幻影

 嫌な夢を見ていた。

 また、夜の中をひた走る夢だ。以前にも見た事のある、あの嫌な光景。

 視界が悪いのに何故か恐ろしく鋭敏で、不安や恐れは一切なかった。それが夢だと理解できたのは、今いる場所よりも比較的明るいからなのだろう。空には琥珀色の月が浮かび、時折雲間から月光が差し込んでいる。そして自分を呼んでいる名前は、今まで聞いたことがないものだった。

『おれのことを恐ろしいと思わないのは■■■だけだな』

 自嘲気味に聞こえてくるのは男の声だった。声質はやや高いが、どことなくオニキスに似ている。ジェイドは口を開こうとしたが、勝手に声が出ていた。

『…おまえはどうなんだよ、アゲート』

『■■■と一緒なら何処でも行ける、そんな気がするんだ』

 夢の中の自分である誰かが呼んだ彼の名前は、オニキスとは別人だった。しかしその誰かは、オニキスと親子や兄弟と言っても差し支えない程に似ている。これは一体誰が見ている光景なのかと疑問は尽きないが、それまで走っていた足が止まった。目の前に居る「アゲート」と呼ばれた影を、月明かりが照らし出す。

『…おまえはだれだ』

 そこに居たのは、ひどく背の高い「何か」だった。例えるなら魔物のような、絵画に描かれた悪魔にも似た見た目をしている。恐ろしく鋭い爪に、巨大な黒い鎌のような武器を持ち、肌は透き通るように白く黒曜石のように硬そうな毛髪は螺旋を描いていた。

「おまえこそ誰なんだ?…オニキスじゃないのか」

『ハッ、冗談はやめろ。何で俺がそんな…』

 何か言い掛けた男は急に動きを止め、胸元に両手を当てて苦しそうに背中を丸めた。いきなりの事態にジェイドは驚き、大丈夫かと心配そうに一歩前へ出る。

『来るな!おれのヒスイを何処にやった!』

「ヒスイ…?誰だ?おまえは何を知っている、教えてくれ」

『知るか!目の前から失せろ!早くこの島から出て行け!』

 両肩を強く押され、ジェイドの身体は後ろに倒れ込む。後頭部が地面にぶつかりそうになった瞬間。

 強い衝撃を感じ、目を覚ました。

「……っ!」

 目が覚め、必死で何かを言おうとした。しかし塞がってしまったかのように喉から声が出ない。何を言えば良いのかも、目覚めた瞬間分からなくなった。

 何故か明るさを感じるのは、寝床から少し離れた場所でオニキスが火を焚いているからだ。一体何処から調達したのか、丸太のような木が地面に数本転がっており、薪のように切り出されているものもある。焚き火の傍には木の枝に刺さった、魚のようなものまで焼かれていた。

「どうした?そんなに腹が減ったのか」

「…おまえ、何で…」

「ジェイドが欲しいって言っただろ。火と食糧を。だから持ってきた」

「持ってきたって…何時の間に?」

「細かい事は気にするな。おまえはずっと寝ていたから、知らなくていい」

 目の前に文明の証が見えると、途端にジェイドは空腹を感じた。丸太の上に座っているオニキスの隣に腰掛け、こんがりと焼けた魚らしきものを見つめる。

「食えよ。もう焼けてるぜ」

「ああ…なんか、夢見てるみたいだ…」

「ははっ、大袈裟だな!残念ながら、全部現実だ」

 オニキスが魚のようなものが刺さった枝を差し出すと、ジェイドは恐る恐る手に取った。匂いはいたって普通の焼き魚と同じ匂いだ。この島に来てからまともに食べる食事は初めてで、こんがりと焼かれたそれに歯を立てる。

