episode 1

第1話

「お先に失礼しまーす。」


控えめな声が不意に聞こえた。


2歳年下の同僚が遠慮がちにこちらに小さく会釈している。


気まずそうな雰囲気を醸し出しているのは、パソコンと睨めっこしたままの私の表情のせいだろう。



「ああ!はいっ、お疲れ様です。」


慌てて眉間のシワを伸ばし、笑顔を作ると同僚も同様に笑顔を返してくれた。



時計に目をやれば、とっくに定時から3時間はたっていて、オフィスに残る人間は私1人になっていた。



「はぁ…もう少し頑張るか。」



七瀬葵ななせあおい


今年入社8年目になるこの会社でつい先月、部署異動をした。


まだ慣れきれていない仕事をこなすには、決められた就業時間では難しくもあって、定時で帰るなんて夢のまた夢。


おかげでここ最近はこんな日が続いていた。



はぁ…。


やっぱりここの部署は私には少し重荷。


経理部で地道に培った能力のおかげとは言えないほど、全く畑の違う経営企画部に配属されてしまった。


男性の多いこの部署で一体私に何ができるのだろうか。



あぁ、早く帰りたい。



なんて、家に帰ったって誰もいなければ、用事だって約束だって何もない。



29歳にして、いまだ独身。


なんなら今年30歳になる。


結婚のけの字すらもまるでない。



すっからかんになってしまったオフィスをグルリと見渡す。



「…飲み物でも買ってこよう。」


小さく息を吐きながら、私は席を立った。

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