いつかの英雄の序章

 それは、全くの偶然だった。

 アカネは一度、確かに死んだ。だがその身体はある一体の神獣の手によって「神獣の使い」として蘇った。神獣とは、神代の時代に地上を支配していた人智を越えた存在たちのことだ。

 アカネが出会った神獣は、王国を生かした神獣と親交のあった個体であり、アカネの境遇を知り、彼女を自らの使いにすることにした。結果、蘇ったアカネは人間ではなく、魔力の塊――つまり魔法に近い存在になった。

 それによって、〈死んだ意志〉の3年の呪いから解き放たれ、再び王国の地を踏むことが出来たのだ。アカネが王国に戻って来たのは、シオンに会いに来たから――ではない。

 〈死んだ意志〉を、打倒するためだ。

 だから、これは全くの偶然。

 シオンがあの本を読み、アカネを思い出し、あの日の場所にやって来たこと。

 アカネが王国に戻り、ミドリに会って協力者を得ようと学院に向かうために、懐かしさからあの日の場所にやって来たこと。

 この2つが同時に起きたのは、真なる偶然。


 しかし、この偶然が後に2人が英雄と呼ばれることになる、その序章になった。



※※※



 シオンとアカネは、あれから寮の部屋に戻り、お互いの存在を確かめ合った。

 それから、シオンの出勤時間になったため、アカネもついていくことにした。魔法になったアカネは自分の姿を自在に変えることが出来たが、普段は人間の姿でいる。アカネのシュシュで髪を一つにまとめたシオンと、かつてと同じツインテールのアカネが並ぶと、アカネが学院に来た日のミドリ先生とアカネを思い出させた。5年が経って、シオンは成長し、かつてのミドリ先生に似た印象さえアカネに抱かせた。

 ばたばたと着替えを済ませたシオンとその隣を歩くアカネが寮を出る時、


「――アカネちゃん?」


 信じられないものを見るような目でアカネのことを見て、乱暴に搔き抱いた寮長との再会があった。「アカネ」を忘れたシオンは、自分が入寮するきっかけになった出来事に整合性を保てず、「教員になってはじめて入寮した」と記憶を書き換えていたのだと、全てを思い出した今なら分かる。

また、


「あれ?シオン先生、その人は……?」

「ふっふーん。わたしはアカネ!シオン先生の恋人だよ!」

「えーっ!!シオン先生、こんな素敵な恋人いたの!?言ってよっ!」

「あ、あの……アカネ、あまり目立つことは」

「えー、いいじゃん!久しぶりに会えたんだし!」


 シオンの教え子たちとの一幕があったりしながら、教員の控室までやって来た。


「……ここに、居るんだね。ヒュッテさんとアレンさん」

「はい。いまじゃ、私の同僚ですが、確かに」


 2人で扉の前で頷き合い、意を決して中に入ると、ちょうど扉の前を談笑しながら歩くヒュッテとアレンが居た。カップに入ったお茶を持ったヒュッテは床にカップを落し、破片とお茶をぶちまけ、授業の資料を抱えたアレンは端正に順番通りにならべた資料にお茶を吸わせることになって。


「……アカネ、なのか?」

「ま、待てヒュッテ。俺は、幻覚を――」

「お久しぶりです!ヒュッテさん、アレンさん!」


 その一言をきっかけに、アレンは涙をぬぐい、ヒュッテはアカネを強く抱きしめた。


「よく、よく帰ってきてくれた、アカネ」

「――はい。戻ってきちゃいました」

「私は、シオンから手紙を受け取った時……怒りのあまりシオンを昏倒させてやろうかと真剣に考えたのだが、2人にも、色々、あったのだろう?」

「――俺とダンが止めていなければ、記憶を失くした後のシオンに殴りかかっていたぞ、ヒュッテは。でも……俺にも、ヒュッテの気持ちは分かる。まあ、とりあえず今は、よく、戻って来たな、アカネ」


 ぎょっと眉を上げたシオンがアレンを見ると、微苦笑を滲ませたアレンがシオンに教えてくれた。


「ヒュッテは、アサギさんとのことがあったからな。どんな事情があったとしても、アカネとの日々を忘れることを選択したシオンが許せなかったのだ。けれど、ヒュッテにとってのアサギさんと、シオンにとってのアカネとでは存在の大きさが違い過ぎる。ロッテとのこともあったから、最終的にはヒュッテも理解していたよ」

