推しがいるということ

 推し、という存在について考えたことはあるだろうか。


 僕は『推し』と呼べる存在に出会えたことはない。

 いや、なかった、と書いた方が正しい。

 なぜならあの人が『推し』なのだと気付いたから。


 今の僕は、『推し』がいるということを、少しは語れると思う。

 いや、それは正しくない。

 正しくは、『推し』がいるということについて語りたい、だ。

 今の僕は、主体的に『推し』がいるということについて語りたい。


 推しがいるということ。


 それは、推しの一挙手一投足が気になるということ。

 それは、推しの体調が気になるということ。

 それは、推しをどう推すべきか、考えるということ。


 そして、推しがいるということの最たるものがこれ。


 推しを推すたかが一人のファンとして、推しが苦しんでいる時に、何もできないちっぽけな人間であるということを自覚させられるということ。


 僕はその人が苦しんでいることを知って初めて、その人が自分にとって推しなのだと気付いた。


 どうしよう、助けなきゃ。

 なんてコメントするのが正解?

 いや、僕ごときが何を書いても——


 そんな思考がとめどなくあふれ出る。

 足が止まる。手が止まる。食事が進まない。


 恋情にも似た病状に、彼女が僕の推しであることをひどく自覚させられてしまった。


 誰も好きにならなければ。

 応援したいと思わなければ。

 手の届かない相手に心を奪われなければ。


 こんな苦しみを覚えることはなかったのに。

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