現れたのは、赤い竜と紫の竜

「それにしても、どうして魔物がいないのかな……」


 小川で水を汲みながら、ぽつり、と呟く。

 皇国を出る時に、僕はヘルトリング宰相からこの森の恐ろしさを教わった。


 数多くの魔獣が跋扈ばっこし、一歩でも足を踏み入れたら二度と生きて帰ることのできない森。

 それがここ、暗黒の森なのだと。


「ふふ、簡単ですよ。それはこの私がいるからです」

「わっ!?」


 いきなり僕の後ろから顔をのぞかせ、笑顔で答えるメルさん。

 彼女のことがちょっとずつ分かってきたけど、意外と悪戯いたずら好きっぽい。


「な、なるほど。つまりメルさんを怖がって、魔物達は隠れているんですね」

「はい」


 確かに竜が相手だと、魔物ではまともに相手になるはずもなく。

 それにひょっとしたら、竜にとって魔物は捕食対象だったりするのかも……。


「……言っておきますけど、別に手当たり次第に魔物を食べたりしませんからね? もちろんニンゲンもです」

「あ、あはは……」


 どうやら考えていたことがお見通しだったみたいで、メルさんにじと、とした視線を向けられた。

 おかげで僕は、愛想笑いしかできないや。


「じゃあ、人間の食べ物でも問題ないかな」


 そう言うと、この森に来る時に手渡された袋から、食料を取り出す。

 一週間分もあるし、二人で食べたとしても最低三日は……って。


「こ、これだけじゃメルさんには足りないかも……」


 ただでさえあんなに大きな竜だから、これだと一口分もない。

 こ、これは真面目に食糧問題を解決する必要があるんじゃ……。


「た、食べる量だってニンゲンと変わりませんからね!」

「本当ですか。よかったあ……」


 少し怒り気味にメルさんは言ったけど、それ以上に食糧問題が早々に解決してよかったよ。


「もう……確かに戦闘などでは竜の姿になりますが、普段は基本的にこの姿なんですよ?」

「あう」


 指でおでこを押されてしまい、僕は思わず後ろに仰け反ってしまった。


「そういうことですから、早く食事にしましょう。ふふ、ニンゲンの食事に少し興味があったんです」

「あはは……はい」


 ということで、僕とメルさんは食事を始めた。

 一週間分の食料ということで、ほとんどが保存食ではあったけど、メルさんは珍しそうに一つ一つ僕に尋ねては、それを美味しそうに頬張った。


「んふふー、美味しいですね」

「そ、そうですね」


 皇宮での僕の食事は固い黒パンと野菜くずのスープだったから、実は僕にとってもかなりのご馳走だった。

 特に干し肉なんて、噛めば噛むほど味が染み出てきて、飲み込むのがもったいないや。


 その時。


「っ!?」


 いきなり突風が舞い、僕とメルさんは空を見上げる。

 そこには――赤の巨大な竜と紫の竜が、上空を飛んでいた。


「ちっ……なるほど、あの二人が次の刺客ですか」


 メルさんが舌打ちし、二体の竜を睨みつける。

 横顔を見るに、同じ竜であっても彼女にとって嫌悪の対象になり下がってしまったんだと思う。その証拠に、二体の竜を見つめる真紅の瞳には、怒りと憎しみだけが宿っていた。


(……それも、当然だよね)


 彼女はクラウスという元部下に裏切られ、両親を殺された。

 他の竜達は、『王選』によって敗れた前国王の娘であるメルさんを敵とみなし、あんなにも傷つけんだ。


 誰一人、味方をすることなく。


「ギルくん……?」

「その……僕は絶対に、裏切ったり見捨てたりなんてしませんから」


 メルさんの隣に立ち、その手を握りしめる。

 離れたりはしないと、たとえどんなことがあってもそばにいるのだと、覚悟と決意、そしてありったけの想いを込めて。


「ええ……」


 僕の手を握り返し、メルさんが微笑むと。


「コンラート、エルザ……死ぬ覚悟はできていますか?」


 その可憐な紅い唇から、牙をのぞかせた。


『お待ちくだされ。我等は姫様と争う気は毛頭ございませぬ』


 そう言うと、赤い竜と紫の竜はゆっくりと降下し、地面に降り立つなり人間の姿に変えた。


 二体のうちひと際大きかった赤い竜は、白髪交じりの赤い髪に黒い瞳。赤い髭を生やした初老の男性。

 人間の姿になってもすごく大きな身体をしていて、鎧をまとって筋骨隆々。竜でなくても普通に強そう。


 もう一人は、濃紫の髪に少し切れ長の藤色の瞳。目元に泣き黒子ほくろがあり、とても綺麗な女性だった。

 服装も、まるで使用人のような服を着ている。


「姫様がクラウス陛下に『王選』を挑まれると聞き、馳せ参じた次第……っ!?」

「なんだ、やっぱり私に殺されに来たんじゃない」


 ひざまずこうべを垂れる初老の男性の頭に、メルさんは左手をかざす。

 氷のような冷たさをたたえた真紅の瞳で見下ろしながら。


「……メルセデス殿下のお怒りはごもっともです。ですが、私達も掟がある以上、クラウス陛下に従わなければなりません」


 表情を変えず、初老の男性の隣に同じくひざまずく女性が告げる。

 でも……僕には、ただの言い訳にしか聞こえなかった。


「……つまりあなた達にとって、メルさんよりも掟のほうが大切なんだね」


 気づけば僕は、自分でも驚くくらいの低い声で、そんなことを呟いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る