「アレンさん、その……」

「今は、アカネとの時間をゆっくりするといい。その様子だと、思い出したんだろう。何があったかは、落ちついた時に聞かせてくれ。アカネに何があったか、もな」

「はい。その、今まで、ありがとうございました」


 アレンに頭を下げたシオンは、その頭を誰かに鷲掴みにされた。驚き、慌てて振り払おうとするが、全く抵抗できない。

 この強引さ、そして手の感触は。


「シオン。私は、君に謝らないといけない。君がどんな葛藤を抱いていたかも考えずに、ただ君を許さなかった私を」

「ちょ、ちょっとヒュッテさん?」


 ヒュッテはがしがしとシオンの頭を撫でながら神妙に呟いた。言っていることとやっていることの乖離に本人は気づいているのか否か、いや、きっとこれが彼女なりの気の遣い方なのだろう。

 それに。


「いいんです、ヒュッテさん。私も、あの時の私を許せないから」

「――というと?」

「詳しくは長くなるので省きますが、私はアカネを思い出す過程で当時の私が何を考えてあの選択をしたのか、客観的に見ることになりました。その選択の痛みが、私は……過去の自分のことですが、許せなかった。それと同時に、きっと自分なら同じ選択をしてしまうのだろうと分かるから、自分の……愚かさが、許せないです」

「愚か、か。二度と会えない相手を想うあまり、忘れてしまいたいと思ってしまうことは、時としてあるだのろうな。だが、それを想う相手にさせてしまうのは――少し、不器用過ぎたな。君も」


 ヒュッテとアレンに諭され、シオンは致命的なことに思い至った。再会を喜ぶあまり、シオンはまだアカネに肝心なことを聞けていない。

 ヒュッテに「そんな状態で今日の授業は出来ないだろう」と言われたシオンは予定を変えて、ハンナたちに会いに行きたいというアカネと教員の控室を後にした。時計塔を後背に、一般棟とを繋ぐあの懐かしい渡り廊下。

 かつて、シオンとアカネ、ハンナとアイリの4人はここに座り、昼食を食べ、そして真昼の流れ星を見た。


「……アカネ。貴方に、聞かなければならないことがあります」

「どうしたの?」

「貴方は、その……私が貴方に、私の記憶を消させたことを、どう思っていますか?」


 それを聞いたアカネは軽く目を見開き、すたすたとシオンの正面に回り、


「いたっ」


 シオンの額を指で弾いた。かなり、強めだった。


「正直、1週間くらい嫌いになってた」

「……あ、アカネ」

「というか、わたしのこと大好きなら忘れる方が辛いでしょ!この不器用真面目ちゃんめ!!」

「うっ……!」


 アカネはシオンのこめかみに指の骨を当てぐりぐりと回し、シオンが涙目になってからようやく解放した。


「でも、わたしはシオンのこと知ってたから。どこまでも真面目で不器用なシオンが、わたしのこと超愛してるから、会えないって知って、それをわたしが隠してたって知って……それなのに、わたしがシオンに近づいたって、知って。傷ついたんだなって。だから、おあいこ」

「……それでも、私は言っては、言うべきでは、なかった言葉ばかり貴方にかけてしまいました」

「うーん……まあ確かに。忘れられるのも、それをわたしがやるのも、トラウマになるレベルだったけど」

「とら……?」

「でも、王国に残したシオンがわたしのことで悲しんでないって思ったら、わたし、ちゃんと戦えたんだ。そのおかげで、今の計画に辿り着けたし、この身体もある。〈死んだ意志〉の呪いからも解放された。だから、まあ」


 アカネはそこでシオンを搔き抱いた。

 努めて明るく話していたアカネの声に滲んだ僅かな雨の気配が、シオンの胸を衝く。


「こうしてまた会えたから、若気の至りってことにしてあげる」

「――っ、アカネっ」


 シオンは再会の衝撃で上手く整理できていなかった感情がついに決壊するのを感じた。堪えようとしても、どしゃぶりの涙が零れて来る。

 ずっと会いたかった、なんて言えない。シオンの5年と、アカネの5年では、互いを想う時間の長さがあまりにも違い過ぎる。

 ずっと謝りたかったなんて言えない。あの時のことを記した本を読んだ今のシオンだから、かつての許しがたい行いを悔いることが出来た。当時はそれしか道はないと思ってしまったから。

 「アカネを覚えているシオン」は実のところ、アカネと別れてから5年の時を経てすぐに再会している。だから、「ずっと」の全てが、自分の口から溢れることに、空虚なものを感じてしまうのだ。

