



「いやぁ忘れてたわけじゃないんだけど、賢吾ってまだこっちのことよく知らないからさ、ボクのペースでやった方が都合がいいかな〜って」


「だからって…お前なあ!」


「よっし準備オッケー!早速向っちゃいますか!」



 コイツ…会話をする気がまるで無い…。


 オレたちは服屋のお婆さんに渡された地図を頼りに、畑を荒らすゴブリンがいるという森を目指した。

 幾分いくぶん地形を理解していないので、一度町へ行ってから地図通りに進んで行くしかなかったのだが幸い地図のに記してあった目印はわかりやすいものが多かったので、たいして迷うこともなく森へ着けた。


 森の入り口近くには小さな集落があり、洗濯物や家畜の様子からあまり活気は感じられないものの、しっかり生活感がある。

 いくつかの畑が見えるが、作物だったであろうものが周りに点々と散乱しており、遠目から見ても荒らされていることがよくわかった。

 ゴブリンたちも生き抜くため、しかしそれでオレたち人間が飢えてしまえば元も子もないこと。

 彼らには悪いが、やはり追い出すしかない。



「準備は良い?」


「もちろん」



 意を決して、オレたちは森へと足を踏み入れた。

 森の中はジャングルとまではいかないが、何となく陰湿な雰囲気が漂っている。

 樹海というかなんというか、いかにも”魔物”が住んでいそうな…。



「とりあえず川を探してみよう。ゴブリンだって水は飲むからね、何か痕跡が、もしくは近くに巣穴なんかがあるはずだよ」



 この深い森の中で川を探すことがどれだけ大変なことか。

 あの集落は水を井戸から汲み上げているらしく、外から川を辿ることができないため、河川捜索は困難を極める。

 根気よく行こう、根気よく。





 舐めてた、現実を。

 どれだけ進んだのだろうか。

 体内時計では2時間ほど歩いているが、川は一向に見つからない。

 オープンワールドRPGの感覚で、長くても30分歩けば見つかるもんだと信じきっていたのに、まさかここまで見つからないとは。

 湿気と学ランのせいで気温が高いわけではないのにすごく汗ばみ、シャツの中のインナーはすでにびしょ濡れ。



「賢吾、大丈夫?」


「ノド渇いた…」



 そういや、朝から水分を摂っていない。

 死ぬことは無いが、このままじゃ脱水症状で動けなくなってしまう。

 …そういや、飯も食べてないなぁ。

 頭がボーッとしてきた、そろそろやばいかも…。

 そう思った矢先、ベシャリというなんとも不快な音と共に、オレの頭が突然濡れた。

 しかしソレは水分被ったというよりかは、何かが頭上で潰れた感覚に近い。

 そしてほんのりと甘い香りがする。



「な、なんだ…?」



 頭上に手を伸ばして物体を見てみると、紫と牡丹ぼたん色の果実のようだった。



「あー!賢吾、コレ”アケモモ”の実だよ!」



 ガイアが身を乗り出し、興奮したように言う。



「アケ…モモ…?」


「糖分がとっても多くってね、乾かすと保存食で重宝できるんだよ。丁度朝ごはんも食べてないし、休憩して食べようよ!」


「そうしよう…!!」



 思いがけず食料発見!

 不幸中の幸いってやつか、ラッキーなこともあるもんだ。

 オレは早速木に登って、たっぷり熟れたアケモモの実を2個ほどもいだ。

 木登りなんて小学生以来だってけど、案外体が覚えてるんだな。

 かじってみると、確かに甘味が強い。

 綿あめにレモンの酸味を混ぜたような、フルーツというよりかはスイーツに近い味だ。

 思ったよりも果汁が多くて、首を伝った果汁が学ランの襟に大分ついてしまった。

 糖分の高い果汁が顔にも服にも付いた。

 相当ベタつくぞコレ……。

 ちなみにガイアはというと、木になっているものをそのままかじっていた。 

 食べかカスをこぼしていないし、果汁もあまり垂れていない。

 さては貴様、手練てだれだな…!?


