【改変】され続ける世界:稀人の僕

 6月18日、半ズボンで暮らしていたい快晴の真夏日――


 なぜだかわからないけれど、僕は無人の大広間に膝を突いてほうけていた。誰かの背中を抱くように右手を出して、手を繋ぐように左手をそえていた。


 辺りに人影はなく、僕はそこから3階のバルコニーへと、何かに突き動かされるように上っていった。


「う……っ」


 バルコニーに続く大扉を開くと、強烈な初夏の日差しが僕の視界を奪った。雪と無縁の土地ザラキアの夏が、暖かな日差しと、むわっとするような草木な香りで僕を迎えてくれた。


 いやに静かだった。この地を知る僕からしても、不自然なほどに世界は静けさに包まれていた。

 そんな静寂の世界に立ち尽くして彼方の街を見つめていると、ふいに赤子の泣き声が遠く聞こえてきた。


「なんで、赤ちゃんの声が……いや……」


 何か大切なことを忘れているような気がする。この鳴き声、城の内側から聞こえてきている。

 でも、どうして……? ここには赤ちゃんなんて、いたかな……。


 どうしても気になって僕はバルコニーを離れ、鳴き声を追った。その鳴き声は3階の奥、僕の部屋から聞こえてきていた。

 ここ、僕の部屋だけど、ノックとか、した方がいいかな……中に先客がいるようだし。


「ん、誰ー?」


 ノックをすると、明るい女の子の声が返ってきた。なぜだかわからないけど、その声を聞いたら肩が震えていた。


「あ、あの……どなたですか……?」


 扉越しに声の主にそう聞いた。


「は、何やってるのー、アルトー? バカなことやってないで、早く入ってきてよーっ!」


「う、うん……」


 そう受け答えるのが当たり前のような感覚で、僕は僕の部屋を訪ねた。

 するとそこには、僕のベッドに寝そべる水色の髪の女の子と、たぬきのポンちゃんと、赤ちゃんを抱えたリアーナ姉さんがいた。


 ベッドに寝そべったその女の子は、誇らしそうにリアーナ姉さんが抱く赤ちゃんを見つめている。


「どこに行かれていたのですか、アルト様?」


 リアーナ姉さんが少しだけ責めるようにそう言った。


「そーだよーっ、せっかくあたしががんばって、アルトの子供産んであげたのにー! 何ぼけーーーっとしてるのーっ!?」


<「 ご主人様、また寝ぼけてるもきゅ! 」


<「 でもポンちゃんわかるもきゅ、起きたら自分が誰だか、わからなくなることあるもきゅ! 」


 僕は僕の子供を抱いた。顔がしわくちゃで、猿みたいで、あまりかわいくない。顔は整っているけど、人間の子供って生まれたばかりはかわいくない。


 ……はずなのだけど、不思議なこともあるものだ。僕はその子から目を離せなかった。その子を見ていると、胸が温かくなって、とても満たされた気持ちになった。


 ふと、ある単語が頭に浮上した。


「ロゼッティア……?」


「あ、その反応……。まさか、また別の世界から迷い込んできたんでしょー?」


「あ、あれ……えっ、戦争はっ!? なんで、もうこの子が産まれてっ、え、あっ、あっ、ああああーーっっ?!!」


 大声を上げると僕の赤ちゃんが大泣きしてしまった。

 するとリアーナ姉さんに赤ちゃんを取られてしまった。些細なことだけど、すごく横暴なことをされた気分になった……。それ、僕の、赤ちゃんなのに……。


「しょうがないなー。今度はどんな世界からきたのか、話してくれるー?」


 いや、そんなことよりもそうだ!

 バルコニーから眺めたザラキアに敵軍の姿はなかった!

 そうなってほしいと願ったあの時通りに、戦いそのものがこの決戦場から消えていた!


「やった……やったっ、やったあああーっっ!!」


<「 突然、何もきゅぅっ!? 」


「僕っ、僕はザラキアが侵略された世界からきたんだっ! でも、追い詰められたギリギリのところで、防衛施設を一気に建設したんだ! そしたら――なぜか、気付くとここにいたんだ……」


「あははっ、超シリアスな世界じゃん!」


「ねぇ、ロゼッティア……ギルムガル兵は……?」


「何それ?」


 ギルムガル軍の侵略。その事実そのものがここではなかったことになっていた。


「ギルムガル兵ですか、その件につきましては後ほどご説明いたしましょう。今はロゼッティアさんと休まれて下さい」


 赤ちゃんを僕に任せて、姉さんとポンちゃんが退室した。僕はロゼッティアの隣に腰掛けて、彼女の最大の功績を抱いて相手を見つめた。


「全部話して」


「ぜ、全部……っ!? でも、すごく長いよ……?」


「ちょうど暇してるし好都合! 全部聞いてあげる」


「ありがとう、ロゼッティア……」


「アルトの身に起きたことをあたしは知らないけど、あたしはね、これからもずっと、現実よりもアルトの話をあたしの真実にするよ。だから全部、話して」


「う、うんっ! 本当に、本当にギリギリの戦いだったんだ……。後一歩で、僕らは……」


 ロゼッティアに全てを語った。僕たちの間にあったはずの言葉や誓いを、知っていて欲しい彼女に伝えた。

 一通りの話を聞き終えると、彼女はやさしく笑った。


「おつかれさま、アルト」


「……うん、すごく大変だった。ゆるゆるだらだらに生きる僕の人生に奏でられた、十六分音符だけで奏でられた狂想曲みたいな、酷い出来事だった……」


「でもアルトは確かに守り抜いた。あたしと、この子と、ザラキアの楽しいみんなを。そうでしょっ!」


「うん……そうなんだ、そうなんだけど、君以外に喜び合ったり、誇る相手がいないのが問題なんだ……」


「いいじゃん、あたしだけが知ってるんだからさー」


 新しい共通の秘密が生まれたことを喜ぶように、僕の婚約者ははにかむと、赤ちゃんを胸に抱いた。

 未来のこの姿を受け止めかねていた当時の僕はバカだ。こんなに綺麗でやさしい姿なのに。


「あたしたちのザラキアを守ってくれてありがとう、栄光無き英雄さん。偉い偉い、すごく偉い、とっても偉い、アルトは宇宙一偉いよーっ!」


 一つ年上のお姉さんに頭を撫でられた。僕ってずっとプチ引きこもりをやっていたから、精神の成長が遅れているのかもしれない。内心、すごく嬉しかった。


 僕はチェス盤ごとひっくり返して手に入れたハッピーエンドである人にしがみついて、我が子の誕生というこの結末に感謝した。


 僕はこの先もこの力を使うたびに、異なる事実の世界から迷い込んだマレビトとなるだろう。

 でも、僕の話を信じて受け入れてくれる彼女がそばにいれば、この先もやっていけそうだった。


「落ち着いた?」


「うん……」


「じゃあ、応接間に行くようにー!」


「へ……何、お客様でもきてるの……?」


「うん、あたしはさっき会ったけど、アルトまだ会ってないんだよー」


「……誰と?」


「あたしのお義兄さんっ、ミュラー様っ!!」


「ちょ……っっ、えっ、それ先言ってよっっ!?」


 僕は飛び起きて、赤ちゃんをもう一度抱かせてもらってから、この子の名前はなんだろうなと思い描きながらも、応接間に兄の姿を探しに行った。

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