 でも、それでも――


「アカネ、私、貴方に、会いたかった」

「わたしもだよ、シオン。忘れた瞬間なんて一瞬もなかった。シオンだって、、わたしのシュシュ、つけてくれてたでしょ?」

「――!!ぁ、私……貴方を、どこかで想って、いたのでしょうか……」

「きっと、そうだよ。わたしのシオンは、アカネのこと一瞬でも忘れたりしないから」


 どこか、心に欠けたものを感じていたことは、確かで。

 だから、かつて犯した過ちを塗りつぶせるくらいに。


「もう、貴方を離したりしません。愛し続けると誓います」

「――じゃあやっぱりおあいこ、なしでいい?」

「えっ?」

「やっぱりわたしばっかり我慢してたの、ずるいから。しばらく夜は、わたしが満足するまでシオンのこと離さないから」

「……うぅ、わ、わかりました。よ、よろしお願いします……」


 たったそれだけの再会は、ここでようやく、果たされたのかもしれない、と。

 シオンはアカネの腕の中で笑った。



※※※



 ハンナはアイリと共に、アイリの叔母のカフェを継いでおり、ロッテもそこの店員として働いている。ヒュッテが教員である都合、学院から近い職場の方が会える時間が多いから、とのことだ。

 アイリの叔母が経営していたころは、少ない顔なじみが常連として訪れる小さなカフェだったが、5年の間にハンナの仕掛けとロッテのカリスマによって千客万来の賑わいを見せ、シオンたちが放課後たまり場にしていた頃の2倍ほどの広さに増築されている。店員も、ロッテ以外に何名か雇ったらしい。

 そういった背景があり、普段は忙しく会う機会が減ってしまった彼女たちのもとへ、アカネと訪ねると、


「……すみません皆さん。1時間ほど私とアイリ、ロッテなしで回せますか?」

「か、構いませんが、急用ですか?」

「――親友が、帰って来たので」


 手を振るアカネにハンナがものすごい形相で返して来て、視線だけで「店の外で待っていろ」と言ってきた。アカネと2人、やはり営業時間中は迷惑だっただろうかと額を突き合せていると――アカネが、道に吹っ飛んだ。


「アカネさまああああああああああああああああああああっ!!!」

「ちょ、ちょっとアイリ!ずるい!私だって……!」

「はぁ、まったくあの2人は変わったんだか変わらないんだか。で、その様子だとあんた、アカネさんのことやっと思い出したの?」

「ロッテ……今まで、私は皆にどれほど気を遣わせていたのでしょうか」

「うーん、それに関しては多分、来週の休みくらいにダンさんとハンナあたりが皆に召集かけてとことん愚痴を言う会を開くと思うから覚悟しとくといいよ」

「……なる、ほど」

「――でもね、まあ、あんたの味方するってわけでもないけどさ、シオン。私は、あんたの気持ち結構、分かる」


 学生の時は三つ編みおさげの髪型だったロッテは、「給仕の邪魔」とばっさり切って、ショートカットにしている。ヒュッテはこの髪型が、「どうしよう、魅力に際限がない」と評していたが、なかなかどうしてシオンもロッテによく似合っていると思った。

 そんなロッテは、その性格からシオンのことを糾弾してくるだろう、と思っていただけに、意外な言葉だった。


「意外、です。ロッテは、私を責めると思っていたので」

「まあ、私も恋人に振り回された側だし。それに、姉さまに二度と会えないのに、時間が経っていくごとに会いたい想いが強まるのなんて、あまりに酷だと思ったから。忘れてしまいたいくらいの苦痛だろうな、と想像はつく」

「ロッテ……」

「でも、実際に忘れさせたのは別だから。思い出したんなら、ちゃんとアカネさんに謝っときなよ」

「――ありがとう、ございます」

「ふん。お礼ならアカネさんに千回言いなさいな」


 アイリに飛びつかれて、その後から走ってきたハンナにまでもみくちゃにされたアカネの嬉しそうな表情を見られて、シオンはアカネがどれだけ皆に愛されているかを改めて、思い知った。


「……じゃあ私も混ざってくるから」

「うん。アカネも、喜びます」


 アカネは、走ってきたロッテと目が合うと満面の笑みを浮かべ、アイリたちに抱きしめられている状態のまま、両手を広げた。ロッテもロッテで、「アカネさん!」と言いながら飛びつき、もはやアカネの髪はぐちゃぐちゃのぼさぼさになっていた。

 その様子を離れた場所から眺めるシオンは、ふいに隣に並んだ人影に思わず背筋が伸びた。


「――僕は、今でもちょっとシオンに怒ってるよ」

「ダンさん……」

「でもまあ、僕がアレンとのことでまったく同じ状況になったら、もっととんでもないことをしでかしそうだからね。周りが僕に抱いてる印象よりも、実は僕はシオンのこと、責めてない」

