【人事】放棄:継承権 獲得:辺境伯

9月中旬、初秋――


 それからしばらくが経ったある日、僕アルト・ネビュラートは白の宮殿にて伯父、皇帝ラウドネス・ネビュラートに拝謁した。


「我が甥アルトよ、表を上げよ」


「はっ!」


「ふむ、病が治ったか。兄上もあの世で喜んでいよう」


 ラウドネス・ネビュラートは傲慢で冷たい為政者だ。僕たち兄弟を露骨に疎んじている。

 よっぽど苦労してきたのか、まだ50代だというのに髪は真っ白。人間不信をこじらせたヤバタニエンな皇帝陛下だ。


「ありがとうございます、父もきっと今頃は喜んでいるでしょう」


「うむ」


 その猜疑心の固まりのような男が僕に笑った。僕が今回こうして拝謁賜ったのは、ある交渉のためだった。


「皇位継承権を放棄すると聞いたが、まことか?」


「はい、家臣としてさらなる忠誠を誓う証として、継承権を放棄いたします。その引き替えに――」


「諸国との緩衝地帯にして見張り塔、我が領地ザラキアが欲しいとな……」


 僕の力は領地を得て初めて真の力を発揮する。だが、甥の反逆を警戒するこの皇帝がおいそれと領地を与えるはずがない。

 領地が欲しければ継承権を放棄する他になかった。


「かの見捨てられた土地を何に使う? よもや、異国に寝返るつもりではあるまいな?」


 ザラキアは大帝国の最南端に位置する暖かい土地だ。

 その土地は地図から見ても不自然に飛び出ていて、3つの国と領境が隣接している。


「滅相もございません。急速な軍拡を進めるネビュロニア帝国に逆らうほど、私も愚かではありません」


「ほう、我が帝国が軍拡とな。そのような事実、余の与り知らぬところではあるが……」


 僕は真の戦犯皇帝ラウドネスの、猜疑心に曇った眼光を跳ね返した。


「そうでございましたか、これはとんだご無礼を」


「アルトよ。世が荒れると推測した上で、見捨てられた地ザラキアを欲すると申すか」


「はい、私は承知の上で、真っ先に切り捨てられる土地ザラキアが欲しいのです」


 2年後、この国は侵略戦争を始める。

 ミュラー元帥率いる大軍勢が諸国になだれ込み、ザラキアは超重要拠点となる。


 占領地である前線への補給支援。本土防衛の要。さらには交易のハブ駅にもなる。

 今は全く注目されていないけれど、ザラキアはこの国で最も箱庭内政に向いた土地と言える。


「ふむ、どうしたものか」


 ラウドネスは小柄な甥から目を外し、その兄のミュラーを観察した。僕にはその目に敵意が混じっているように見えた。


「ミュラーよ、加えてそなたが継承権を放棄してくれるならば、首を縦に振れようものなのだが、さて……?」


「フッ、御戯れを。それは亡き父が許しても、父を愛した国内諸侯が認めまい」


「ふんっ、確かに一理ある。ならば『皇帝ラウドネスが長子バエルこそが、皇帝に相応しき男』と、この場で申せば、我も首を縦に振ろう」


 皇帝ラウドネスの威圧の形相と、兄さんの冷たく鋭い眼差しがぶつかり合った。

 嫌だ、嫌だ。こういうのは僕の性質に合わない。だから兄さんの反対を押し切って、継承権の放棄を交渉材料にしたのに。


「皇帝ラウドネスが長子バエルこそが、皇帝に相応しき男。……これでよろしいか、伯父上」


「あ、兄上……っ」


 誇り高い兄上が屈服し、皇帝に膝を突いた。

 口には出さないが兄さんは父親の死因を疑っている。弟であったラウドネスが、皇帝となるはずだった兄の暗殺を目論んだと。


「よいのだ、アルト。国境の地をお前が守ってくれれば、私も安心して戦える」


「ありがとう、兄さん……必ず結果を出すよ……」


 感謝する一方で、兄さんの言葉に小さな齟齬そこを感じた。

 まるで兄さんは、将来戦いが起きることを知っているかのような、そう聞こえなくもない引っかかる言葉に聞こえた。


「クックックックッ……。よかろう、今日この時よりアルト・ネビュラートは皇帝家の籍を離れ、新たにザラキア辺境泊を名乗るがよい」


「ありがとうございます、皇帝陛下! 必ず、私がザラキアを豊かな土地に変えてご覧に入れます!」


 ひざまずいて皇帝に感謝した。

 これでザラキアの地の箱庭内政システムが解放されるはずだ。


 自分がどれだけ貴重な土地を甥に譲ったか、この人間不信の皇帝に後悔させてやろう。

 兄さんにそっと流し目を送ると『フッ、愚かな……』と言ってくれそうなクールな笑みが、僕を見つめ返していた。


 そしてその時、確信した。

 僕の兄ミュラー・ネビュラートは『やはりどうも知りすぎている』と。

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