竜の姫のお願い
「もう……ギルベルトくんは泣き虫さんです」
「あ……えへへ」
苦笑しながらメルセデスさんが、僕の涙を指で
少しくすぐったかったけど、それ以上に嬉しくて、ついはにかんじゃう。
「すみません、話を戻します。それで……これからどうするんですか?」
「逃がしたあの者が、すぐにでもクラウスに報告することでしょう。『王選』をするにしても、向こうの出方を見たほうがよさそうですので。……まあ、こちらから乗り込んで今すぐ
そう言うと、メルセデスさんは口の端を吊り上げる。
僕に見せる彼女の表情は、いつも穏やかで優しいものばかりだけど、同族であるはずの竜に対しては、どこまでも
でも、それも当然だよね。
竜達は、メルセデスさんを裏切ったんだから。
彼女の話によれば、ドラグロア王国では力こそが全て。弱い者はすべからく強い者に
それでも、その……クラウスって男は、前国王であるメルセデスさんのお父さんや、王妃のお母さん、そして彼女に対して毒を盛るという卑劣な真似をしたんだ。
そんなやり方で国王の座を奪い、メルセデスさんのご両親の命を奪っただけで飽き足らず、彼女の命までも奪おうとしているのだから。
「? どうかしましたか?」
真紅の瞳を見つめていると、メルセデスさんが不思議そうに尋ねる。
そうだね……ちゃんと、言わないと。
「その、お願いがあります」
「お願い?」
意を決しそう告げると、彼女は首を傾げた。
「クラウスという男との『王選』の場に、僕も一緒に連れて行ってください」
「駄目です」
メルセデスさんは、間髪入れずに拒否した。
先程までの柔和な笑みは鳴りを潜め、険しい表情で。
「いいですか。クラウスは、自らの勝利のために毒まで盛るような男です。あの兵士達がしたように、おそらくは君を人質に取るか、あるいは殺そうとするに決まっています」
「はい、僕もそう思います」
「なら……」
「ですが考えてみてください。先程の男がクラウスのところに報告に行ったのなら、僕のことも一緒に話しています。なら、僕がここに残っていても同じこと」
メルセデスさんの話を聞く限り、クラウスという男はどんな手段を選ぶことも辞さないと思う。それどころか、率先して
実際に前国王との『王選』のあと、メルセデスさんを排除しようと追っ手を差し向け、彼女は瀕死の状態まで追い込まれてしまった。
そこまで執拗で狡猾な男が、僕の存在を放っておくはずがない。
あくまでも脅しに過ぎないけど、ハイリグス帝国との関係を考えても、僕を消そうとするに決まっている。
「そういうことですので、実はメルセデスさんと一緒にいたほうが、僕の身が安全なんです」
「ギルベルトくん……」
メルセデスさんは眉根を寄せ、複雑な表情を見せる。
優しい彼女のことだから、僕を巻き込んでしまったことに罪悪感を覚えているのかもしれない。
「……というのは、建前です」
「え……?」
「本当は、僕があなたの
十年もの間、皇宮で
僕に優しくしてくれるどころか、まともに話をしてくれる人なんてどこにもいなくて、邪魔な存在でしかなくて。
実の父親には、一目見るなりこの森に捨てられた。
もう……この世界に、僕の居場所はない。そう思っていたんだ。
だけど。
「メルセデスさんだけが、僕を認めてくれたんです。この世界にいてもいいんだって、
「…………………………」
「だから僕は、あなたの
「ギルベルトくん……君は本当に、もう……っ」
「わっ!? えへへ……」
メルセデスさんは顔をくしゃ、とさせると、僕を思いっきり抱きしめた。
ちょっと苦しいけど、僕は彼女の匂いも、温もりも大好きだ。
「分かりました。私とクラウスの『王選』、ぜひ見届けてください」
「はい!」
よかった。これで僕は、メルセデスさんの
彼女が褒めてくれた、ちっぽけな僕の回復魔法で。
「ですけど、これは先程の分も合わせて、絶対に私のお願いを聞き入れてもらうしかありません……いいえ、もう一つお願いを追加しないと」
あ……そ、そういえば、約束したっけ。
メルセデスさんが傷一つ負うことなくあの二人組を追い払ったら、お願いを聞くって。
「ええと……メルセデスさんのお願いっていうのは……?」
少しだけ身体を固くして、僕は身構える。
ぼ、僕にできることだったらいいんだけど……。
「ふふ、じゃあ一つ目のお願いです」
「は、はい」
「これからは、君のことを“ギル”くんと呼ばせてください。もちろんギルくんも、私のことは“メル”と呼んでくださいね?」
「え、ええと……」
まさかそんなお願いだなんて思いもよらなかった。
もちろんそれなら僕でもできるから、もちろん構わないんだけど……。
「……嫌ですか?」
「っ!? まま、まさか! その……嬉しすぎて……」
上目遣いで不安そうに尋ねるメルセデスさん……ううん、メルさんに、僕は慌てて答える。
名前で呼ばれることすらこの十年間で両手の指で数えられるほどしかないのに、愛称で呼んでもらえるなんて思わなかったから。
「よ、よかったです……ギルくんに断られたら、どうしようかと……」
メルさんは心底安堵した表情を浮かべ、胸を撫で下ろす。
あんなに強くて堂々としているのに、愛称で呼び合うだけでこんなに緊張する彼女が、僕はちょっとだけ可笑しかった。
「む……笑わないでください」
「す、すみません!」
少しむっとした彼女を見て、深々とお辞儀をして謝罪する……って。
「ふふ、冗談ですよ」
「な、なんだあ……」
今度は僕がホッとして、思わずその場にへたり込んでしまった。
「それで、もう一つのお願いというのは?」
悪戯っぽく笑うメルさんの手を借り、僕は立ち上がりながら尋ねる。
「ずっと」
「ずっと……?」
「ずっと、私の
少し
白く透き通るような肌がほんのり朱色に染まりつつ、彼女の手が僅かに湿り気を帯びている。
僕は。
「はい! その……僕も、メルさんとずっと一緒にいたいです……!」
「! ギルくん!」
「わわわっ!?」
メルさんは僕の身体を抱え、くるくると回り出した。
その美しい顔を、咲き誇るような笑顔に変えて。
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