六十余年の子守唄

天野 羊

1.突発

 母の葬式は親族のみで慎ましく行われた。


手続きを行ってくれたのは母の弟である叔父だった。


とても無愛想な人で僕は彼のことが好きではなかったが、何を思ったのか母が死んだ後、僕のことを引き取ってくれた。


 葬儀中、何を言ってるのか聞き取れないお経を聞いている間に、三年ほど前に見た心霊番組を思い出していた。


テレビの中では、見るからに胡散臭い自称霊能力者が自信満々に語った。


「十八歳になるまでに霊を見なかった人は、今後の人生でも霊を見ることはないです」


 十八歳になるまでの残り半年足らず。過労死するほど苦労をかけた僕の前に、母が幽霊になってまで現れてくれるのか心配になった。


 よくある家庭内暴力によって、両親は僕が中学校に上がる頃に離婚した。

 母親はとても優しい人だった。小さい頃は、暗い中トイレにもいけない程臆病で、その度に寝ている母を起こしては、手を引いてもらったことを覚えている。


 だからこそ、幽霊の存在を信じたいと思ったし、現れるならぜび会ってみたいとおもっていたんだ。

 

 十八歳になるその日は、自由登校期間になる前の最終日だった。


 この日になっても予想通り母は僕の前に現れなかった。二月の初旬にしては暖かく、羽織った上着の前を開けていても快適に過ごせる一日だった。


 どこか嫌な日だった今日は、いつも挨拶を交わす同級生が学校を休んだり、弁当を忘れたり、可愛がっていた野良猫が今日に限って見当たらなかったり。普通の高校生なら祝われるであろうその日は、この生ぬるさにまで苛立ちを覚えるくらいには、些細なことでストレスを感じる日だった。


 普段だったらそんなこと特段気にもしないんだろうけど。


 そんなことを考えてる頭の隅には、いつかの自称霊能力者の言葉が頭にあって、センチメンタルな気分になってたんだと思う。


 目的地へ向かう道中、夕日が落ちかけた海岸線はそれでもやはり肌寒く、風が入ってこないように上着の前を押さえながら目的地まで歩いた。


 「自殺の名所」と呼ばれるその場所には、無数の花束たちが置いてあって、不謹慎ながらに「天国みたいだな」なんて思った。


 「死にたい」なんて明確な思いがあるわけではなかった。ただ「死んでもいいか」くらいには思っていた。下を見ないように視線は遠くに置いて、足先に神経を集めて崖の端まで進んだ。


 崖の際に立ち、海風を浴びる。何分間そうしていたんだろうか。焦点の合わない視線の先には、先ほどまで全体が見えていたはずの太陽は、半分ほど姿を隠した。

「帰ろう」と誰に言う訳でもなくそう呟いた瞬間、後ろから物音がする。驚いて振り返ると同時にバランスを崩した。


「しまった」と思った時にはもう遅く、あれだけ見ないようにしていた高所からの景色を確認した瞬間、視界が狭まって行くのを感じた。


 その刹那にいくつもの光景を見た。まだ優しかった父親と母の三人で囲った食卓、今はあまり関わることがなくなってしまった幼馴染との記憶、それと見たことのない少女が必死に僕の腕を掴んでいる。


「走馬灯」コンマ数秒のわずかな時間でその言葉にたどり着くと、僕は意識を手放した。

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