 裂けた皮目から香ばしい匂いと魚特有の油が溢れ出し、ジェイドの唇を濡らした。零さないように口で受け止め、一口齧る。非常に柔らかく、直ぐに噛み切れたが今まで食べたことのない魚の味がする。この島で最初に口にした、あの独特な風味のする生魚よりは遥かにうまいと感じた。気が付けば無心で食べており、唇の周りについた油を指先で拭う。

「…オニキスは食べたのか?」

「おれは良いんだ。あと、焚き火の中に他に食べれそうなの見つけたから入れておいた」

「…これか?」

 焚き火の中に放り込まれていた黒い塊を、魚が刺さっていた枝で突いて取り出した。触った感触は野菜のような気がしたが、何か分からず近くに引き寄せる。

 焦げているのは皮の部分のようで、枝で表面を裂いて焦げた部分を取り除く。焦げている皮の中からはほかほかと湯気を立てる、甘い匂いの黄金色が視界に入った。

「…イモだ!でかしたぞオニキス!ありがとう!」

「そんなに美味いのか?」

「ああ、そうだ…一口食ってみるか?」

「うん」

 ジェイドは一度イモから枝を抜き、ぱきんと二本に折って器用に駆使し、芋の焼けている部分を摘んだ。一口目は自分の口に運び、やはりそうだとしきりに頷く。すぐにふた口目を摘まみ、オニキスの口元に持っていった。不思議そうに簡素な箸を凝視しているが、決意したのか口を開き催促した。ジェイドが苦笑を漏らし、オニキスの口の中まで芋のカケラを持って行ってやる。

「熱いから気をつけろよ」

「んん…あつ…んん⁉これはなんだ!」

 口の中に入れた瞬間、オニキスは驚きのあまりジェイドの肩をばしばしと叩いた。咀嚼し、飲み込んだ後またくれと餌をねだる雛鳥のように唇を尖らせる。どうやらお気に召したらしい。

「…これ、ジャガイモだけど...凄く甘いな。コガネセンガンより甘い」

「なんだそれは」

「芋の種類の一つだ。焼くととても甘くて、山羊のミルクで作ったバターを添えると滅茶苦茶うまいんだよ」

「ばたー、を…?へぇ…?」

 ジェイドの言っていることの半分も理解でいていないように見えたが、同じようなジャガイモはまだ数個焼いており、ジェイドが焚き火の中から取り出して木の枝に刺してやった。オニキスは顔をこの上なく輝かせ、枝付きのジャガイモを見つめている。

「そのままじゃ食べれないから、皮を剝いてやるんだ。こうやって……」

 別の木の枝を探し、器用に皮を剝いてやると焼けた芋の匂いがふわりと漂う。魚よりはこちらの方が好みに合っているのだろうと思い、ジェイドは僅かに笑って焼き芋に息を吹き掛け冷ますオニキスを見守った。ジェイドも残りの芋をたいらげ、満足そうに頷く。

「ふぅ…助かった…ありがとう、オニキス」

「え?」

「おまえのおかげで餓死せずに済んだんだ…まさか何も無さそうな島にジャガイモがあるなんて」

「ああ、だってジェイドを死なせる訳にはいかねぇから」

 さも当然、とでも言いたげにオニキスが告げる。

「なんでそこまで?」

「おまえはおれの…おれの……」

 何かを必死に思い出そうとしているオニキスは、唐突に側頭部を抑え込んだ。ジェイドは慌てて肩を叩き、無理をするなと声を掛ける。

「分からないことは無理に出そうとするなよ。もしかしておれたちは、何処かで会ってるのか?」

「いや、多分…此処で会うのは初めてだから、気にするな」

 意味深なことを言いつつも、オニキスはそれから暫く黙り込んでしまった。寝ているのかと思いきや目は開かれており、一点を凝視してじっと静止している。

「……オニキス?」

「………」

 反応がなく、微動だにしない。もしや、彼にとってはこれが『睡眠』なのだろうか。

 燃料が切れた船のように動かず、ジェイドは諦めて座ったまま再び瞼を閉じた。

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