「……ロッテにも、言われました」

「へえ、ロッテちゃんが?そっかそっか。お互い、恋人に振り回される立場の弱みかな」


 世間話を省き、そう本音を零したダンは、「アレンが血相変えて僕を訪ねてきたからびっくりしたよ」と事の経緯を説明した。次にシオンとアカネが訪れる場所の見当は、すぐについたと言う。

 その後、ダンとも挨拶を済ませたアカネを連れて、シオンはかなり早いが寮に戻った。昨日から徹夜で本を読んでいたこともあり、どっと疲れてしまったのだ。

 学院生の頃に交流があった面々との再会を終えたアカネは最初から最後まで、とても嬉しそうだった。5年ぶりの再会、ともすれば、シオンよりもアカネを想う時間が長かった者たちだから。


「ねえ、シオン。寮に戻ったら――ね?」

「は、はい。わ、分かっていますよ」


 こうして、再会の初日は幕を下ろし――



※※※



 ――出立の日が、やって来た。



※※※



 あの日、アカネと別れた場所に今、私はアカネと2人で立っている。

 街の側に居るのは、ミドリ先生、ハンナ、アイリ、ロッテ、ヒュッテ、ダン、アレンの7人。みな、それぞれに晴れやかな表情を浮かべてくれている。

 代表して、ミドリ先生が一歩前に出た。


「2人とも、気を付けて行ってきてくださいね。シオン先生は言うまでもないし、アカネちゃんももう、呪いがないのでしょう?いつでも帰ってきていいですからね」

「ミドリ先生、ありがとうございます。その、子どもたちを、よろしくお願いします」

「――ふふ、シオン先生からそんな言葉を聞く日が来るなんてね。の私に聞かせたら腰を抜かして驚きますね。いえ、むしろシオン先生なら教員になれる、と自信満々に返すでしょうか」

「ちょっとミドリちゃん?わたしのシオンにあんま手ださないでよ」

「はいはい、アカネちゃんも、シオン先生の隣で支えてあげてね」

「ふん、当然!それがわたしの生きがいだからね」


 今日、私はアカネと2人で、王国を出る。

 〈死んだ意志〉を打倒するというアカネの計画のために、まずは、アカネを使いにしてくれた神獣に会いに行く。その次に、一番信頼できるアサギさんを訪ねて、計画のことを話せるかを吟味する。

 それから、準備が整ったら、王国に戻って、ヒュッテたちの協力を得て――


「ヒュッテさん、本当にいいのですか?」

「構わないさ。確かに、アサギに会いたい気持ちもあるが、ここにはロッテがいる。だから、もしアサギに会ったら――愛する恋人と幸せになってるって自慢してたと、伝えて欲しい」

「ね、姉さまっ」

「ふふ、分かりました。そう、伝えておきますね」

「シオン?あ、あんまり変なこと言わないでよ?」

「分かってますよ」

「ふん、ロッテ?私の愛が変なことなのか?」

「姉さまは黙ってて!」


 アカネとアサギの力を使えば、ヒュッテを連れて、アサギと会い、王国に戻って来るということも出来たのだが、ヒュッテはそれを断った。そう、学院に来た時はアカネはアサギの力を借りなければ王国に来ることは出来なかったが、今や神獣の使いとなったアカネだ。

 行き来することは、難しいことではなくなった。


「――それじゃあ、行ってくるね、皆」

「どうか、息災で。私たちは、これで行きますね」


 私とアカネは、送りに来てくれた皆に別れを告げる。


「――シオン様!!アカネ様!!どうか、どうかご無事で!」

「2人ともー!ウチに会えなくて寂しいと思うけど、風邪とか引かないようにね!!」


 一番の親友たちハンナとアイリが、私たちが消えるその直前まで、声を張り上げて別れを告げてくれていたから。


「うん、ありがとう2人とも」

「王国から、見ていてくださいね」


 届かないと分かっていても、私たちはそう返したのだった。




 さて、これより紡がれるのは、後の世に英雄と呼ばれるあるカップルの――シオンとアカネの、その戦いの日々の序章である。

 彼女たちの出会いと別れ、そして再会が、「英雄の物語」の始まりに隠されたすれ違う想いの前日譚。その終わりは、これから始まる2人の新たな日々の、始まりである。




「行くよ、シオン」

「はい、アカネ」


 さあ、始めよう。



 いつかの英雄の序章を。








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