裁き

 皇帝が毒に倒れた、という報せは驚愕と共に皇宮を駆け抜けた。

 それも、皇帝自身を狙ったものではなく莉修儀を狙ったものによって、ということで人々は更に言葉を失う。

 幸いにして侍医による的確な手当が功を奏して、皇帝に大事はなく、すぐさま起き上がると犯人を探れと命じた。

 流石鬼神よ、と人々がどよめく中、大規模な捜索が開始される。

 まだ本当に復調したわけではないのだから、と翠媛が必死に床に留まってくれと懇願しても劉景は頑なに聞き入れず。自ら陣頭指揮を取り始めた。

 今までは、一人の妃嬪に対する嫌がらせでしかなかった。

 だが、劉景が倒れるに至っては、事は皇帝を害する大罪となる。

 人々は険しい顔で走力をあげて真実を探り、莉修儀に対する企みに手を貸していた者達も余さず明らかになり。

 やがて辿り着いた首謀者は――安賢妃だった。

 皇宮と後宮に驚愕と、やはりという囁きが満ちる中。賢妃は捕らえられ、裁きの場に引き出されることとなった。



 物々しい空気が満ちる場には、高淑妃を始めとした高位の妃嬪達。そして侍女達、宦官達の姿がある。

 人々の集う最も上座には、揺るがぬ威容を見せる皇帝の姿。その傍に控えるようにして、翠媛は立っている。

 皆は毒を盛られたというのに露程もそれを感じさせぬ、と恐れを以て劉景へ視線を向けているが、翠媛としては気が気ではない。

 劉景は完全に調子が戻ったわけではないのだ。

 意識を取り戻した後、止めるのも聞かずに起き上がり。流れる冷たい汗を重たい皇帝の袍の下に隠して、平素の鬼神の顔にて次々に命を下し始めた。

 恐らく今だって、気を抜けば用意された座から崩れ落ちてしまそうだろうに、それを感じさせないほどに彼は『鬼神』で在り続けている。

 そこまでして、と思わず唇を噛みしめて俯いてしまっていた翠媛は、人々の騒めきを耳にして翠の眼差しをそちらに向けた。

 緊迫した場に、一人の女性が兵士に連れられ足を踏み入れたのだ。

 それは、裁きまで入獄の沙汰を下されていた安賢妃だった。

 いつもの艶やかな装いも美しい化粧もない。

 罪人のような質素な衣を着せられて、幾分面窶れした青白い顔で歩いてきた賢妃は、その場に膝をつかされた。

 唇を戦慄かせながら皇帝へ悲痛な眼差しを向けていた賢妃が、ふとその傍らに翠媛がいることに気付く。

 途端、彼女の瞳に青白い焔が生じたような気がした。

 赤く燃え盛る炎よりもなお激しくありながら人を凍てつかせる程に冷たく寒いものを宿す焔は、真っ直ぐに翠媛へと向けられる。

 それは、人が憎悪と呼ぶものであるのだろう。

 翠媛は背筋に一筋冷たいものが伝うのを感じながらも、唇を噛みしめて真っ直ぐに賢妃の眼差しを受け止めた。

 逃げたくない、避けたくない。そう、思ったからだ。

 裁きを司る官吏により、賢妃の罪状が読み上げられる。

 莉修儀に対する様々な嫌がらせを裏で指揮していたことに始まり。

翠媛の排除を狙い、服毒せしめんとしていた他、呪詛まで行おうとしていたことが、賢妃の宮の捜索にて明らかになった。

 贈り物として届けられた鳥もまた、巧妙に差出人を偽っていたものの賢妃だったという。

 鳥の爪に毒を仕込み、暴れて修儀の手を傷つけることを狙って棘を仕込み。そして献上品の中に紛れこませた。

 しかしそれは結果として皇帝を傷つけてしまい、毒に倒れたのは皇帝となってしまった。

 よくある妃嬪同士の諍いから、皇帝弑逆を目論んだ大それた謀となってしまったのだ。

