第21話 怒りを纏い、黒獣となる
毛が逆立つような殺気がヒグレから放たれた。
「――ッ!」
敵味方など巻き込むような殺気にティンは思わず息を飲んだ。
樹木に背持たれて、動かなくなったヒグレの後頭部からは黒い物体が飛び出した。枝分かれするように伸びた黒い物体は、また彼の兜の中へと戻り、首から下を覆っていく。
「まずいっ! 離れるぞ!」
顔から余裕が消えたドレッドはティンの肩を掴んで後ろへと引いた。
「えっ、ちょっと」
「あともうちょっとだけ後ろに下がってくれ。でないと巻き込まれる」
「巻き込まれる? どういうこと?」
ドレッドに促されるがまま後方に下がったティンは問いかける。なにが起きているかわからない状況の中、ヒグレを凝視して固唾を飲むドレッドは口を開く。
「俺たちの体内には〝
「それがドレッドが慌てる理由とどう関係が?」
「俺たちにはそれを用いた技がある。その中でも非常に強力な〝
「それ、大丈夫なの?」
「簡単な話、ヒグレの邪魔をしなければいいだけの話よ」
ヒグレだから大丈夫だろう、という気持ちはティンにもある。だが、普段は大人しく物静かな印象が強いヒグレからは想像もつかないほど、かけ離れた姿に戸惑いを隠せない。
『「グゥゥ……」』
再び動き出したヒグレの兜、それも口のような部分、下顎が動き、歯のような部品が姿を見せた。固定されているらしい上下の歯が離れ、白い吐息とともに口が完全に開く。
だが、開いた兜の口から覗かせるのはヒグレの口ではなく、深い闇だった。
「なに、あれ……」
ゆっくりと立ち上がるヒグレを見ながらティンは戦慄する。兜の口が動くことをティンは知っているが、食事をするときも、いつも見えるのは人の皮膚と口だった。
今はそれが見えないのだ。
『「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォ――――ッッ!」』
ヒグレの咆哮が森中に響き渡る。空気を揺さぶるほどの殺気にまみれた二重の声が。
その姿はまるで、魔物と変わらない化物を彷彿とさせた。
――
『「ガウゥッ……」』
ヒグレは折り畳んでいた〝折刀〟の刀身を展開する。そして、身体の重心を低くし、常人では凄まじい脚力をもって数十メートルも離れた巨大な魔物に飛びかかった。
「なにッ!?」
魔物は、投石のごとく飛んでくるヒグレを咄嗟に盾で防いだ。
ガンッ、と木の乾いた音ともに、先程と同じ位置に張りついたヒグレ。
魔物はたかる虫を払うかのように棍棒を振り抜くが、彼の右手に持つ〝山狩〟に容易に防がれ、弾き飛ばされてしまう。あまりの力に魔物は体を仰け反らせ、体制を戻した時にはヒグレの姿は消えていた。
「ど、ドコだ!」
魔物は声を荒げてヒグレを探し、はっと振り上げていた棍棒に視線がいく。
棍棒の先。そこに赤い眼光を揺らすヒグレの姿があった。
魔物が反応するよりも先に、ヒグレは肉眼では負えない速さで動く。
巨大な魔物の全身を巡るように無数の軌跡が走り、棍棒を持っていた魔物の右腕は輪切りされ、肉鎧と肉盾が破壊された。姿を現したヒグレは魔物から斬り離した肉鎧と肉盾を樹木の枝に引っかけ、人質となっていたエルフ全員を救出した。
「ぐああぁ!? アアッ!? 最初からそれが狙いデ!?」
魔物は右腕を抑えて苦痛に満ちた声で叫ぶ。だが、ヒグレはその問いに答えることもなく、地面に降り立った瞬間、魔物の両足を切断し、蹴り飛ばした。
十メートルはある巨体は地面スレスレを滑空し、樹木に激突して停止した。硬く乾いた音を鳴らしながら樹木は倒れ、横たわる魔物は苦悶の声を上げた。
そんな魔物にヒグレは乗り、
「このクソがッ!」
魔物は上半身を起き上がらせ、最後の悪あがきと言わんばかりに、残っていた左手でヒグレに掴みかかろうとする。だが、その左手は一瞬にして斬り落とされた。
そして、ヒグレは口を大きく開き、近くに寄ってきた魔物の顔に喰らいつく。
「ギャアああああああああああああああああああああああッッ!?」
容赦なく頬肉を喰い千切られた魔物は悲鳴を上げた。四肢をすべて斬り落とされ、のたうち回るのもダルマとなった魔物に成すすべはない。
認識が間違っていた、と魔物が改めた時にはすでに遅かった。自分よりも圧倒的に上位の捕食者を前にして、初めての恐怖を抱いた。
恐怖に怯える魔物の姿を、ヒグレは血肉を加え直し、飲み込みながら眺めていた。
『「なんだ、その顔は? テメェも楽しそうに喰ってたじゃないか」』
ヒグレは怒りの籠った低い口調で言った。
「許してくださイ……モウしません……助けてくださイっ!」
山狩を魔物に突き刺す。折刀を魔物に突き刺す。
魔物は恐怖に染まった表情を浮かべて生を乞う。
だが、それはヒグレをさらに怒らせた。黙れ、と言わんばかりに武器を振り下ろす。
山狩で叩き斬る。折刀で斬る。叩き斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。
「イタイ、タスけておネガいしますッ! 許してエェエェェェェェェェェェェッ!」
『「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォ――――ッッ!」』
獣のように、乱暴に、残酷に、怒りが消えるまで、何度も力任せに感情を叩きつけた。
「死にたくないッ! ユルしてユルしてユルして許して許してッ! 許ジ、て――――」
それは魔物が息絶えるまでなるまで行われた。だが、魔物の原型がなくなり始め、ただの肉塊になっても、ヒグレは気が済むまで終わることはなかった。
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