 休憩して少したった頃、果汁で濡れた服が乾いて、ひどくベタつき始めた。

 そういえば、頭にも被ってたよな…。

 そっと髪をでてみると案の定、毛が強く手に引っ付くほどにベタついている。



「風呂入りたいぃ……」


「運が良いのか悪いのか。川見つけたら洗おうね」



 喉も潤い腹も満たされた。

 非常食としてアケモモをいくつかカバンに入れ、オレは出発の準備をする。

 実は枝ごと千切って布で包んだので、潰れたとしても犠牲ぎせいは布だけで済むだろう。



「よし。行こうガイア………ガイア?」



 返事が返って来なかった。

 辺りを見回す。

 だが、どこにも姿は見当たらない。

 ガイアがいなくなった。

 その瞬間、なぜかオレの中にとてつもない焦りと不安が押し寄せ、脂汗がブワァっと出た。

 急いで辺りを探す。



「ガイア!ガイア!!」



 木の上か、草むらの中か、そこのしげみか、もっと奥か、もっともっと奥か、もっと…



「ちょっとー!どこ行くのー?」



 背の方から声がして振り向くと、そこにはガイアがいた。



「ガイア!お前どこにいたんだよ!」


「あ〜ごめんごめん、良いもん見つけちゃって。」



 そう言うと、ガイアは「ここ見て」とオレの反対方向のしげみを指した。

 近くに行ってよく見ると、落ち葉におおわれたかすかな一本の隙間があった。

 しかもそこだけ木や草が避けるように生えていた。



「これ、獣道けものみちか!」


「そう、森に自生している果実を食べるのは大体が動物だからさ。アケモモは匂いが強いし、まあ来てるよね。臭い的にイノシシかな」


「そこまでわかるのか」


「まあねぇ」



 ガイアが胸を張って得意そうに言った。



「この獣道、水場に繋がってるかもしれない。可能性は低いけど、試す価値はあるよ」



 悩むことは無い。

 低いと言ったって、このまま闇雲やみくもに森を歩くよりもずっと可能性が高いじゃないか。

 もしハズレでも、そこにはまた違う場所へつながる獣道があるはずだ。



「行こう!」



 そう言ってオレたちは獣道を進んだ。

 今まで道と言える道が無かったので、向かう場所へ道が延びているというのは、迷う心配がなくて助かる。

 獣道は別れることなく、ずっと一本だった。



「あ!水の音だ!」



 少し歩いた頃、ガイアがそう言って加速し、オレも走った。

 先には暗い森の中、強い日の光が指すひらけた場所が見える。

 しげみを抜けると、がけの下比較的低くに広い河原かわらがあった。

 やっと見つけた。

 ザアザアと絶えず流れる水の中に、キラキラと黒光りするものが見える。

 魚だ。タンパク質だ…!



「今はゴブリンはいないみたいだね。時間もまだお昼前だし、体洗っちゃおう!」



 そう言ってガイアは川に飛び込んだ。

 みたところ深さはひざくらいだろうか。

 ガイアが水面を出たり入ったり、イルカみたいに跳んでいる。

 この浅い川の中でよくできるな。

 でも気持ち良さそうだ。

 オレも上半身裸になり、ズボンをたくし上げて川に入った。

 あーーめっっっっちゃ気持ちーーーー

 そのままかがんでで頭をつけ、洗った。

 自然のシャワーと言うべきか、水流がオレの髪にこびりついた糖を少しずつ溶かしていく。

 贅沢ぜいたくをいえばシャンプーが欲しいけれど、コレはコレで水風呂みたいで気持ちがいい。

 先ほどのベタつきが嘘のように髪はサラサラになった。


バッシャーッ


 突如、オレの背中に大量の水がかかる。

 オレは「わあっ」と情けない声をあげて転びそうになった。



「えへへ〜隙あり〜!」



 後ろを見ると、ガイアがニヤニヤしながらこちらを見ていた。

 コイツ〜、ってかどうやって水飛ばしたんだよ。

 やられたらやり返せって言うもんな。

 遠慮はしないぞ。



「コノヤロー!」


「キャハハッ」



 水浴びを終えた後、オレたちは川上へと歩いた。

 登るにつれて崖が高くなり、川の流れも少しばかり急になっていく。



「賢吾、あれ」


「!」



 少し歩いた頃、高さ3mほどの大きな洞穴ほらあなを見つけた。

 周りには崖から崩れ落ちてきたであろう大岩が複数転がっており、そのいくつかは綺麗に真っ二つになっていた。

 終わりが見えないほどに暗く深い洞穴の入り口には、血と植物の破片はへん散乱さんらんしていた。

 上を見ると、入り口を隠すように垂れ下がっていたであろうツル植物たちが、まるで刃物でも振り回したかのように無残に切り裂かれていた。

 なんだろう、この違和感は。

 足元に広がる血痕けっこんは、洞穴の奥へと一本の道を描くように続いている。

 奥を覗こうと目を凝らしたその時、洞穴の奥からかすかに、低いうなり声のような音が聞こえた。



「何かいるね。確実に」


「ああ、しかも結構凶暴きょうぼうそうだ」



 いよいよ仕事が始まる。

 “ゴブリンの群れを退治する”ただそれだけだ。

 それだけだが、何せ初心者。

 素人しろうとには雑魚敵相手でも一刻いっときの油断が大きな命取りとなる。

 最も、ガイアいわくオレは不死身らしいが。


 改めて気を引き締め、洞穴へ足を踏み入れようとしたその時、ザリッザリッと砂利じゃりを踏みしだいて歩く音が聞こえた。

 音は徐々に大きくなり、次第に漆黒の中にシルエットが浮かび出されていく。

 若干前屈みな姿勢でガニ股歩きをしたそれは、鼻息を荒くしてこちらに迫って来る。

 オレが腰の剣に手を伸ばしたその時、シルエットは完全なものとなった。

 体中傷だらけでくすんだ緑色のソイツは、血走った黄色の目でこちらをギロリとにらみつける。

 ゴブリンが現れた。

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