1話
優羽の育て親になると決めてからは目まぐるしい毎日を送った。
まずは優羽を連れて実家に行き、親父とお袋に事情を説明した。二人ともすぐにはうんと頷くことはなく、やっぱり息子の将来を第一に考えていた。
「お前、子どもがいたらますます嫁が来なくなるぞ」と親父は渋い顔で心配したが、最後には折れて俺が友人の子を育てることに賛成してくれた。昔から好き勝手やってきた俺だ。今更ああだこうだと、茶々を入れる気力もないのだろう。
お袋は、何だかんだ言って孫みたいな存在がいきなりできたのを喜んでいた。俺が一人息子だったから、女の子の面倒を見るのがずっと夢だったらしい。
優羽も新たに居場所が増えて安心しているようだった。
次に子育てについて知識を蓄えるために本を買い漁った。子どもは熱が出やすいからこういう時には医者に連れて行かなきゃならないんだとか、男児と女児は成長過程が違うんだとか、一日じゃ頭に叩き込めない情報がたんまりある。わかったのは、パンツ一丁に握り飯があれば良かった俺の幼少期は通用しないということだ。
それからばあさんの家の管理や後見人探し、友人夫婦の墓掃除に法事、優羽の里親になるための手続き・・・・・・あと自分が十体欲しいくらい忙しかった。
「古森さん、顔やつれました?」
新築住宅の現場巡視中、後輩から心配される。この一ヶ月で五キロ痩せたために見た目も変わっちまったらしい。
「元々デブだったから今は標準体重なんだよ。健康的な痩せ方じゃないけどな」
「いきなり子どもを育てるとなっちゃあ身が削れるからな。しかも一人でだろ? 俺のガキなんか母ちゃんと二人三脚でも手に負えねえぞ」
わははははと同僚は笑って掛矢で杭を打ちつける。他人事だと思って笑いやがって。
工具ベルトのポケットが振動して着信音が流れた。そこから携帯を取り出すと、画面には優羽を預けている保育所からだった。
とてつもなく嫌な予感がする。
「はい、古森です」
「もしもし、優羽ちゃんのお父さんですか?」
「お父さんではありませんが、古森です」
「実は、優羽ちゃんが熱を出してしまいまして・・・・・・」
「そうですか、首と太ももの付け根に氷を当ててください。俺がガキの頃は三十分で平熱になりましたから」
「あの、熱があると園では預かれないんです。ウイルス性のものだったら、他の子にうつして大変なので」
「そんな、子どもなんてしょっちゅう熱を出すんだから・・・・・・!」
俺の育てられ方が間違っていたとは言わない、ただ、体が丈夫だったから滅多に医者なんか行かなかった。このご時世、子どもに甘すぎるんじゃなかろうか。ちょっと熱が出ただけで医者に行ったら、あっという間に受診代で金がなくなっちまう。
結局、保育士に説教をされて仕事をほっぽり優羽の迎えに行くことになった。
皆、事情を知っているから急な早退や遅刻には文句も言わずに了承してくれたが、これが頻繁になるとだんだん冷たくなって俺に仕事が回ってこなくなる。優羽がいるからと酒飲みの付き合いもだいぶ減り、ついには誘われなくなった。
世の中の子育て世代は、自己犠牲を払ってまで子孫繁栄に勤しんでいるのか。子どものために社会で浮いて、疎外感に苛まれている奴も多いんだろう。まさか自分がその内の一人になるとは思わなかった。
誰が悪いわけじゃない、決めたことを後からウダウダ言っても仕方ない。それに、こんな目に遭うとわかっていても俺は優羽を引き取っていたじゃないか。
風邪を引いた優羽は俺の布団ですやすやと寝息を立てる。その隙に昨夜散らかしたままのおもちゃをそろりそろりと片付けた。
今日もまた会社に迷惑をかけちまった。ますます仕事が減るだろう。せめて小学校にあがるまで、働き方を考えなくちゃいけねえ。
人知れず、数え切れないほどのため息を吐く時がある。
どんなに頑張っても恩恵がないから、何のためにこいつといるんだっけと悩む時もあった。
でも、美味いものを食って喜んだり、泥団子を得意げに渡してきたりするのを見ると、後ろ向きな思考は全部吹っ飛んで行った。
自分以外のために生きるのもそんなに悪くないもんだ、と。
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