気狂いになれればどれ程楽か

そんな筈は無いと思った。まさか敵に捕らえられただなんて。何かの間違いだ。あの方は斬首刑に値するような罪を犯すような人ではないからだ。私を愛しているあの方がそんな簡単に斬首刑を受け入れたとも思えなかった。


だが掲示板には、今日打ち首という事とその罪まで書いてある紙が無常にも貼られている。


あの方が受け入れたのならば、私もあの方と共にあの世に逝けるのだろうか。婚儀さえ結んではいないが、俗に言う恋人同士だ。あの方とあの世へ行けるならば、地獄でも構わない。


あの方に会いに行こう。私は自宅に帰って身支度をしていた。髪をまとめ、あの方から初めて頂いた簪を刺した。すると、玄関から物音が聞こえ、振り返るとそこにはあの方のお付きの者がいた。私が身支度している姿をみて、迎えに来たと言う旨を伝えてきた。


私は喜んでその者について行った。道中はお互い一言も話さなかった。この者もきっと、主君が謂れのない罪を着せられ、それを助け出す事ができない事に悔いているのだろう。手のひらを沢山握り締めていた為か、その者の手からは血が滲んでいたのが証拠だ。


罪人の留置所に案内された。沢山の野次馬がいる冷たい檻の中に、あの方はいた。いつもは美しく気高いお姿が、見るに無惨な姿で項垂れて座っている。



「私が来ました。お分かりになられますか?私です。どうか、お顔をあげてくださいませ」


私の声に、あの方はゆっくり顔を上げた。顔には痛々しい傷やあざがある。


「………っ………」


あの方は何か言いたげで、でも何も言わない。そのまままた俯いてしまった。


「どうか、私もそちら側に入れてくださいませぬか。用意はできております」


あの方は何も言わない。ただ、周りの野次馬があの女はなんだ?恋人か?と言って私の顔を覗き込もうとしてきた。


「私も一緒に「こんな女は知らん。気でも狂った哀れな女よ。某から離れろ、気色の悪い」…」


怒鳴るようにあの方が言った。私の目を真っ直ぐ見ながら。でもその目はそんな言葉とは裏腹に、愛おしいいつものあの方の目をしていた。


なんだ、恋人ではないのか、と野次馬は私からは興味を失っていた。


「見てください、貴方様が私に初めてくださいった簪でございます。私を知らないだなんて言わないでください。私もそちらに行きたいのです。覚悟はしております」


そう言ってあの方に簪を見せると、あの方は簪を私から奪い取り、2つに折って投げ捨てた。





あれは春。私は決して裕福ではなかったが、両親からの真っ直ぐな愛情のおかげか、ひもじい思いをした記憶がほとんどない。


いつものように、私は町に出て作った籠を売りに行った。町は大賑わいで、どうやら戦から帰ってきたお侍様達を祝って祭りが行われていた。祭りに遊びに行く余裕はないので、そそくさといつもの定位置につこうとした時、急に腕を掴まれた。見るとお侍様で、私が何か粗相をしたのかと伺うと、一目惚れしたと言われた。びっくりして困惑していると、お侍様はそこで待てと言って何処かへ行ってしまった。少し待つと、お侍様から金魚の簪を渡された。照れたように渡してくるその姿に、私もまた惚れてしまったのだ。







ーーーーカン、と音を立てて落ちた簪だった物を見つめた。涙が出てしまいそうだった。あの方は1人で逝こうと云うのか。私を置いて。


私の頬を涙が伝った時、あの方は連れられて行ってしまった。抵抗もしない身体を大の男2人が乱暴に連れ去った。力のない顔であの方を見つめると、あの方は私を見ていた。とても優しい顔で、私の名前を呼ぶように口だけが動いていた。



打ち首が執行される際は、お付きの者が私に見せまいとしていた。きっとあの方に言われた最期の命なのだろう、必死にみないでくれと頼まれた。私は見なかった。あの方がそうして欲しいのならば、そうしてあげたかった。刑が執行され、見るも耐えないと帰る人や、興味津々に見つめる人とそれぞれだった。私達は帰る事にした。ここに居てもどうしようもないからだ。


ふらふらと帰る私を心配して、お付きの者は家まで着いてくると言うのでその通りにした。途中、川原を通ってみた。この川原はよくあの方と通った川原だ。ここではよく喧嘩をしたが、仲直りもこの川原だった。


初めて接吻をしたのはあのお団子屋さん。毎日相引きしていたのはあの桜の木のもと。


思い出がどんどんと溢れてきて、私の涙も限界と言わんばかりに溢れてきた。





明日あの方は、あの川原で首を晒される。

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