第8話
ライバル
翌朝、目が覚めるとぼんやりした頭の中にプールの底のきらめきだけが残っていた。
「何だろう」と思いながら、私は朝の準備をする。
「コトちゃん、まだ担任出てこないの? 私、いつでも準備OKなのに。もう校長とかに言いに行こうかしら」とママは息まいていた。
「…うん。まだ休んでる」
日にちが経ち過ぎていて、今更という気持ちもなくはなかった。ただ復帰したら、また同じようにターゲットにされるかもしれない、とも思うから、ママが学校に行くことは反対じゃなかった。
「コトちゃん、ポニーテールかわいい」とママは必ず私を褒めてくれる。
パパが起きてきた。
「二人とも可愛いよ」と言って、冷蔵庫から昨日夜にお土産として買ってきたクロワッサンを取り出し、トースターに入れた。
ママは恥ずかしいのか、キッチンに行ってスクランブルエッグをお皿に入れる。私は二人から愛情をたっぷりもらっているから、多少のことではへこたれる気はしなかった。
「ママ、大丈夫だよ」
「ところで昨日の心霊写真…」とママが言うからパパが
「え?」と驚いた。
私は水泳部の話をした。
「あぁ、川上って強い人いたよなぁ。地元だし、苗字が同じだから覚えてる。確か…でもライバルがいて…その人、不幸にも亡くなったんじゃないかな…。名前は覚えてないけど」
「そのコーチと担任が不倫してるみたいで、それで同じ苗字だからってうちのコトちゃんがいじめられてるのよ」とママは口を尖らせる。
「俺も行こうか?」
「いい。もしママが駄目ならパパにお願いするから」と私は慌てた。
パパは普段は優しいが、仕事の時にたまに理不尽な相手先だった場合、ものすごく怖い態度になる。
「そうか? いつでも言いなさい」
クロワッサンのいい匂いがトースターからしているので、ママは取り出そうとしたけど、熱かったからなのか、落としそうになる。
「あ、ほら。俺がするから」とパパが代わりに取り出す。
仲の良い二人を見ていると、私は何だかくすぐったくなった。
「仲良いね」と私が言うと、なぜか二人とも顔を赤くした。
大人なのに変なの、と思って私はスクランブルエッグを口に入れた。
学校に行って、私は中田さんと渡辺さんと昨日、灯君から聞いてた話をする。
「なるほど…。水泳部には本当に幽霊部員がいたわけだ。私、ちょっとあのコーチの周辺をリサーチしてみたんだ」と中田さんは言った。
さすが新聞部と言ったところであろうか。ネットの記事、お姉さんの友人、知り合い、その他いろんな人に話を聞いたそうだ。
その中でパパも言っていた川上コーチのライバルと言う人が大会前に急に亡くなったと言う話を教えてくれた。
「高坂さんっていう人なんだけど」と中田さんが言うその名前に聞き覚えがあった。
でも、どこで聞いたのか、すぐには思い出せなかった。
「でね、その高坂さんもすごく早かったんだけど、どうやら高坂さんと川上コーチが1人の女性をめぐってもライバルだったんだって」
「女性?」
不意に眩しい笑顔が思い出される。
「どうやら高坂さんと付き合っていたらしいんだけど、不意の事故で恋人を失った悲しみを癒すように川上コーチが寄り添って、川上コーチと結局結婚したんだって」
渡辺さんは深くため息をつく。
「そうやって結婚したのに、不倫するなんて」
中田さんは右の口角を上げて、ニ、三歩歩いて、振り返って、私たちを見た。
「ねぇ。匂わない? 大会前の急死。川上コーチが関わってたりして。それで、彼女も手に入れて。うまくできすぎてない?」
「死因は?」と私は聞いた。
「心不全。若いのに。怪しいでしょ?」と名探偵さながらに中田さんは言った。
「でも、お医者さんがそう判断したのなら、心不全は起こせるものじゃないでしょ?」
「そこなんだよなぁ。川上コーチが殺してたら、うまくいろいろまとまるのに」と中田さんは物騒なことを言う。
そんな話をしていると、ちょうど予鈴が鳴り、私たちは席に着いた。
席に着いて私は夢で自分が高坂さんだったと言うことに気がついた。あの夢で見たプールの映像は高坂さんの見た景色だった。綺麗な女性、まぶしいほどの笑顔。高坂さんが愛していた人だった。
彼女を追いかけて、一緒に泳いだ。まるで人魚のようだった。きっと捕まえることができないだろうと思いながら、必死で泳いだ。そうしている間にどんどんスピードが上がり、いつの間にか彼女を追い越せるようになった。
「高坂くん、すごい!」
彼女の笑顔が嬉しかった。彼女は自分よりも早く泳げる、僕のことを応援してくれた。だから、僕は彼女のために泳いだ。彼女が僕に教えてくれたから。
「誰よりも早く泳げるようになったね」と隣で笑ってくれる。
「次の大会では優勝したいな」と僕は言った。
チクリと胸が痛い。思い出した。僕はもともと体が弱かった。だから水泳を始めたことを。
「できるよ。高坂君なら」
そう言ってくれる彼女のことを喜ばせてあげたかった。トレーニングも欠かさず、食事にも気をつけ、筋力もつけた。その甲斐があって、その大会は優勝した。
誰よりも彼女が喜んでくれて、僕は嬉しかった。彼女以外、誰しも僕が優勝するなんて思ってなかったみたいで、驚かれたり「たまたまだよ」と陰口を言う人もいた。でもそんな事はどうでもよかった。そばにいてくれる彼女が喜んでくれるだけでよかった。
ただタイムはそのまま早くなり、周りの目も変わっていった。毎回、大会には僕か、川上と言うエースが出場することになった。だから、川上とはよく顔を合わせた。川上はバタフライで、僕はクロールだったから、ライバルにはならなかったのに、彼はなぜか、僕のことが気に入らないようだった。
だから、あの日、大会前の部室で、僕が倒れたとき、彼は僕と目があったのにそのまま出て行った。視界が暗くなり、気がついたら、たった1人だった。そのままずっと1人で、誰に話しかけても気づいてもらえない。以来、僕はずっと部室にいる。
「川上さん」と副担の呼ぶ声がする。
私は慌てて返事をした。
(今の何?)
白昼夢を見たようだったが、感情がやけにリアルだった。
時計を見ると、予鈴から十分も経っていない。私は慌ててノートの最後のページに今見た白昼夢のことを書きためた。高坂さんは今も部室にいる。
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