第三話 診察

「桜木さん、こんにちは。今日はどうされました?」


立冬【りっとう】総合病院に勤める若い内科医師の柊 霜月【ひいらぎ そうげつ】は、診察室に入室する見知った顔の卯月に笑顔で声を掛けた。


「いや。ワシはこの通り、別段何ともないんですがねぇ……」

「それは良かった!」


七三分けの茶髪に四角いフレームの眼鏡を掛けた優しく微笑む白衣姿の霜月にカンカン帽子を取って後頭部に手をやる卯月は、挨拶がてら頭を下げる。ふと、卯月の隣に立つ弥生に視線を向けると、霜月は小首を傾げた。


「おや、その子は……」


眼鏡を掛け直す霜月は、卯月の着ている赤茶色の羽織の裾を掴む弥生を見据えて訊ねる。


「コイツはワシの孫なんですが、今日はこの子を診て頂きたいんですよ」


卯月に背中を押されて椅子に座る弥生は、アポロキャップを脱いで目の前に座る霜月に軽くお辞儀した。


「こ、こんにちは」

「はい、こんにちは。ええっと……」


先程弥生が書いたであろう問診票を見ながら、霜月は弥生に訊ねる。


「桜木 やよいさん……かな?」

「あ、はい」

「今日はサプリメントを飲みすぎたのかい?」

「はい」

「身体に異常とかありますか?」

「えっと、その……」


言い渋る弥生に、卯月は鞄から持ってきたサプリメントの箱を取り出し、霜月に手渡した。


「実は、このサプリメントを飲み過ぎてしまったみたいで……」

「これは?」

「孫が間違えてネットで頼んだモノらしいんです」


箱を受け取った霜月は、説明事項に目を配る。


「女性ホルモン剤ですか」

「それを孫が一回に三粒飲んだらしくて……」


渋い顔で告げる卯月に、霜月はチラリと弥生を見つめた。


「もしかして胸が膨らんだりとかしました?」

「はい……です」


弥生はコクリと頷くと、霜月は納得した様に告げる。


「男性が女性ホルモン剤を摂取すると胸が膨らんだりする事がよくあるんですよ」

「そうなんですか……?」

「えぇ。多分それの影響でしょうね……他に普段と変わった症状はありませんか?」


霜月が優しく問い掛けると、弥生はモジモジしながらも口を開く。


「じ……実はその、シタの方が」

「舌?」

「いや、そっちじゃなくってコッチの……」


そう言って自身の股間に指を差す弥生に霜月は『あーそっち?』と頷いた。


「何かありましたか?」

「それが……無いんです」


弥生が深刻そうに告げると、霜月は一瞬間を置き、それから首を傾げた。


「ええっと?」

「無くなったんです」


顔を俯かせて呟く弥生に『うーん?』と、悩ましげに呻く霜月。見兼ねた卯月がはぁ、と溜め息次いでに口を挟んだ。


「コイツの魔羅が無くなったんですよ」


呆れた顔をして告げる卯月に、弥生は俯いたままビクリと肩を揺らした。


「あー、はいは……」


一瞬頷き掛けた霜月だったが、すぐに正常な思考が顔を出す。


えっ?


無くなった?


魔羅が?


「ええっ!?あの、無くなったぁ!!?」

「……はい」


コクリと頷く弥生に、再度眼鏡を掛け直した霜月は、驚きのあまり目をパチクリとさせた。


魔羅が……つまり、生殖器が無くなる事なんてあるのだろうか?


霜月は慌てて弥生に訊ねる。


「ちょ、ちょっと見せて頂けますか?」


前のめりになる霜月に、弥生が卯月を仰ぎ見ると、卯月は渋い顔のまま頷いた。弥生は立ち上がり、カーゴパンツと水色と白のストライプ柄なトランクスに両手を掛けると、霜月に見える様に引っ張った。