 淡々と事実を告げられて蒼褪めて唇を噛んでいた賢妃だったが、その下りに至ると顔を上げて悲痛な叫びをあげた。


「命に関わるような薬ではなかった筈です! ただ、顔が爛れて、容貌が損なわれるだけだと……!」


 成程、と翠媛は心の裡にて苦く呟く。

 賢妃は、翠媛を殺すまでするつもりはなかったらしい。

 ただ、容貌が損なわれ、結果として皇帝の寵愛が薄れればいいと思っていたのだろう。

 だが、仕込まれていたのは命に関わる猛毒だった。

 頑健な劉景だからこそ侍医の手当で持ち直すに至ったが、如何に鍛えていようと彼に比べて小柄な女である翠媛であったなら、危うかったかもしれない。

 狙いは違ったかもしれない。けれど、結果として皇帝は毒を受け倒れた。事実はもう動かせない。

 彼女は皇帝を弑そうとした。例え狙わなかったとしても、それだけが結果だ。

 高淑妃はもはや蒼褪めたまま必死に口元を抑えて震えを止めようとしていて、楊徳妃は何時もと変わらぬ淡々とした眼差しで叫ぶ賢妃を見つめている。

 劉景が怜悧な表情のまま、一つ大きく嘆息した。

 他の誰よりも近い場所に立っていた翠媛は、その吐息があまりに複雑な色を滲ませていることに気付いてしまう。

 その命を下すことを避けたいと心の中では願っていても、彼が国を守る鬼神である以上避けられない。どれだけ傷ついたとしても、彼はそれを告げなければならない。

 賢妃は、尚も皇帝に対して大それたことを狙っていたわけではないと訴え続けている。

 しばし沈黙して聞き続けていた翠媛は、やがて静かに口を開いた。


「私が憎い、と思われていたのは仕方ないことだと思います。この立場を受け入れた時に、覚悟はしておりました」


 自分に向けられる悪意なら、仕方のないことだと受け入れていた。

 二人の真実を知らない彼女達にとっては、突然現れた新参者が、長らく誰も手に出来なかったものを手に入れてしまった。

 長らく皆が等しく同じ場所にあったのに、一人だけ抜きんでて特別なものになってしまったとしか見えなかっただろう。

 妬ましいだろうし、憎らしいだろう。それについては、理解したくはないが、仕方ないとは思える。

 けれど、翠媛が許せない彼女の罪と思うのは。


「私の宮には、陛下がお出でになることはご存じだったはず。陛下がいらっしゃる以上、陛下に害が及ぶ可能性をお考えにならなかったのですか」


 自分に直接危害を加えようとしただけならば、許容出来た。何とでもかわして、耐えることが出来た。

 けれど、それが劉景に及んだことが許せない。

 選ぼうとした方法が、万が一劉景にも害が及ぶかもしれない、という考えに至らなかったことこそ翠媛は賢妃の罪と思う。

 気を抜いたならば、怒りが吹き出しそうになる。激高のままに叫びそうになる。

 裡なる激情を抑える為に勤めて冷静な声音を造りながら、翠媛は出来る限り落ち着いた様子で賢妃を糾弾した。

 安賢妃はその言葉に俯き、沈黙した。

 暫くそのまま何かに耐えるように黙していたが、やがて。


「……あなたが」


 空気を震わせるような、低い、低い呻き声が聞こえた気がして。翠媛は、思わず目を見張った。

 心の底にある暗くて深い澱みから這い出るような、心に恐れを呼び覚ます低い呟きを口にした直後。

 賢妃は弾かれたように顔を上げると、激情を宿した瞳で翠媛を見据えて叫んだ。 


「貴方が、現れたから! 居たくもない場所で、それでも何とか耐えていたのに! 貴方なんかが現れるから!」

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