第3話 実験室の魔女
〝実験室の魔女〟 。
いつからそう呼ばれるようになっただろうか。
莉央自身もよく覚えていなかった。
気が付いたら、周りが勝手に呼んでいた。
莉央が実験に興味を持つようになったのは、小さい時にテレビ番組で見た子供向けの実験番組だった。
そして何より、理系学者の父の影響が大きかった。
忙しく働いている父の姿や実験の様子などを見ていくうちに自分でもやってみたいと思うようになった。
最初は簡単な実験からだった。食べ物を使った簡単なものから、色々な実験をした。
それから実験が好きになった莉央は中学に上がり、科学部に所属した。
一口と科学部と言っても、〝科学、化学〟があることを初めて知ることになる。
違いとしては、色々とあるようだ。
のぎへんの科学やバケガクなんて呼ばれ方もされているらしい。
高校に入ってからは、参考書を読んだり、自分で部活を作って実験に勤しむ。
もともと、天野ヶ関高校には科学部が存在していなかった。
莉央は入学してからしばらくして、科学部を立ち上げる。
部員は莉央一人。活動内容は、科学に関することや自分が興味関心を持ったことについてひたすらに調べ尽くす。
昼休みや放課後は実験室に籠っていた。顧問である平塚先生からは成績に影響が出なければいいとだけ言われた。
二年余り、そんな生活を送ってきた。学年主席は当たり前。運動も可能な限り努力した。
告白も何度もされた。先輩や後輩、同じ学年の男子。たくさんの異性から数えきれないほど。
でも、莉央には分からなかった。
『人はなぜ、恋をするのか?』
個人的には男女によって性的な差はあれど、〝生きていく〟上では恋はそこまで重要ではないと思っている。
生物学でも色々な考えを持つ学者もいる。
『恋に落ちる、恋をする』とよく言うが、これは生物学的に言えば、脳内の物質が過剰に分泌され、気分が高揚している状態を指している。
脳内の三大神経物質である『ドーパミン』『アドレナリン』『セロトニン』が深く関係している。
誰かを好きになるとドーパミンやアドレナリンが分泌される。これが生物学的には『恋をした・している』と定義されている。
文学的にも『恋は盲目』 『愛は偉大なり』なんて言葉もある。
なぜ、人はそんなにも恋をすることに躍起になるのかが莉央にはどうしても理解でなかった。
様々な書籍を読もうが、莉央の中にある謎は解決されるどころか、どんどん大きくなっていく。学校や街中でカップルを見かけるたび、想いが強くなっていった。
あれは二年生の三学期半ば頃の話だ。私は告白をされた。
「新見先輩、少し良いですか?」
放課後、実験室の向かう途中で後ろから声をかけられた。
顔だけ振り向かせると身長の高い端正な顔立ちをした男子いた。
ネクタイが青色のことから一年生らしい。どこかで見たような顔だった。
「何? 私、忙しいんだけど」
鬱陶しそうに言うが、彼は動じることなく続けて言う。
「少しでいいんです。俺に時間をください」
端正な顔をグッと近づけてくる。確かに女子にモテそうな顔だな、と思う。
莉央は「そんなに近づかないでくれる? 不愉快なんだけれど」
凍てつくような声で、睨むように彼を見上げる。
彼は全く気にしておらず、あっけらかんとしていた。
呆れ果てた、私の手首を掴んだ彼は、「……お願いします」
懇願するような瞳を向けてくる。
莉央は深いため息を吐く。
「じゃあ、ここで話して」
莉央の言葉を訊いた彼は顔を強張らせる。どこかに連れて行くつもりだったようだ。
「どうしたの? 話したいことがあるんでしょ!?」
急かす様に言う。
「えっと、ちょっとここでは話づらいっていうか」
さっきまでの勢いが嘘のように、消極的な姿勢になる。
「そう。用がないなら私は行くから」
踵を返そうとすると、彼が慌てたように言葉を絞り出す。
「待って下さい。言います、言いますから」
やけくそと言わんばかりに大声を出す。
「好きです! 俺と付き合って下さい」
運動系の部活でもやっているのか、彼はよく通る声で言ってくる。
案の定、告白だったかと思う莉央。
端正な顔を耳まで真っ赤にした彼は莉央の返事を待っていた。
「……」
いつものように断ろうと口を開こうとした時、莉央は一つの考え浮かぶ。
もしかしたら、私の疑問を解決するチャンスなのでは、と。
返事を待っている彼に莉央は質問を投げかける。
『キミは私のどんなところを好きになって、付き合いたいと考えているだい?』
表情を変えずに莉央が尋ねる。
彼は考え込むように指を顎に添えて唸る。
この手の質問をするとほどんどの生徒が黙りこくるか、都合の良い屁理屈を言う。
果たして彼はどんな答えを出すのかとしばし待つ。
数秒後、意を決したように口を開く。
「先輩の凛々しさですかね。もちろん、綺麗な黒髪や透き通るような蒼い瞳も好きです。でも、いちばんは自分を貫ける強くてカッコいい姿を好きになりました。」
今までとは違った言葉だった。
飾ることのない素直な気持ち。過去に受けた告白に比べても断トツで相手の誠実さが伝わってきた。
「……そうか」
莉央が続けて口を開こうとした時。彼に制止される。
「良いんです。返事は―――。答えは何となく分かっていたので」
悲しそうに呟く。
「なら、どうして告白なんてしたんだい?」
莉央が訊くとイケメン男子はニコッとして言う。
「俺、学校を辞めるんです。今日で最後だったから、どうしても先輩に気持ちを伝えたくて」
「そう、だったのか」
莉央はバツが悪そうにそっぽを向く。まさか相手にそんな事情があったとは。
「いいんです。これで」
彼は快活に言う。きっとこうなることは予想がついていたのだろう。
その表情は憑き物が取れたような清々しい顔になっていた。
「ありがとうございました。先輩」
深々と頭を下げた後。彼は踵を返して歩き出す。
それから数日が経つ。風の噂で彼が転校したと訊いた。
実験室で参考書を読んでいた莉央。ふと彼の快活な笑顔が脳裏をよぎる。
どうして彼は、振られることが分かっていて告白していたのだろうか。
彼の行動が理解できず、ますます疑問は深まるばかりだ。
莉央の疑問に答えてくれる者はいないのか、と思っていた。
そんな時だった。彼が……助手くんが現れたのは。
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