不死鳥の死

宝力黎

第1話 不死鳥の死

 薄れていく意識の中で呟いた。

「やめたくない……野球……やりた……」

 意識は深い闇に落ちた。その傍に立つ者が居た。救急車両のサイレンが鳴る中、その者は呟いた。

「それはたやすい」

 その者の姿は誰にも見えず、声も聞こえはしない。ストレッチャーに乗せられ、運び出されて行く様子を見つめている。コンビニ前には既に野次馬が多く集まっていた。

 その傍らで、犯人は警察官によって取り押さえられ、項垂れていた。


 プロ野球選手・高堀英次が夜のコンビニで大怪我をしたというニュースは、朝のニュース番組で大々的に取り上げられた。怪我だけが話題なのでは無く、その経緯に関心が集まった。

 英次がコンビニに入り、週刊誌を眺めていた時、レジ咆哮から怒声が聞こえた。レジでは強盗が刃物を振りかざし、現金を要求していた。強盗の傍には小学生ほどの少年がいた。母親と買い物に来て強盗の現場に遭遇してしまったのだ。強盗は少年の服を掴んでいた。

 店員は恐れおののいて身動きも出来ない。犯人は早くカネを出せと怒声を上げている。いつ少年に刃物が当たるかも判らない状況だ。母親は床にへたり込んで泣いている。

 興奮する犯人は英次に気づいていなかった。英次は犯人の背後から静かに接近した。犯人が刃物を高く上げたのを見て、体当たりをかました。犯人はレジカウンターに激突し、腹を強く打ってうずくまった。そのすきに少年を救い出し、母親の腕の中に戻してやった。

「早く警察を!」

 英次が店員に指示した。その時だった。犯人が永治に向けて刃物を一閃させたのだ。初めは熱さを感じた。遅れて激痛が走った。見ると英次の右腕から大量の血が噴き出していた。それでも英次は犯人に組み付き、殴りつけた。犯人は昏倒し、動かなくなった。

 意識が薄れていく中、少年の安全を確認した英次は床に崩れ落ちた。

 警察官が駆けつけたのは、それから数分後だった。


 その三ヶ月後――


 英次は不死鳥の如くマウンドに帰ってきた。肘から手首までを切られ、三十針以上も縫った英次だ。その復帰は絶望とまで言われたが、世間の予想を裏切り、そうはならなかった。

 軽い投球練習でも異常は無い。大歓声が起き、スタジアムは興奮のるつぼと化した。

 そして打者が立った。第一球のモーションに入る。流れるような動きは怪我をしているとは思えない。その腕から球が投じられた。

 直後、スタジアムは静まりかえった。掲示板にはボールスピードが表示されている。それは《178㎞》とあった。

 審判のコールはストライクだ。場内に地響きのような大歓声が起きた。

 英次は次々に投じていった。その平均速度は《180㎞》に達し、結局七回まで投げた英次が打たれた安打はゼロ。それどころか、バットに触れさせることすら無かったのだ。

 翌日のスポーツ新聞はお祭り騒ぎだった。

 一時は引退も噂された大怪我から戻ったばかりか、野球史上でも聞いたことの無い球速を持って復帰したのだ。

 それからも英次は快投を続けた。結果的にチームを優勝に導き、日本一にも輝いたが、その間に英次が打たれた安打はゼロだった。

 その事は野球の本番・米国でも大きく取り上げられた。天文学的な数字で、英次に移籍話が起きた。

「金額なんかどうでもいいんだ。ただ挑戦してみたい、それだけさ」

 家族にそう告げ、英次は移籍を決めた。

 渡米するその日が来た。英次はファーストクラスで寛いでいた。不意に誰かが傍に立った。見ると、それは乗務員とは思えない風体の男だった。男はどこか聞き覚えのある声で英次に言った。

「他の国に行くのだね?」

 ファンかと思い、英次は微笑んだ。

「ええ、そうですよ。サインですか?」

 すると男は寂しげな、微かな笑みを見せて言った。

「そうなると話は別だ。なにせ管轄区域外だからね」

 何の話か英次には判らない。

「君は大怪我をしたが、それは自己犠牲からだった。報いてあげたくて力を貸しはしたが、それはこの国の中でだけの話なんだ。余所の国には余所の国の、なんというか担当が居るのでね。悪いが力は返してもらうよ」

 英次はその声をどこで聞いたのか思いだした。

「あんたは……」

「思い出したかい?そう、私が君に助力していた――というより、投げていたのは実際には私だ。君は自分が投げていたと錯覚していただろうがね」

 男は永治に背を向けた。機内にはシートベルト着用の案内がなされ、機体が動き始めた。

「ま、待てよ!それは本当の――」

 男は肩越しに英次を見て言った。

「本当のことだよ。ずっと助力してあげたかったが、君の選択だ。残念だが私にはどうしようもない。ただあの少年は今日も元気に過ごしている。そのことは喜ばしいことだ」

「俺は!俺はどうなるんだ!むこうで、俺は…」

「どうだろうね。おそらく投げることが出来ても以前の君の半分も出るかどうかだろう」

 そう告げると男の姿はかき消すように見えなくなった。

 英次を乗せた機は野球の本場である米国に向け、今飛び立った。

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不死鳥の死 宝力黎 @yamineko_kuro

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