「これは……」


霜月が中を覗き見ると、確かに弥生の生殖器は姿形を消していた。それどころか、弥生の股間は女性の下半身に近い形を成している。


「病院【ココ】に来る前、トイレに行ったらこうなってて……」


弥生が自身の下半身を見ながら告げた。



それは家を出る数分前の事。服を着替えた弥生が用を足そうと入ったトイレで、それは発覚した。


「あれ……?」


いつもの様にトランクスから出そうとした息子が見当たらず、思わず下着をずらしてみると、そこに息子はいなかった。


「う、嘘だろ……オレの、オレのち◯こが無くなったあああああああ!!」


トイレで発狂したのは言うまでもない。


「──────まさか、ほんとに無くなっているなんて……性器の萎縮や縮小は聞いていたけど、ここまでとは」


髪をグシャグシャと手で掻き乱し、霜月は珍しい現象に大層驚いていた。しかしながら、弥生はそれどころでは無く眉を下げて今にも泣きそうな顔をする。


「せんせぇ……オレのち◯こ元に戻りますか?」

「え?ええっと、サプリメントの効果でなっているのは確かですけど……今の状況では何とも」


見た目が女性の下半身になっているだけで別段異常の見られない弥生の様子に、霜月は現時点で判断を下すのは難しいと考えた。


「心配なら検査する事をオオスメしますが……」

「弥生、どうすんだ?」


卯月に訊ねられた弥生は『う゛ー』と唸り声を上げた後、チラリと卯月を見上げた。


「……して貰った方が、良い?」


その瞳には少しの不安が入り混じり、それを察した卯月は弥生の頭にポンッと手を置く。


「せっかくだ。診て貰えば良いだろう」

「じゃあ……お願いします」

「はい!」


小さく頷き、頭を下げる弥生に、霜月は優しく微笑み承諾した。その日、精密検査を数時間に及び行った弥生は、初めての検査にまるでテーマパークの如くはしゃいで卯月に絞られたのは言うまでもない。



後日。検査結果を聞きに再び病院へとやって来た弥生と卯月は、衝撃的な事実に唖然とする。


「検査をした結果、弥生さんの身体はサプリメントによる“後天性性転換症”──────つまりは女性の身体に変わっている事が分かりました」

「えぇ……」


驚きのあまり小さく言葉を漏らす弥生と、検査結果に口を開けたまま呆然とする卯月に、霜月はカルテを見ながら簡単に説明する。


「症状としては、乳房の膨らみや陰茎の縮小。それ以外にも骨格の変形がみられ、胎内には子宮が出来上がっています」

「ひぇ」


変な声を上げる弥生を後目に卯月が口を挟む。


「つまり、孫の身体は女子【おなご】になったと……?」

「はい。おそらくですが、排卵が始まれば妊娠も可能になるかと」

「オ、オ、オレ、女の子になった挙げ句に赤ちゃんも産めるの……?マジで!?」


霜月と卯月を交互に見渡す弥生に、卯月は深い溜め息を漏らして自身の片手で額を押さえた。


「今のところ、この身体による病気や疾患は特に見つかりませんでした。ですが、これから症状が出る場合も有りますので定期的な受診をオススメします」

「分かりました」

「は、はい……」


霜月がカルテを片手に告げると、卯月と弥生は頭を下げた。



病院からの帰り道。卯月と弥生は、近場の蕎麦処に立ち寄った。時刻は昼過ぎ。病院を出てすぐに、腹の虫が鳴く弥生を卯月が仕方なく連れてきたのだ。


「はぁーーー。まさか、ほんとに女の子になってるなんて思わなかったなぁ……」


ボックス席に通された二人は、蕎麦処の店員にメニュー表を手渡され、それに目を通す。弥生は終始テーブルに項垂れながらメニュー表を見つめていた。


「シャキッとせんか!みっともない」

「だってぇぇ」


目の前に座るだらしない格好の孫を叱咤する卯月は、メニュー表から顔を逸しながら告げる。


「全くお前は。度々問題を起こしよってからに……」


卯月は、幼い頃から度々やらかす弥生に終始手を焼いていた。昔から落ち着きの無い弥生は、問題を起こしては卯月に怒られていたのだ。

ある時は、立ち入り禁止の池に落っこちてビショビショになって帰ってきたり。ある時は、ボール遊びをして家の窓ガラスを割って卯月にしこたま怒られたり。またある時は、声を掛けてきた不審者に拐われかけたりと、兎に角色々やらかし案件が多かった。


「次何かやったらスマホ解約するからなっ!」

「うぇー」


反省をしているのか否か。終始ダラケた様子の弥生に卯月は訝しげな顔をする。


「なんだ、体調がすぐれんのか?」

「うーん……」


普段なら怒られた後は反省の色をみせるのだが、弥生は気怠そうに頷くだけだった。


「病院に戻って診て貰うか?」


そう告げる卯月だったが、弥生は首を振りメニュー表を置く。


「いや、大丈夫」

「そうか?」

「うん。それに、先生言ってたじゃん?ホルモンがウンチャラだから暫くアレするって……」


霜月曰く、女体化した事により暫くはホルモンバランスの乱れによる体調不良が起こると話していた。これは女性に多くみられる傾向にあるらしく、女体化した弥生に起きても不思議では無い事だった。しかしながら、弥生は『へぇー。女性って大変なんだなぁ……』と何処か他人事の様に聞いていた。


「だから大丈夫だって!いざとなれば大海老天ぷら蕎麦でも食って精をつければ治るだろうし?」

「ちゃっかりしてるな……」


この店で一番高いメニューを頼もうとしている孫に呆れながらも、今日は多目に見ようと思う卯月であった。


「あっ。デザートに白玉餡蜜も追加で!」

「調子に乗るな!」

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